親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

批判されるたびに教義を変える親鸞会・今回は「諸善のすすめは説いたこともないし自力の者の聞き間違い」

親鸞会がまた教義変更をしたようです。コメントで情報を頂きました。

a 2023-05-01
(略)
高森会は「諸善のすすめは説いたこともないし自力のものどもの聞き間違い」ということで見解を統一したよう
(略)


同様の事は、先日、以下のyoutubeでも語られていました。
www.youtube.com
(再生開始位置2:05)

(3月の富山県での阿部先生の法話会場に)現役の親鸞会の御講師の方がおいでになられました。
(略)
私(阿部先生)が言っている親鸞会の教えは、高森先生の言っていることと違うと。どういうことかというと、高森先生の言っていることを聞き損なった人の言っている事を、私が高森先生の言っている事と言っていると。


外部からの批判や、退会者が続出すると教義変更をするのが親鸞会の歴史でした。
今回は、今まで「善のすすめ」を強調してきた事を、すべて「なかった」ことにしてきました。ただ「聞き損ない」と言っているところに、「言ったこと自体」は否定はしていないようです。

実際、親鸞会公式サイトには、「善のすすめ」を大変強調しています。
www.shinrankai.or.jp

弥陀の救いにあえて必要のない善ならば、なぜ、これほどまでに善導大師は厳しく善を勧められたのだろう。(公式サイトより)

またこのベージも「なかったこと」にする可能性もあるのでweb魚拓をとっておきました。
【魚拓】善の勧めを、なぜ絶賛されたか|浄土真宗 親鸞会 公式ホームページ・現代に生きる仏説

過去には、こんな小冊子も内部で配布していました。

その時絶命した「親鸞聖人の教えに善のすすめはない」という邪説 表紙

「宿善」→「三願転入」→「諸善のすすめは説いたこともない」

過去に、宿善を強調することで、会員に「宿善が厚くなるために善をせよ」と言っては善を勧めてきたのが親鸞会です。
それが、本願寺との論争で事実上の反論ができなくなり、しばらくは「宿善」という言葉は使わなくなりました。
そのころ高森会長が「宿善開発とは、宿善が厚くなるとコップの水があふれるようになった状態だ」と言っていた事も、「そんなことを言った事はない」とされ言わなくなりました。

その後「三願転入」を強調するようになりました。
しかしこれも、いろいろの批判によってしばらく強調しなくなりました。

そして今回は「諸善の勧めは説いたこともない」「自力の者の聞き間違い」となりました。
今回は、こういうことによって「親鸞会は善をすれば助かるようなことを言って会員を迷わせている」という批判に対して「そんなことは言っていない」とするつもりのようです。


こういう主張をする論拠として出してくるであろう話は、過去の独言(67)だと思われます。独言(ひとりごと)とは、過去に機関誌に高森顕徹会長が書いてきた短い文章をまとめた冊子です。

独言


これについての解説は以下を参照下さい。

参照 21世紀の浄土真宗を考える会より

kondoutomofumi.blog121.fc2.com


独言(67)「阿弥陀仏の浄土に往生するのは、弥陀の名号の独り働きだから、諸善や六度万行をやる必要がない」と今までの説明の整合性について

しかし、これを根拠に会員にいうとすれば、今まで散々と「雑行を捨てよとは、善を捨てよではなく自力の心を捨てよだ」と説明してきたこととの整合性をどうつける気でしょうか?

参考までに、親鸞会公式サイトより「雑行」について

マンガ解説「雑行・雑修・自力の心」その①より

マンガ解説『雑行・雑修・自力の心』その①(2/2)|浄土真宗親鸞会
【魚拓】マンガ解説『雑行・雑修・自力の心』その①(2/2)|浄土真宗親鸞会


また、「善を勧めてきたのはあくまで『善を実行しなければ、絶対に善果は獲られない』からであり、『在家よりも悲劇や災難が多発して業苦に責めたてられているのは、狂いない因果の道理の実証である』からだ」と強弁するのでしょう。しかし、そう主張するのならば今までの「お布施」や「新規会員入会のための活動」は、「暮らしの実態面」のことだったということになります。(青字は独言より引用


「この世の生活面での善果」のために、善を勧めて来たのであって「浄土往生に関係あるかのように思うのは聞き間違い」というのが今の親鸞会の主張となりました。


「浄土往生のために」と思って「お布施」に励んできた会員の皆さんへ

先に紹介しましたように阿弥陀仏の浄土に往生するのは、弥陀の名号の独り働きだから、諸善や六度万行をやる必要がない」との高森会長の御言葉が、改めて親鸞会全体としての意見となったようです。
いろいろ思うところがありながらも「浄土往生のため」と思って「お布施」をしてきた会員の皆さんはもう迷う必要はありません。
「弥陀の名号の独り働き」ですから、南無阿弥陀仏のいわれが聞ける場所で聞いて下さい。それが今の親鸞会にあるかどうかは、ご自分の今まで聞いてきた事と照らし合わせて考えて見てください。

外部批判に対して、自らの誤りを認めずに「会員の聞き誤りだ」と会員を切り捨てて来たのは今回が初めてではありません。それは長年の会員ならご存知のことと思います。
あなたの後生は、阿弥陀仏だけが案じておられます。保身の為に会員に責任転嫁する会にその気持ちがあるかどうか考えてみて下さい。

資料 親鸞会公式サイト 善のすすめ

浄土真宗親鸞会|法楽寄席「善の勧め」
検索すると多数出てきますので、他に見たい方はこちらを参照下さい。
site:https://www.shinrankai.or.jp/ 親鸞会 善のすすめ - Google 検索

追記 独言について

親鸞会結成40周年大会の記念品として出されたものです。