2020年10月17日(土)18日(日)親鸞会館(富山県射水市)にて、親鸞会主催の報恩講が行われました。
パンフレットに掲載されている行事内容と、実際の行事が異なっていました。
以下のように、プログラムは掲載されています。
プログラム上では「ご講演」とあり、高森顕徹会長が講演をすることになっています。
しかし、実際は2018年の降誕会での高森顕徹会長の講演ビデオの上映でした。8月の降誕会・追悼法要も1日目が過去のビデオの上映で、2日目が事前に録画をした映像の上映でした。どちらにも共通しているは「高森会長の都合(体調など)で、本日の講演は過去のビデオの上映となります」という案内が一言もないということです。
現在会員の方はよく知っておられることですが、今年の3月の途中から会員の前で話をしていません。コロナ禍ということもあり、親鸞会館での行事は基本的に毎回ネット中継をされ、途中から入場制限を設けて一部の人のみ親鸞会館に足を運ぶ形になっていました。その間、二千畳講演会、二千畳Q&A、先生と学徒との対話と行事は日程に掲載され、当日親鸞会館からネット中継もされていますが、4月以降は全て過去の高森顕徹会長のビデオ配信でした。
高森会長の休みが続くのも前例はあったので、会員の中でもそのうちまた高森先生は話をされるのだろうという漠然とした希望はあったと思います。しかし、毎回のネット中継は、「過去のビデオです」という案内もなくビデオ法話が配信され、8月の降誕会・報恩講では以下のようなことがあり段々と会員の心も変わってきたと思います。
2日目のときに家でネット聴聞していたところ、休み時間に突然支部長から【高森先生、直接お話しくださっておられます】というタイトルのメールが流れてきました。今まで聴聞中にこんなメールをわざわざ送って来ることはありませんでした。 ???と思いながらも聴聞していると、最後に先生のいる別部屋でアシスタントをしていた山本講師が、突然壇上にワープしたようなカメラの切り替えがあり、先程の高森先生のお話は録画だったとすぐに分かりました。
先月辞めた元会員さんによる「なぜ今ごろ脱会したのか?」について - 親鸞会を脱会した人(したい人)へ
とはいえ、私も報恩講には半日でも同様の事前収録した会員からすれば始めて目にする話の映像が流れるのか、調子がよければ高森顕徹会長が会員の前で話をするのではないかと思っていました。しかし、それもなく、今回は親鸞会の報恩講では初の高森顕徹会長が全く出てこない行事となりました。
参加された方から行事の様子を聞いた時に私の頭に流れてきたのは「思い出のアルバム」でした。
こんな曲です。
おもいでのアルバム
現役会員や元会員の方は音楽を流しながら以下の記事を読んで下さい。
今回の報恩講は、パンフレットを作った人たちも「高森先生はきっとみんなの前で話をして下さる」と思っていたと思います。また、会員の多くも「半日くらいはそれでも話をされるのではないか」と思われていたことでしょう。
しかし、現実は高森顕徹会長の姿は会場になく、過去の元気だったころのビデオ法話が上映され、2日目にはまだ親鸞会が元気だったころの弁論大会でよかったものを編集したものが上映されました。どれもみな過去の映像ばかりで、現在の高森顕徹会長の状況についての案内もなく、またこの先の行事がどうなるかという未来のことも一切ありませんでした。私も今回の事で、もう高森顕徹会長が会員の前で話をすることはほぼなくなったのだと思いました。
みんなが一堂にあつまって過去の映像や過去のことを思い出す行事といえば、卒業式です。
まるで今回は、親鸞会の卒業式のような行事でした。
次の年始の初聞法会、または来年の降誕会には高森顕徹会長が出てこない前提での行事に変わるのではないかと思います。
親鸞会は「高森顕徹会長の話を聞くための会」という実態から、看板どおりに「浄土真宗の法話を聞く会」に変わらなければならない時が来ました。もし、今後も「高森顕徹会長のビデオをみんなで見る会」を続けるのであれば、目的が自身の後生の問題ではなく、ただただ「高森顕徹会長の話を聞く」ことになっているということです。