親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

いよいよ高森顕徹会長の過去の法話録画を中心にすることにした親鸞会(顕正新聞2021年3月1日号より)

親鸞会機関紙・顕正新聞2021年03月01日号を読みました。以下思ったことを書きます。

今回は今までと変わった点として、高森顕徹会長のネット配信されている過去のビデオの内容について詳しく書かれていました。

2月17日に「先生と学徒との対話」がネット配信されました。

「名号・信心・念仏」という最も大事な仏語について、多くの学徒が聞法し、仏法讃嘆した。(「論説」参照)(紙面より)

この「先生と学徒との対話」は昨年2020年3月を最後に行われていませんでした。記事を読む限りは、過去のビデオ配信と書いてなく、「論説」にも要約が載っていたので、久しぶりに高森顕徹会長が会員に向けて話をしたのかと思いました。


そこで関係者に確認してみたところ、やはり昨年の録画の配信であり、高森顕徹会長は話をしていないと分かりました。


これまで「論説」で要約をしていたのは、最近の高森顕徹会長の話でした。昨年来高森会長が、会員の前で話をしなくなり、論説ではビデオの内容について要約することはしてきませんでした。また、顕正新聞も「こんな行事がありました」と書くことはあっても、ビデオ配信の内容について書くことはありませんでした。
それが今回は、過去の録画をネット配信した行事を、話の内容もかなり詳しく書くようになりました。

親鸞会変化の一つの節目

この変化は、親鸞会の行事で過去の高森会長の録画を配信することが標準になったことを示しています。昨年4月以降高森会長が会員の前で話をしなくなってしばらくは、「高森先生が復帰するまでの代行手段」として過去のビデオを流していました。運営する側も、会員も「いつか高森先生が会員の前で話をされるはず」と考えていたことと思います。


しかし、約1年間高森顕徹会長は、会員の前で話をすることはありませんでした。今回「論説」を始めとして高森顕徹会長の過去の話を記事として報道するところを見ると、親鸞会の内部では高森会長が復帰することは事実上不可能に近いと判断したのだと思います。


今後は「過去のビデオ法話」を「高森会長が復帰するまでの代行手段」ではなく「親鸞会行事の主役」に据えることにしたようです。以前は、高森会長が話をすることが出来なくなった時には、誰かが代わりに話をするのだろうと漠然と思っていました。


しかし、後継をどうするかの方針を示さないまま現在の状況になった親鸞会では、なし崩し的にこのまま過去の高森顕徹会長の映像を流し続けることでしょう。少なくとも高森会長が壇上に立たなくても存命の内にはこの点、大きな変化はなさそうです。


そうなると、「過去の法話録画を上映・配信する」だけならば、今のネット配信で十分となり、二千畳は無用の長物となります。今後はコロナ禍が収まって人が集まることが可能になった際、二千畳で今の過去の録画上映を続けるかどうかが、親鸞会の悩みどころとなってきます。

個人的には、誰が立っても高森顕徹会長の変わりにはならない以上は誰かが会員の前で話をするのがいいと思います。

最後に。論説を読んで思ったこと

今回の論説は「仏教で最も重要な三つの言葉」でした。

数多くの仏語の中で、最も重要な三つを挙げれは、名号、信心、念仏である。

とありましたが、「名号」「信心」についての記載はありましたが、「念仏」については一言も触れずに終わっていました。

親鸞聖人は、この「信心」一つを身命を賭して開顕なされたお方であった。
まさに世界の光である。

ここで文章は閉じられていました。

「大事なことが三つある」と書いたなら、三つ書くものです。
「念仏」についてまた、論説で書くのか分かりませんが、「名号、信心、念仏」と銘打っても一部しか話をしないのは親鸞会の特徴がよく出ていると感じました。

参照

www.shinrankai.or.jp
記事中の論説(2021年03月01日号掲載)全文は親鸞会公式サイトに多少修正をして転載されています。