親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

土日に親鸞会館で親鸞会講師の法話が開始。今後の変化を考える


shinrankai.jp
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親鸞会公式サイトで、7月の二千畳の予定が公開されました。

これによると、7月は10日(日)24日(日)が、高森顕徹会長のビデオ法話、それ以外の2(土)3(日)、16(土)17(日)、30(土)31日(日)は親鸞会講師の法話が行われる予定です。

以前からfacebook上では、土日に講師の二千畳法話の予定が公開されていましたが、公式サイト上での公開は初めてです。
facebookの情報は、検索サイトでは表示されないため、今回公式サイトに載せることで会としての公式の方針として講師の二千畳法話をするということになったのだと思います。

今後は、各地を現在回っている高森光晴氏の法話が、ゆくゆくは月に1回は二千畳ですることになるのだと思われます。
note.com


今後親鸞会講師の話の内容は、約2年前にyoutubeに公開されたものと変わるのかが気になるところです。
www.youtube.com


上記に公開された親鸞会講師の法話は基本的に「高森先生の話を聞いてください」のスタンスで終わる話が多かったので、今後二千畳で話をする際はどうするのだろうかと考えます。

親鸞会講師は話す時何を考えているか?

高森顕徹会長の法話が開かれている時は、「高森先生の法話に一人で多くの人を誘う」のが話をする目的でした。聴きに来た人が、続けてきてもらうというのが目的でした。
いうなれば、高森先生の法話の「前座」のような扱いが親鸞会講師の法話でした。
「大事なところ、みなさんが本当に聞きたいところはどうぞ高森先生から直接聞いて下さい。今度の日曜日に○○で高森先生のご法話がありますので、一緒に参詣しましょう」
というのが、親鸞会講師の法話の内容でした。演題がどうであっても、話の結論はいつもそこで終わっていました。

「お誘い」だから自信をもって話す。

親鸞会講師部は「自信教人信」が前提となっているので、本当ならば自身が信心を決定してその上で人に伝えるのが本当の法話だと理解しています。そのため、親鸞会講師部では信心決定の身になっているのは高森顕徹会長だけなので、本来の意味での「法話」ができるのは会長以外にないということになります。
そこで「法話」はできないけれども「お誘い」はできるということで、そこに徹して自信をもって話をしてきたのが親鸞会講師でした。
私自身、親鸞会講師になったころは、自分自身が救われた訳でもなく、信心決定の身になっている訳でもないので、「お誘い」することをもって「人に法を伝えている」ことにしていました。実際、自分がよくわかっていないことを、人に伝えたところで、何も伝わる訳もありません。まして、親鸞会では高森顕徹会長の話でも、信心とか仏願の生起本末についての話はそれほど多くはありませんでした。聞く機会自体もあまり多くない話はなおさら人に話すことはできません。

ただ時々活動をしていると、熱心な会員で体調の都合で高森顕徹会長の話を聞きに行く事ができない人に話をすることがあります。そういう時は、本当に何を話してよいものか分からず大変困った記憶があります。
何しろ「高森先生の話を聞かせて頂きましょう」しか話をしていないのですから、それができない人で、加えて「どうしたら助かるのでしょうか?」「私の後生はどうなるのでしょうか?」と尋ねる人に伝えるものが何もありません。

「高森先生の話を聞いてください」からの卒業

これまで、いわば「高森先生の話を聞いてください」ということで、人に法を伝えるということを高森顕徹会長に丸投げして、自分自身の責任から逃げてきたのが親鸞会講師です。会員から、込み入った質問をされると答えることができず「今度高森先生にお尋ねしてきます」と、それも高森顕徹会長に丸投げしてきました。

しかし、その高森顕徹会長も以前のような体調でもなく、今までのように丸投げする事はできなくなりました。
今後二千畳だけでなく、各地で話をする親鸞会講師は、親鸞会用語でいう「真仮の水際を説き切って」もらわねばなりません。それが、勧誘してきた会員に対する責任というものではないでしょうか?

そんな責任は負えないし、話す自信もないという人は、早く親鸞会講師を辞めて、一聞法者として我が身の後生と向き合う時が来たのだと思います。自分自身が実践してきても、本当に救われるかどうかも分からない「親鸞会的求道」に自信がないなら、そんな話は元から人にするものではありません。