親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

親鸞会の定義する「善知識」は本当に「善知識」なのか?について

shinrankaidakkai.hatenablog.com


前回の記事の続きです。

目次

親鸞会が強調する「善知識」

親鸞会が現在最も強調しているのが「宿善」ですが、宿善の次に親鸞会が強調するのが「善知識」です。

youtu.be
(仏教哲学で生きる意味を知る・親鸞会教学部長伊藤健太郎講師・浄土真宗講座(上級B)【16~18】五重の義(1)宿善(2)善知識)

57:31〜
インターネットの世界は悪知識ばかりと言って過言ではありません。インターネットではどんなデタラメを言っても責任を取る必要はありませんから、言いたい放題でメチャクチャなことが言われています。
そして、別に誘れなくても「お、こんな動画がある。へー、こんな話もある」と誘われてもいないのに、折角善知識にあわせて頂いたのに遠ざかって、自ら悪知識に近付いてしまうのです。
(略)
いま善知識にあわせて頂いている人は、これは余程厚ーい宿善があったからなのですから、善知識から聞かせて頂けるご縁を大切に大切にして頂きたいと思います。

この「いま善知識にあわせて頂いている」「余程厚ーい宿善があった」人が親鸞会会員だと言うことです。
親鸞会でいう「善知識」は高森顕徹会長ただ一人のことを指しています。

なぜ高森顕徹会長は善知識なのか

親鸞会では少なくとも1997年(平成9年)ごろまでは会の中で「蓮如上人以来の500年に一度の善知識」「無二の善知識」と会員に説明していました。実際私が入会した1993年(平成5年)に当時の担当講師や先輩からそのような説明を受け続けていました。もっと以前には高森会長の法話の前に随行者が「善知識高森先生のお話の前に一言お願いいたします」とアナウンスしていました。「善知識高森先生」で一つの言葉になっていたのがかつての親鸞会です。
「信心決定した体験と深い教学を持ち合わせた人が善知識なのだ。そんな先生は今の日本では高森先生しかおられない」
「その善知識から直接聞かねば信心決定はできないのだから、君も入会しよう」と勧められて入会をしました。

そうして入会した私からすると「善知識」とは「みんながそう言うからそうなのだろう」というくらいの認識でした。
実際に多くの会員は、あらゆる寺の法話を聞き歩いた上で高森顕徹会長の話を聞いて「この人こそ善知識だ」と言う人はありません。
特に現在は「初めて聞いたのが親鸞会だった」という会員が大半だと思います。

そのように比較検討することがない状態では、「みんなが言うから善知識」となっているのが現状です。

初めて高森顕徹会長の話を聞いた時の印象

大学入学の4月に親鸞会学生部の勧誘を受け、初めて高森顕徹会長の話を聞いたのは5月の連休後の愛媛県での法話でした。
それまでゴールデンウィークの合宿で散々高森顕徹会長がいかに凄い先生であるかと煽られて臨んだ感想は「みんなが言うほど凄いのか?よく分からない」というものでした。
これは私だけの感想ではなく講師部になった後、私より上の先輩講師も「最初高森先生の話を聞いた時は、学生部長(講師部)の話の方が言葉もハッキリ聞こえて分かりやすいじゃないかと思った」と言っていました。

これは初めて高森顕徹会長の話を聞いた年代によって印象が変わるようです。色々聞くと昭和50年代(1975年〜)入会の先輩講師は「とにかく凄い大声と迫力で一人で何日も続けて説法をされていた」「今日は笑わないぞと思っても毎回笑わずにおれない話だった」など語っていました。その頃は高森顕徹会長も40代から50代の年齢で元気だったのだと思います。

実際、わたしが初めて高森顕徹会長の話を聞いた時は、アシスタントを入れての二人体制での法話で声もあまり出なくなった頃でした。そのためか「前は大変大きな声で話をされた」「本当は凄いんだ。続けて聞けばその凄さが分かる」といった感じの先輩のフォローを聞いて続けて聞いてみようと思いました。

善知識は誰がどう見ても「善知識」と言えるものなのか?

親鸞会で話を聞いていると「善知識」と言うのは、まるで希少な固有種のようなものと考えてしまいます。例えば、日本の国鳥トキは誰が見ても「トキ」であって、「あれはトキではない」という人はいません。それと同じように「善知識」は誰が見ても「善知識」であるように思います。そのため高森顕徹会長が善知識であることは、トキがトキであるかのように自明のこととして定義されています。

しかし、「善知識」とは「あの人は私にとっての善知識だった」と言えて初めて善知識となります。いわば、阿弥陀仏に救われた人が、それまでご縁のあったいろいろな人の中から振り返って思うものです。

例えば、庄松同行は、以前三業安心のグループに入っておりましたが、その後誤りに気がつき他のところで聞法をして妙好人と呼ばれる念仏者となりました。三業安心のグループにいた頃も話を聞いている先生はいたはずですが、その人は「善知識」だったのでしょうか?阿弥陀仏に救われてみなければそう言うことは言えません。
誤りに気づいて念仏者となったのちに、教えを受けた先生を善知識と思っていたと思います。

親鸞聖人も法然聖人を「真の知識」と和讃にも書かれていますが、それも阿弥陀仏に救われて後にいよいよそのように思われて書かれたものです。
その意味で、善知識は特定個人の称号ではなく、阿弥陀仏に救われた人とそれまでご縁のあった人との関係性において成り立つ言葉です。

少なくとも比較をしないと分からない。

今まで浄土真宗と無縁だった人からすると、親鸞会が初めての浄土真宗との出会いとなった時はそれが正しいのかどうなのかを判断することができません。
高森顕徹からは信心決定の体験と深い教学があるから善知識なのだ」と言われても、聞いた方としてはそれを判断できない以上信じるしかありません。しかし、本当に信心決定してるかどうか誰にも分かりませんが、教義に関しては比較することで判断することが可能です。

宝石鑑定士の人は、ニセモノの宝石とホンモノの宝石を見分けることができます。なぜそれができるのかと言えば、とにかく本物の宝石をいつも見ているからです。本物を見ないことにはニセモノがニセモノと判断することはできません。

高森顕徹会長の話のみを聞いて「これが善知識」と判断することはできません。実際、阿弥陀仏に救われて「高森先生こそ善知識だった」と言う人は、貴方の周りにどれだけいるでしょうか?私の知る限りは、親鸞会設立期からの会員で数名おられましたが今は故人となっています。
少なくとも、親鸞会がスタートした昭和30年代から40年代の高森顕徹会長の話は今とは違います。三願転入を言い始めて以降は、「私は阿弥陀仏に救われた」という人は皆無です。

このまま高森顕徹会長から話を聞けば、本当に救われるのでしょうか?
「善知識」から話を聞けば救われるのではありません。救われてみればあの人だったなと振り返って思えるのが善知識です。