親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

ネットから親鸞会に入会した人から聞いた話で見えてきた親鸞会の現在

昨年来、コロナ禍ということもあり親鸞会でもネットを使っての勧誘が盛んに行われています。

そこで、そこを入り口に親鸞会に入会した(入会を勧められた)という人の話を何件か聞きました。

そこで共通しているのは、「仏教を学ぶにはいいのかもしれないけれども、最初の何ヶ月かで同じことの繰り返しになり先が見えなくなってやめたくなった」というものでした。


親鸞会では、私がいたころから「同じ話を聞け」と繰り返し教えられていました。しかし、ここ最近は様子が違っていました。
では、どんな話がされているのかを簡単に書くと以下のようです。

  1. ネットで親鸞会が解説しているネット講座(またはメールマガジンなど)に入る
  2. ZOOMを使った複数名対象の講義やLINEなどを使った一対一の講座を受ける。
  3. 仏教用語の基礎的な話(仏とは、お釈迦さまの一代記など)
  4. 浄土真宗用語の基礎的な話(阿弥陀仏とは、アニメを使った親鸞聖人のご生涯。ただし念仏の話はありません。)
  5. 絶対の幸福になれる。
  6. それには聴聞(話を聞くこと)
  7. 高森会長のネット中継や他の講師の話をネットで聞く
  8. 何を聞いたらいいのでしょうか?と疑問に思って質問をする。
  9. →とにかく話を聞いて下さい。

このようにある程度親鸞会教義での話を続けて聞くと、数ヶ月で「絶対の幸福になるには、話を聞くしかない」という話に行き着きます。
参加者が「何を聞いたらいいのですか?」と訪ねると「同じ話を聞くのです」の繰り返しとなり、しばらく話を続けて聞いても「絶対の幸福になるには話を続けて聞くしかない」から少しも話が変わらないとのことです。


何が以前と変わったかと言えば、以前は「高森顕徹先生の話を直接聞いてください」「富山の会館に参詣しましょう」の部分がなくなった点です。確かにここ最近は富山での高森顕徹会長の話はネット中継をタブレット端末などで受信することはできるのですが、「中継」とは言いながら実際は過去数年の高森顕徹会長の録画です。また、その「ネット中継」とされる録画も行事日から一週間は視聴が可能となっています。


加えて言えば、ここ数年の高森顕徹会長の話は映画「なぜ生きる」映画「歎異抄をひらく」に関係した話ばかりで、古株の会員からもあまりよい評判は聞きません。いろいろと問題はあるものの数十年来書き続けてきた縦の線と横の線をあまり書かなくなったのもこのころです。あれほど繰り返し強調してきた「信心決定」「信心獲得」も言わなくなりました。
勧める講師の側も、過去のビデオということもあり「とにかく聞いてください」とは強く言えないのが実際のところではないかと思います。

「絶対の幸福になったらどうなるんですか?」

そこで直接高森顕徹会長の話も聞いたことがないここ最近の入会者や入会前の人からすると当然の疑問となるのが、「絶対の幸福とはどんなものなのか?」「どうしたらなれるのか?」です。


私が大学1年生で入会したころは、「絶対の幸福は、絶対の幸福になった人から聞かねばなることができない。すなわち高森顕徹先生から聞かねばなれないのだ」と聞かされていました。当時は毎週高森顕徹会長の法話があり、学生部の先輩は毎回のように参詣していたので「そういうものなのか」と思いました。また、先輩たちが「絶対の幸福」になっていないことがやがて分かったときも、「絶対の幸福になった高森先生から聞けるのだからいつかは自分もなれる」と信じていました。


やがて私が講師部員になった時も、縁のある人にする話は基本的に「(私もまだ絶対の幸福ではありませんが)絶対の幸福になった高森先生から直接聞いてください」でした。親鸞会講師の話は、全て「高森先生の法話に誘うのが目的」の話になっていました。


しかし、去年や今年入会した会員からすると、会ったこともない高森会長よりも、日ごろ話を聞く講師に先にあげた疑問をぶつけることになります。
そこで、「絶対の幸福になったのでしょうか?なったらどうなるのですか?」と親鸞会講師に質問をしたところ、以下のような返答が返ってきたそうです。

親鸞会講師)「絶対の幸福は心の世界だから、口に出していうことはできません。なったら分かりますので重ねて聴聞してください」

私もさすがにそんな回答を聞けば、親鸞会を続ける気は起きないだろうなと思いました。親鸞会の話のいわば肝心要の「絶対の幸福」について、語ることができる人が事実上誰もいないのが現状だからです。

「入り口はあっても出口がない」から「入り口がない」へ

以前は親鸞会は「入り口はあっても出口のない団体」と批判をされていました。どういう意味かといえば「どんな人も絶対の幸福になれます、聞く一つです。絶対の幸福になった高森先生から聞いてください」という入り口から「自分も絶対の幸福になれるかも」と入会してみると、そんなに多くはなくても「絶対の幸福になった」といわれる会員の人もいるのですが、どれだけ活動に邁進してもいわゆる「横の線」を進んでいる実感もないまま時間だけがすぎ、気がつけば自分よりはるかに会員歴も長い多くの講師や幹部会員に「絶対の幸福」という出口に出た人がいないことから言われたものです。


それが現在の親鸞会は「絶対の幸福になれます」とはいうものの、以前と違い現状は「誰もなった人はいないけれども、貴方は絶対の幸福になれます」に変わりました。これではネットで幅広くいろんな人を誘ったとしても、この入り口に入る人はいないので、「入り口がない」のが今の親鸞会です。


これまで親鸞会における「絶対の幸福」についての信用は、高森顕徹会長一人が担ってきました。少なくとも私が所属していたころ「絶対の幸福になった」という前提で話をしている講師はいませんでした。
現在、高森顕徹会長が事実上不在の親鸞会は、教義の中心である「絶対の幸福」は言葉はあっても誰もなったことも説明のできないものとなっています。「絶対の幸福」が抜けた親鸞会は、ネットで宣伝をしている「ブッダに学ぶ生き方教室」になるしかないと思います。

浄土真宗の教えを学びたいという人でも、親鸞会に入ることはお勧めしません。まして、浄土往生の身に救われたいと思う人は別のところを探してください。