親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

本願寺との宿善論争のころの親鸞会について(Youtube紅楳英顕和上「派外からの異説とは?」〜親鸞会との論争〜より)

Youtubeチャンネル【桜嵐坊の仏教部屋】7676amidaで、「紅楳英顕 和上「派外からの異説とは?」~親鸞会との論争~」が公開されました。
現役会員の方には視聴をお勧めします。また同時代だった元会員の方にもお勧めします。


www.youtube.com
以下、動画概要欄より

【略歴】
昭和48(1973)年 親鸞会問題対策担当になる。
(末寺に親鸞会員が論難に来る事件が多発。末寺からの要請により)
  52(1977)年3月 紅楳先生「一念覚知説の研究」
  54(1979)年12月 紅楳先生「現代における異議の研究」
-高森親鸞会の主張とその問題点-
           親鸞会は、質問状 十数回、宣伝ビラを配付
  55(1980)年5月 親鸞会伝灯奉告法要中の本願寺白洲に乱入・法要妨害 事件
        6月 先生「破邪顕正財施を修することが獲信のための宿善となる」
              文証を求めるが、返答無し。           
  56(1981)年4月 親鸞会本願寺の体質を問う」
  57(1982)年8月 親鸞会員1200人、総御堂に座り込み、閉門時が過ぎても退去しない
        12月 先生「派外からの異説について」
  58(1983)年8月 先生が富山県高岡 黎明講座中に 親鸞会員100名 押しかける

ここ最近の会員になった方にはあまりご存知ない方もおられると思うので、この動画の背景について書きます。

昭和48年(1973年)ごろは、親鸞会本願寺批判行動が目立つようになり、各地の寺からの苦情もあり親鸞会問題対策担当者がおかれるようになります。


そのころの親鸞会の活動の原動力となっていたのが「宿善を厚くする」でした。そのために、会員は「宿善を厚くする」ために、「破邪顕正財施」の活動に熱心にとりくみました。その結果が、上記の概要欄にあるような一連の出来事となりました。

当時親鸞会内では「宿善論争」と名付けられ、その後「本願寺なぜ答えぬ」を昭和59年(1984年)に出版しました。

親鸞会かく答える 本願寺なぜ答えぬ」

会の中では「これで親鸞会本願寺との宿善論争に完全勝利した」としていました。

「宿善」から「三願転入(主に十九願の修諸功徳へ)」の転換

ところが、親鸞会の現在の教義的中心となっているのが「三願転入しなければ助からない」です。これは平成5年(1993年)ごろから強調するようになりました。

それ以前は「宿善が大事」「宿善厚いものは早く救われる」「だから宿善を求めよ」と盛んにいっては、「宿善」となる「高森会長の法話聴聞する」「御布施する」「人を誘う」ことを活動の中心としていました。

私は丁度平成5年の4月に大学で勧誘をうけて5月に親鸞会に入会しました。その年の秋の親鸞会結成35周年大会の演題が「三願転入」でした。その日を境に、「宿善」から「三願転入(主に十九願の善の実践)」に転換したのをよく覚えています。それ以来会員の間ではそれまで高森顕徹会長が強調していた「宿善」とどのように整合性をつけるのかがたびたび話題になっていました。


なぜなら、会員だった1年目の会員だったころから「宿善が厚くなって助かるという言い方は自力で助かることになるから、そういう言い方をしてはならない」と繰り返し聞かされたからです。つまり、「善を励んで宿善を厚くして助かるのではない。自力で助かることはない」が強調されていました。


それにもかかわらず、あらたに強調されるようになった「三願転入しなければ助からない」は十九願の修諸功徳を強調する事で、「善をしないと信仰が進まない」→「助からない」を強烈に会員に印象づけるような話になっていました。


以前、高森顕徹会長は法話の中で「宿善が厚くなると、コップの水が最後あふれるように水がこぼれるときがある、それが宿善開発(信心決定)だ」と話していました。その言い方は、当時の学生会員のほとんどが使っていましたが、この「宿善論争」と時期を同じくして「そんな言い方は間違いだ」と会員に徹底していました。


この「完全勝利した宿善論争」の後、親鸞会では以前ほど公式には「宿善が厚くなる」→「助かる」を連想させるような露骨な表現は避けるようになっていました。


「完全勝利」したのならば、堂々と以前と同じ主張をすればいいのですが、実態は本願寺派からの批判に対してきちんと反論する事もできず「勝利宣言」だけして、事実上の「宿善強調路線からの撤退」をしたのが親鸞会でした。

「宿善」の話は出せない。だけど活動を推進したい。そうだ三願転入があるじゃないか。

宿善論争が終わったとされる昭和59年(1984年)以後、親鸞会の状況も大きく変わることとなります。
それが、光大作戦(アニメ映画の販売活動)の開始です。これは、平成5年の35周年大会から始まったもので、親鸞会制作の「世界の光 親鸞聖人シリーズ」の制作と個別訪問販売を全国的に展開するものです。訪問販売活動には、活動会員が全員参加していました。


この活動をするにあたっての、会員の活動と財施(お布施)の熱量を保ち続けるために教義的背景として語られるようになったのが現在の三願転入の強調です。

光大作戦をするにあたって「宿善」を今更強調はできない、それならば「三願転入」があるじゃないか。ということで強調するようになったのが実態だと思います。

しかし、活動の熱を上げるという点では、親鸞会としては成功したのかもしれませんが、「教えを聞きたい」という会員からすれば弊害の方がずっと大きいものでした。

一例をあげると、当時高森顕徹会長が月1回「教学講義」というのを行っていました。そのころに「三願転入」の講義が、30回近く連続で行われました。その殆どが、十九願(修諸功徳)の話であり、しかも「善をしないと信仰がすすまない」「善をするのは自力だからと思うのは、その心こそ悪い」という話ばかりでした。

もちろん教義上、この解説も種々問題がありますが、十八願の話をしなくなったことが一番の問題です。

会員の方もよくご存知だと思いますが、阿弥陀仏の本願の中心は十八願です。十八願の救いが浄土真宗です。その十八願の話をせずに、主に幹部会員が中心となる教学講義で十九願の話を二年以上続けていたのが当時の高森顕徹会長です。


今振り返ると、その教学講義に参加していた会員の意識は、「18願<19願」というように優先度が変わってしまったと思います。

最後に

動画の中で語られる当時の親鸞会会員の熱量や自信はもうなくなったのだと感じました。その理由は、「三願転入の強調」にあると思います。以前は「本気で救われよう」と思う会員も多くいました。今は、はるかなる19願の道をいつ出られる当てもなく歩き続けているのが親鸞会会員の多くの実感ではないでしょうか。
日本には、高森顕徹会長以外にいろいろな先生がおられることを今回の動画で知って頂きたいと思います。



参照

紅楳英顕和上の書かれた論文については、以下の紅楳英顕の真宗教室内で全文よむことができます。
一念覚知説の研究 紅楳英顕 伝道院紀要19号
派外からの異説