親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

「親鸞会への入会」を第一にしなくなった親鸞会の変化

shinrankaidakkai.hatenablog.com
2021年1月に、上記の記事を書きました。

2022年6月現在の宗教法人浄土真宗親鸞会の現状はどうなっているのかについて今回は書きます。
以前の記事で「仏教動画見放題団体」になるのではないかと予想しましたが、現状はそれとは少し違っています。それは「宗教法人浄土真宗親鸞会」が、事実上解体しつつあるということです。

勧誘された人は必ずしも親鸞会への入会を勧められない

現在、親鸞会ではネットを中心にした勧誘と、チラシ配りをして一般会場での公開講座による勧誘を行っています。もちろん大部分は親鸞会だと名のらずに勧誘を行っています。ただ、以前と違うのは、勧誘により親鸞会公開講座やネット動画を見た人への導線です。

以前は、親鸞会への入会の勧めしかありませんでした。しかし現在はそれに加えて主に以下の二つのサービスへの入会を勧めているようです。

令和御坊

わかる仏教コミュニティ|令和御坊

浄土真宗学院

浄土真宗学院

令和御坊について

「令和御坊」は、親鸞会講師の菊谷氏の名前で運営しているwebサービスです。主にYoutubeでの動画を続けて見ている視聴者と、学生や青年層が主な対象となっています。
以下がその内容です。

「令和御坊」より

令和御坊とは|令和御坊
Youtubeチャンネルと平行してこれだけ動画を作り、Zoomでの質疑応答をしているのはすごいことだと思います。

浄土真宗学院について

こちらについては、以前の記事を参照下さい。
shinrankaidakkai.hatenablog.com
こちらは、よく見ると「浄土真宗親鸞会」と明記されている親鸞会公式のネット真宗講座サービスです。こちらは、ネット広告や無料冊子などから入ってくる人が多いようです。こちらは、令和御坊とは違い主に中高年が中心となっています。実数は分かりませんがこちらの会員数も相当な数だと聞いています。こちらは3コース用意されており、月額料金が高いコースだと、高森顕徹会長の過去の法話のいくつかが視聴できるようです。

あいまいになる「親鸞会会員」と「浄土真宗学院会員」「令和御坊会員」

令和御坊は、月額1000円ですが、御布施という制度が有り各人が希望の額を御布施するようになっています。また、浄土真宗学院の会費は、親鸞会会員の会費とそれほど変わりません。実際に一人当たりの会員が会費などで納めている金額は、親鸞会会員のある程度活動する会員とそれほど変わらなくなっています。
積極的に勧誘活動をしない人にとってみれば、高森顕徹会長の法話も過去の録画の配信、講師によるZOOMによる講義や動画の解説が中心となると、親鸞会会員との違いは、機関紙が配布されているか、「親鸞会会員という自覚の有無」くらいしかないのが現状です。

親鸞会活動会員の動機づけの変化

以前は、親鸞会への入会こそが「絶対の幸福への唯一の道」と信じていたので、活動している講師も会員も親鸞会への入会を懸命に勧めていました。なぜそう信じていたかといえば「高森顕徹会長こそ真仮の水際を説ける唯一の先生であり、この先生しか私たちを導くことのできる人はいない」という前提があったからです。それに加えて、「高森顕徹会長の話は直接聴聞するのが一番」「ビデオ法話では信心決定できない」などと会の中ではいわれていました。

しかし、現在は高森顕徹会長の体調を理由に、人前で話をすることがありません。このコロナ禍で2年以上親鸞会館(富山県射水市)へ足を運んだ事がないという会員も多くいます。そして月に2回行われる高森顕徹会長の過去の録画配信を、学徒タブレットやパソコンで聴聞しています。以前のように「親鸞会に入会しなければ高森顕徹会長の話を直接聴聞できない」ことは現実にない現状では、活動会員が親鸞会に入会を勧める動機付けはなくなりました。

そこで現在の活動会員が勧誘をする目的は「教えを弘めること」以外にはありません。もちろん宗教法人である以上は「その教えを弘めること」は、設立目的の大きなものです。ただ、先に書きましたように以前の親鸞会は「高森顕徹会長の話を直接聞いてもらうこと」が「教えを弘めること」と完全にイコール関係になっていました。そのため、高森顕徹会長の直接の話をいかに多くの人に聞いてもらうかという目的に向かって、あらゆる活動を行ってきたのが親鸞会です。1万年堂出版を設立したのも、アニメ映画を作ったのも、巨大な2000畳の大講堂を建設したのもその目的によるものです。

しかし、「高森顕徹会長の話を直接聞いてもらうこと」がなくなった今、「宗教法人浄土真宗親鸞会に入会してもらうこと」が「教えを弘めること」とイコールにならなくなっているのが今の親鸞会です。

運営側の意識の変化

親鸞会を運営する側の視点に立つとこの変化はとても大きなものです。現在の親鸞会館が完成する前から、運営側の目的は「高森顕徹会長の法座を満席にすること」が一番だったからです。これは、「親鸞学徒は常時前進」と常に以前より参詣者が増えることを目指している高森顕徹会長の強い意向に従ったものです。そのため「2000畳の親鸞会館での満堂ありき」ですべての活動は計画し、実行されてきました。毎年の参詣目標や新規入会者目標も、そのためのものです。

しかし、「満堂にせよ」という高森顕徹会長が法座に立たなくなった現在、運営側の意識は「満堂ありきで作ったあらゆるものを如何に維持するか」に変わりました。加えて、最終的な意思決定が高森顕徹会長ではなくなったことによりそれはよりはっきりした形となりました。

「一人なりとも、人の信をとる」から「維持管理」へ

以前は「教えを弘める」ことは、親鸞会では「一人なりとも、人の信をとる*1」ことでした。目的は、「一人でも多く信をとる人があらわれること」としていました。

それは、高森顕徹会長が話をすることが前提の話だったため、それがなくなった現在は「親鸞会を維持管理すること」が目的で、「教えを弘める」はそのための手段となりました。そのため、「教えが弘まる」のであれば、親鸞会への入会は必ずしも必要ではなくなりました。「浄土真宗学院」でも「令和御坊」でも、今後あらわれるかも知れない団体でもサービスでも、会費を出す人が増える事で「親鸞会が維持管理」できればよいというのが、現在の運営側の考えです。

「絶対の幸福(無上の幸せ)になれます」に誰も責任を取らない

以前は、この勧誘文句に対していわゆる説明責任を取る立場にあったのが高森顕徹会長でした。しかし、現在はその高森顕徹会長も話をすることがなくなったため、その役目を別の人が担わなければなりません。そこについて「聴聞に極まる」と連呼するだけで、「何を聞くのか」「誰がその話をするのか」については全く誰も言わないのが、現在の親鸞会です。最近親鸞会に入会して、辞めたという人から聞く話で一番多いのが、先に書いたように「聴聞が大事ですという話以上の話が何もない。何を聞くのかの話がない。」というものです。

「信心決定の身になれる」と実は誰も思ってない運営側

主に運営側の人間は、「高森顕徹会長の話を聞く事が信心決定への唯一の道」と信じて活動をしてきたので、現在はその「唯一の道」がなくなった状態です。「高森顕徹会長」と同じように話をする人が会のなかで誰もいないことは、長年の会員ならよく分かっていることです。
むしろ、運営側の人間ほど長年高森顕徹会長の側で、真剣に聴聞してきたのに救われなかったという経験があるために、高森顕徹会長の話がなくなった現在は「もう信心決定できそうにない」と思っている人が多いと思います。
そういう考えもあって「せめて高森顕徹会長の作られた親鸞会を護っていこう」というのが、運営側の意識です。維持管理の為に、必要なことは何でもやろうというのが、今のいろいろな媒体を使っての勧誘活動です。そういう意味では、「親鸞会を名のらずに勧誘する事」は善いか悪いかという問題ではなくなっています。「親鸞会を維持管理できるなら(その費用を確保するためなら)」、どんな団体名でも、どんな会社でも構わないというのが今の親鸞会です。

しかし、阿弥陀仏の本願は、どんな人でも必ず救って下さいます。誰の話を聞いてきたとか、どんな団体にいるかは関係ありません。ただ今助けると南無阿弥陀仏が貴方を救って下さいます。

最後にお知らせ・親鸞会を辞めようかと迷っている講師部・親友部の人へ

最近、元会員の方から「会社の採用の部門にいるので、もし親鸞会を辞めても生きていく手段がないという方には仕事を紹介します」と案内をされました。
会社名や、仕事内容について詳しく知りたい方は、以下のアドレスまでお願いします。元会員の方と連絡をつけます。yamamoyama@gmail.com
生きるために親鸞会に残るのか、救いを求めて生きるのかは自分で考えてみて下さい。

*1:一 一宗の繁昌と申すは、人のおほくあつまり、威のおほきなることにてはなく候ふ。一人なりとも、人の信をとるが、一宗の繁昌に候ふ。しかれば、「専修正行の繁昌は遺弟の念力より成ず」(報恩講私記)とあそばされおかれ候ふ。(御一代記聞書)