親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

会員に「ワシを疑うな」と念押しする高森顕徹会長(2018年03月25日(日)なぜ生きる映画解説より)

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2018年03月25日(日)富山県親鸞会館で、高森顕徹会長による「なぜ生きる」映画解説が行われました。
とはいえ、最近の高森顕徹会長は映画「歎異抄をひらく」にかかりきりで、映画「なぜ生きる」にはあまり関心がないようす。

今回の演題は、

映画『なぜ生きる』の中の蓮如上人のお言葉「『聞く一つで、大船に乗せる』ということは、阿弥陀仏の命を懸けたお約束だからです。」とは、どんなことでしょうか?

だったそうです。

しかし、話の内容はずっと歎異抄第2条の話でした。

その内容については、すでにこちらのブログで言及されています。
shingikensho.blog12.fc2.com


おおまかな内容について簡単に書くと、今回は以下のようなものだったそうです。

  • 大船=大悲の願船=阿弥陀仏の本願
  • 阿弥陀仏の本願は、すべての人を信楽の身にさせる、絶対の幸福の身にさせると約束された。
  • どうすればそうなるかは、本願成就文に「名号を聞く一つ」と説かれている。
  • 映画を見た人からどうすれば願船に乗せて頂けるのか、修行をしなければいけないのか、学問が必要ではないのか、そうではなくて聞く一つ。
  • そのことを生々しく言われているのが歎異抄第二章。
  • 命がけで関東から京都の親鸞聖人のところへきた同行に対して「総じてもって存知せざるなり」といわれた。これは「知りすぎていることを聞いてくるもの」に対して言われる「知らん」のこと。
  • さらに「法然上人にだまされて地獄に堕ちても公開しない」といわれている。これは、田畑を売ってでもという気持ちで親鸞聖人に聞きに来た同行に対して、はやく同じ身になって欲しいと思われてのことである。

少し長くなったので、参加者から聞いた話と、私が知るところの高森顕徹会長の考えからさらに一行で要約すると以下のようになります。

ワシ(高森顕徹会長)は、知りすぎるくらいハッキリと分かっているので、田畑売ってもワシの話を聞きに来い、騙されて地獄へ堕ちても後悔しないというくらいの気持ちになったのが信心である。

こう書くと身も蓋もない話ですが、こんな話を遠路はるばるやってきて、一日聞いて帰る会員のみなさんの足取りは、歎異抄第二条に出てくる関東の同行と同じでしょうか?

ざっと内容を聞くと、おかしなところが3点あります。

  1. 阿弥陀仏の本願(18願)は、「信楽にする」「絶対の幸福にする」本願ではありません。
  2. 歎異抄2条の「総じてもって存知せざるなり」は「知りすぎた知らん」というものではありません。
  3. 「たとい法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄に堕ちたりとも、さらに後悔すべからず候。」の部分を知識帰命への誘導に使っている点。

1 阿弥陀仏の本願(18願)は、「信楽にする」「絶対の幸福にする」本願ではありません。

2018年03月25日のアニメ映画解説を受けてか、公式サイトが03月28日に更新されていました。
shinrankai.jp

漢字36文字で誓われていますが、今日の言葉では、「すべての人を、必ず助ける、絶対の幸福に」となります。

今回は【保存版】とあるので、親鸞会の公式見解ということになります。ここでも、「絶対の幸福に助ける」のが阿弥陀仏の本願だと主張します。
高森顕徹会長の解説では、「絶対の幸福=信楽」なので、会員は違和感がないかも知れません。しかし、本願文を言い替えた同じく歎異抄の言葉と比較すると相当違うことが分かります。

本願を信じ念仏を申さば仏に成る(歎異抄12条 浄土真宗聖典 (註釈版) 第ニ版P839)
(現代文)本願を信じて念仏すれば必ず仏になる

https://goo.gl/eoHsFq

阿弥陀仏の本願は、「本願を信じて念仏するものは必ず浄土に往生させる。仏にしてみせる」というものです。
それに対して高森顕徹会長の解説は、「すべての人を、必ず助ける、絶対の幸福に」です。
本願の内容で大事な部分は「すべての人を浄土に往生させる」であって、ではどんな人が浄土往生できるのかといえば「本願を信じ念仏申す」者です。
仮に、「信楽=絶対の幸福」と定義しても(これも間違いですが)阿弥陀仏の本願は「すべての人を信楽にする」という本願ではなく、「本願を信じ(信楽)念仏するものを必ず浄土に往生させる」という本願です。

2 歎異抄2条の「総じてもって存知せざるなり」は「知りすぎた知らん」というものではありません。

この「知りすぎた知らん」は高森顕徹会長が、ずっと以前から言い続けている説明です。
ただ、この歎異抄2条は、最初から読むと分かりますが、念仏が浄土に生まれられるものなのかどうかを尋ねてきた関東の同行に対して以下のように言われています。

親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと(法然)の仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり。念仏は、まことに浄土に生るるたねにてやはんべらん、また地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもつて存知せざるなり。(歎異抄2条 浄土真宗聖典 (註釈版) 第ニ版P832)

https://goo.gl/hguooc

法然聖人より「ただ念仏して阿弥陀仏に助けられよ」との仰せを頂いてそれを信じているだけです。念仏で浄土に往生するか、地獄に堕ちるかは私には全く分からない(そんな智慧はない)


「念仏で助かる」というのは、阿弥陀仏が選択された行だからです。ですから、念仏で助かるかどうかということは、実際のところその仕組みは阿弥陀仏でないと分かりません。親鸞聖人は、その阿弥陀仏の仰せをそのまま伝えられた善知識方の仰せを信じているだけという立場で話をされ、「私に聞いても、私に分かる智慧はない」といわれているものです。


仮に高森顕徹会長のいうように「知りすぎた知らん」というのならば、信心を獲た人は、阿弥陀仏でないと分からないことが「知りすぎるくらい分かる」ということになり、歎異抄で言われている内容と異なります。

3「たとい法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄に堕ちたりとも、さらに後悔すべからず候。」の部分を知識帰命への誘導に使っている点。

たとひ法然聖人にすかされまゐらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず候ふ。そのゆゑは、自余の行もはげみて仏に成るべかりける身が、念仏を申して地獄にもおちて候はばこそ、すかされたてまつりてといふ後悔も候はめ。いづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。(歎異抄2条 浄土真宗聖典 (註釈版) 第ニ版P832)

https://goo.gl/PzJb1A

この部分は、かつて高森顕徹会長も「知識帰命に読み違える人がいる」「だから歎異抄はカミソリ聖教といわれるのだ」と言ってた部分です。


しかし、今回の解説はその「知識帰命」に会員を誘導しています。「法然聖人になら騙されて地獄へ堕ちても後悔しない。これが私の信心であり、その身に関東の同行も早くなってもらいたい(大意)」という説明をしたそうです。
ここは、元々「本来地獄へ堕ちないようなものが、地獄へ堕ちたなら騙されたという後悔もするだろうが、もともと地獄が家の者にとってはそんな後悔は起きない」という意味です。「法然聖人になら騙されてもいい」と「法然聖人個人を崇拝して」いわれた言葉ではありません。


これを聞いた会員の多くは、こう受け取っています。
高森顕徹会長から聞き続けて本当に助かるのだろうかと思った自分が愚かだった、親鸞聖人のように『騙されても地獄へ堕ちても後悔しない』とならねばならない」

これは誇張でもなんでもなく、私がかつて親鸞会にいたころに講師部、熱心な会員から何度も聞いたことです。

まとめ 「ワシを疑うなよ」と言いたい高森顕徹会長

最近になり、退会者が相次ぎ、さすがの高森顕徹会長も「会員は自分を信じていないのでは」と疑心暗鬼に陥っていることでしょう。無理もありません、親鸞会を立ち上げた昭和30年代は男性の平均寿命は65歳前後でした。長生きしたとしても、70歳くらいには自分の人生は終わると思っていたことでしょう。


高森顕徹会長が、70歳の時1998年(平成10年)でした。そのころは、チューリップ企画から「世界の光親鸞聖人シリーズ」を立て続けに出し、自信に満ちあふれていた頃でした。そのころ私は親鸞会講師部員になりました。当時を振り返ると、今の親鸞会高森顕徹会長の状況はとても想像できませんでした。一番想像していなかったのが、高森顕徹会長でしょう。
自身が、得意の弁舌で真宗教義にないことを言い続けたことが、ネットを見る限りでも完全に論破される日が来るとは思ってはいないでしょう。


そんな高森顕徹会長が、映画「歎異抄をひらく」に書こうとしている内容の一部は、今回の話でも十分よく分かりました。会員から疑われているのではないかという思いに苦しむ高森顕徹会長は、「ワシを疑うなよ」「親鸞聖人も、法然聖人になら騙されても後悔しないと言われているではないか」と言いたいだけの話でした。

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特別ネットを見なくても、多くの会員の心には「本当に高森顕徹会長のいう話は真宗教義なのだろうか」という疑念があります。その心を押し殺すのが「求道」と思っている会員は一度冷静になって下さい。決して「どの道自分は地獄へ堕ちても不思議のないものだから、高森顕徹会長に騙されて地獄へ堕ちても後悔しない」とは思わないで下さい。


なぜなら、そんな貴方を救う阿弥陀仏の本願があるからです。「本願を信じ念仏を申さば仏に成る」のが本願です。必ずただ今救われます。