親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

顕正新聞論説「今日が聞法、最後の日」(2021.02.15)を読んで思ったこと

親鸞会の機関紙・顕正新聞2021年(令和3年)2月15日号を読みました。以下思ったことを書きます。


今回は、タイトルにもある論説「今日が聞法、最後の日」について書きます。「論説」は、一般紙の社説にあたり、親鸞会弘宣局を代表して書かれているものです。
www.shinrankai.or.jp


昨年来、会員の前に出てくることがほとんどなくなった高森顕徹会長の現状からすると、いろいろと思うところがあって書いたものだと思います。


内容は、タイトルの通り最近の無常に関する事例を取り上げいつなにが起きるか分からないのだから、本願に疑い晴れるまで聞きましょうということでした。

今回の論説にも「仏願の生起本末を聞く」との言葉はあるものの、今現在南無阿弥陀仏となって私を救うために働きかけ、呼びかけられているというようなことは全く書かれていませんでした。


高森顕徹会長の話も最近ないので無理もないことですが、以前から変わらず顕正新聞で会員に伝える内容は、このようなものになっています。

親鸞会の「聞法」の現状

いくつか挙げると以下のようになります。

  1. 聴聞に極まる」といいながら、何を聞くかをほとんど言わない。
  2. 「仏願の生起本末を聞け」といいながら、日ごろのネット中継での高森顕徹会長の過去のビデオにはその話が殆どない。
  3. 「仏願の生起本末とはこうだ」と論説に書いたとしても、「過去の阿弥陀仏のご苦労話」として取り扱い、今の南無阿弥陀仏について全く触れない。

これでは、どれだけ熱心に聞法しようと思っても、会員は何をどう聞いていいか分かりません。その結果、「とにかく聞くことが大事なのだ」というところで考えることをやめて活動に力を注いでいるのが実態です。


最近私のところに来る相談内容も、ネット経由で親鸞会講師の話を聞くようになったという人のものが多くなりました。そのどれにも共通しているのが、上記に挙げたような「聴聞が大事というけれども、何をどう聞くかが全く曖昧で、質問しても要を得ない」というものです。最近の事例を用いたわかりやすい喩えや、熱心に伝える情熱はあるものの、聞きたい人が一番聞きたいことだけないのが問題のようです。これは以前と変わっていません。

本当に聞法最後の日に何を聞きたいですか?

2021年02月21日(日)親鸞会ではネット中継での高森顕徹会長の話がありました。
内容は、以前の録画を配信するというものです。
今回は、2019年11月24日に行われた内容だったようです。
それについては、過去の記事に書いているので紹介します。
初の映画「歎異抄をひらく」解説で高森顕徹会長が語ったことから、親鸞会の今後を考える。2019年11月24日(日)映画解説より - 親鸞会を脱会した人(したい人)へ

映画「歎異抄をひらく」の内容について、会員からの質問に答える形式のものですが、今日が最後かもしれないという気持ちの会員の方は、どう思って聞いたでしょうか?

上記の過去の記事から引用しますが、高森顕徹会長はこう話をしていました。

どうすれば蓋が取れるかは、宿善に限れりと言われている。
宿善を厚くする一番は、聞法。(2019年11月24日二千畳Q&A)

「今日が聞法、最後の日」で、「宿善を厚くする一番は、聞法」だという話を聞きたいでしょうか?
参詣者の頭に、こんな曲が流れてこないでしょうか?
違う、そうじゃない 


「違う、そうじゃない」と思われた会員の方は、私を助ける法である南無阿弥陀仏を聞いて下さい。