親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

機関紙で平成の親鸞会を振り返る(3)

shinrankaidakkai.hatenablog.com
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今回で、最終回です。平成21年から31年までの親鸞会を振り返ります。
この期間は、富山の聞法ドメインから一転して、各地域会館建設と映画「なぜ生きる」でほぼ終わりました。

平成21年(2009年)テレビ座談会始まる。

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親鸞学徒の本道というのは、このころよく使われたフレーズです。


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勇躍するビデオ講師。このころ、ビデオ講師が高森顕徹会長の御法話ビデオを各地で上映して話をする活動が推奨されていました。

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F館着工。同朋の里の宿泊施設です。最上階は高森顕徹会長専用になっています。

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テレビ座談会による世界同時報恩講
きっかけは、新型インフルエンザの流行による行政指導で、一ヶ所に多くの人が集まる行事ができなくなったことです。そのため予定されていた11月7・8日の親鸞会館での報恩講が開催できなくなったことになりました。しかし、これがきっかけでネットの会議室サービスを使ってのテレビ座談会が始まりました。
「富山に行かねば高森会長の話は聞けない」と言い続けたにも関わらず、ネット経由で世界中の会員が話を聞けるようになり、2000畳の大講堂は何のために作ったのかという疑問がこのころからあらわれて来ました。


平成22年(2010年) テレビ座談会続く。ネットの批判に反論する顕真

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テレビ座談会続く。

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高森顕徹会長の著作「歎異抄をひらく」に伝統教団から反論がないシリーズが始まる。


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同朋の里にてダム工事始まる。今見ると、なぜ必要なのか分からない施設の一つです。


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mixi上で退会者と親鸞会による三願転入についての議論が始まる
mixiにおける三願転入の法論1 - 親鸞会法論惨敗の記録~飛雲より


顕真で「宿善と聴聞と善の勧め」はじまる。


この頃から、高森顕徹会長の話や機関誌掲載の教義的なものは、退会者からの批判に対するものになる。

平成23年(2011年) 親鸞聖人750回忌・芳野作戦始まる・親鸞聖人の花びら発刊

東日本大震災で谷川秀大講師が津波の犠牲になる。

ビデオ法話の最中に地震が発生し、津波警報が出る中、「ビデオ法話中に避難をしてよいか」と上司に許可を取ろうとして、返事を待っている間に津波で亡くなられました。こう聞くと、親鸞会を知らない方からすれば「どうして避難しなかったのか?」と疑問に思われるかもしれません。しかし、親鸞会講師は長年「法話に関する遅れ、忘れ、苦情」については様々な指摘会合を行ってきました。そのため、たとえ津波警報が出ていても上司の許可を得なければ日程表に書いた法座を中断することはできません。
親鸞会という、「上司の指示には絶対服従」の組織の被害者です。


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芳野作戦とは、親鸞会が富山県芳野に会館を造ってから発展してきたことをうけて、全国に会館を建てることによって親鸞会をより発展させようというものです。これから、今日まで全国に会館が建設されていくことになります。


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3月号「正統派」の表現始まる。伝統教団を「正統派」親鸞会を「異端」とする表現が始まる。外部からの批判を受けて親鸞会の意識の変化はこのあたりにも表れています。



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親鸞聖人の花びら 発刊。これ以降高森顕徹会長の著作は出ていません。

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親鸞会 能登会館落慶
各地の会館が次々と完成する。
数が多いので書きませんが、これから平成の終わりまで各地の会館建設は続いています。


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750回忌も、以前の参詣者を超えることなく終わりました。
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ずっとゴールがない親鸞会


平成24年(2012年) 各地の会館一色・アニメ講師(後の親鸞講師)が増える。

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アニメ上映が盛んになる。
各地での開発法座が高森会長のビデオ法話からアニメシリーズ「世界の光・親鸞聖人」の上映会に変わっていきました。振り返ると、このころすでにアニメ映画「なぜ生きる」の企画・制作が進行していたことが分かります。
なぜなら、多くの会員にとってアニメシリーズ「世界の光・親鸞聖人」は親鸞会活動のメインではなくなってから随分と時間が経っていました。当初のVHSからDVDへの切り替えがあったくらいで、アニメ「親鸞聖人」で新規会員を増やそうという活動はしばらくありませんでした。


それに加えて、これまでの会員の中で退会者が相次ぎ、新規の会員も頭打ちの状況を変える為に、取り扱いの制限が大きい「高森会長のビデオ法話映像」から、誰でも扱えるアニメ「親鸞聖人」に切り替えることで、活動員を増やし会員増加を目指しました。


しかし、その結果起きたことは長年続けてきた会員の意欲低下でした。直接的な理由はビデオであっても「高森会長の話」を聞く機会がぐっと減ったためです。なぜなら、ここまでいろいろと無理のある同朋の里建設について来た会員は、別の言い方をすると「高森会長の話が聞けるから会員を続けている人」なのです。それらの人にとってビデオ法話であっても高森会長の話を聞けなくなるのは大いに意欲が低下します。また、それに代わってに上映されるのが、すでに何十回と見てきたアニメシリーズ「世界の光・親鸞聖人」ですから口には出さなくても、意欲は低下していきます。

それにともない、アニメ講師から親鸞講師制度始まる。親鸞講師とは、各地で「世界の光親鸞聖人シリーズ」のアニメ上映を専門とする人のことです。
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それから、前年に続き各地で会館が建設されました。

この年ネット上に親鸞会講師(身分を隠す)が増える

平成25年(2013年) 結成55周年 なぜ生きる2発刊 会館建設続く アニメ弘宣続く

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結成55周年大会でしたが、活動現場に疲れが見えてきたのもこのころです。

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12月なぜ生きる2発刊
特徴は「三願転入」に力を入れて書いたところです。上記に書いたmixi上での三願転入批判に対して、顕真で続けて反論を続けて来ましたが、いよいよ高森顕徹会長が本として書いたものです。ただ、この内容についての批判も多く出ました。

『なぜ生きる2』: 飛雲 ~親鸞会の邪義を通して~
なぜ生きる2について カテゴリーの記事一覧 - 親鸞会を脱会した人(したい人)へ


そのことを踏まえてか、その後の新聞広告でもこの「なぜ生きる2」はあまり強調されることはありませんでした。

平成26年(2014年) 会館建設続く この年もほぼ会館建設一色でした。

平成27年(2015年) 二千畳10周年報恩講

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学徒タブレットが配布される。
これは、タブレット端末に、親鸞会作成の親鸞会教義解説動画を入れたものです。活動する会員が、自分で話は出来なくてもこのタブレット端末を人と一緒に見ることで新規会員を増やそうとしました。

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記念大会がここ数年続きましたが、親鸞会が思うほどには会員の熱量は上がりませんでした。

平成28年(2016年)映画「なぜ生きる」公開

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映画「なぜ生きる」オフィシャルサイト
平成13年に発刊した「なぜ生きる」がまさかのアニメ映画化をしました。全国的に映画館で上映がされ、会員が動員されました。特に幹部会員には、前売り券を大量に購入することを推進していました。前売り券つかって知人と一緒に映画上映に行くことが、活動目標となり自分を含めてのべ100枚の前売り券を使って映画を見た人(100了顕)対象の懇親会(高森顕徹会長も出席)が行われました。

ラジオ番組「浄土真宗親鸞会の時間」放送開始

平成31年4月からは「一万年堂出版の時間」(内容は「なぜ生きる」朗読)に変更
ラジオ放送「1万年堂出版の時間」が4月から始まります | 1万年堂出版
「西本願寺の時間」と並んで放送される。

平成29年(2017年)シネマ学院完成・移動映画館

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同朋の里に、シネマ学院が完成しました。とてもよい映像と音響設備を備えた建物で、ここで映画「なぜ生きる」が上映されます。後に、映画「なぜ生きる」がブルーレイ&DVDで一般発売されるようになり、ここもなんの為に造ったのかよく分からない施設です。

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移動映画館が増える。
大型バスを改造して、移動式の映画館を作りました。これにより各地で、アニメ上映がされるようになりました。
http://todoroki.tv/safety-drive/

なりふり構わぬ顕正目標 名前だけ、会費だけ 立て替えが横行

この年は、特に顕正(新規入会)目標が厳しく、現場では「会費と名前さえ揃えばOK」となりました。その結果、自分の身内の名前を用紙に書き、会費も自分が払う形で入会したということにするケースが続出しました。

平成30年(2018年)歎異抄をひらく 10周年 結成60周年 布教講師制度始まる

布教講師制度始まる。

これにより、多くの講師部員が事実上の解雇となりました。布教講師とは、「布教に専念する講師」という意味がありますが、実態は以前の「担当地区」を会から任命されることもなくなり、個々人の講師が「誰かに招待されない限り話をすることもそもそも出来ない」という制度です。それにともないかつて支部長(親鸞会講師)が担ってきたもろもろの事務作業は地元の会員から選ばれた「支部長」の仕事となりました。その後多くの布教講師が実家に帰り、実家暮らしとなりました。


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青年学生婦人大会
大学生の入会者が減り、合同での大会が開かれる。

shinrankai.jp
高森会長の講演を親鸞会が公式にネットで一部無料公開
以前は「高森顕徹会長の法話ビデオをダビングしたら死刑」と言っていた事を思うと隔世の感があります。その後、DVDも発売されました。
shinrankaidakkai.hatenablog.com



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親鸞会結成60周年大会のパンフレット
「結成60周年」より「歎異抄をひらく」10周年が目立つところにこのころの親鸞会は映画「歎異抄をひらく」に集中しているのがわかります。
shinrankaidakkai.hatenablog.com

平成31年(2019年)

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親鸞学徒サイト 浄土真宗オンライン始まる。入会の基準が代わった結果、「高森顕徹会長の話が聞けるから入会しましょう」から「会員限定のサイトにはいる為に入会しましょう」へと大きく変わる。

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『月刊なぜ生きる』の紹介
月刊なぜ生きる発刊

5月1日から令和元年 映画「歎異抄をひらく」公開

法人学徒制度始まる。詳細についてはまた別のエントリーに書きます。



まとめ

平成21年以降は、各地の会館が建設され、アニメ映画「なぜ生きる」でほぼ終わりました。
この間、親鸞会館での高森顕徹会長の法話は、映画解説となりました。これは今後も続くものと思われます。事実上、かつての「高森顕徹会長の法話」は今後もありません。

そして、この間でもう一つ大きな変化は、布教講師制度(事実上の講師部員解雇)です。一部の本部長と副本部長、総務局を除いて親鸞会からはいわゆる賃金も制度上の援助もなくなりました。大半の講師は実家に戻り、かつて縁のあった会員をたよって法話や会合をしている状況です。「なぜ生きるが大事」と言い続けてきましたが、布教講師の多くは「どう生きるか」で日々悩んでいるようです。かつての親鸞会が一度終了したのがこの平成でした。


今回、平成の親鸞会を振り返って見ると続々と続く、建造物や、アニメ、著作、劇場公開映画に目が行きがちですが、この平成30年間は親鸞会が衰退し、解体していった時代だったというのが正直な感想です。ではなぜ衰退していったのかを考えると、その原因は、「高森顕徹会長の法話の回数の減少」です。なぜなら、親鸞会という団体は元々が「高森顕徹会長の話を聞きたい人の集まり」だからです。その「聞きたい高森顕徹会長の話」が少なくなれば、「熱心な親鸞会会員」の熱量が下がっていくのは当然のことです。


その意味では、昭和50年代から平成に入るまでが、高森顕徹会長の法話回数と本人の技量のかけ算による会員の熱量のピークでした。事実、それまで月に20日ともいわれた高森顕徹会長の法話は、昭和の後期にはドクターストップで予定していた法話を度々休んでいます。昭和62年には、約半年間法話がありませんでした。その突然の法話休止の際はその都度、当時の講師歴が長い講師が代理説法をしましたが、それが続くことはありませんでした。その後、高森顕徹会長の法話回数は減少していきます。


その結果として減少していく会員の熱量を、「○○戦」と名づけた「お布施」「アニメ頒布」「お誘い」の「戦い」に駆り立てることで維持しようとしてきたのが平成に入ってからの親鸞会の活動の実態でした。これは、戦争をすることによって支持率を高いまま維持しようとする過去の国家と同じです。しかし、過去の戦争もそうでしたが、「戦い」とは消耗戦であり長く続くとそこに参加している国民はどんどん疲れてきます。

親鸞会においてその「戦い」という熱量を維持するのに欠かせない燃料に相当するのが、「高森顕徹会長の法話」でした。しかし、平成に入ると、以前は全国各地で毎週土日にあり、平日もあった高森顕徹会長の法話は、日曜日のみになり、その後、月に2回になり、富山県の親鸞会館のみにと減少していきました。さらに法話から映画解説になりました。

その結果、補給も休養もないまま消耗戦を続ける戦争のようなもので、会員の熱量も徐々に下がっていきました。それは、私が所属していた平成20年までの間でも感じたことでした。別の言い方で例えれば、ほとんどライブをしなくなったアイドルについて、かつてのファンがファン活動に熱が入らなくなったのとよく似ています。

その「高森顕徹会長の法話」が減り続け、最後は映画解説になるなか、「戦い」という活動を続けて来たのが平成30年間の親鸞会でした。古くから「高森顕徹会長の法話」を聞いてきた会員の「熱量」という資産をひたすら消費し続け、建築物や、アニメ、映画にしていきました。その間「熱量」を使い果たした古くからの会員はどんどん親鸞会を辞めていきました。

その親鸞会がかつて勢いを取り戻すには、高森顕徹会長がかつてのように全国であちこちするしかないのですが、それは現実には実行不可能なことです。
かつては「100の高森、200の高森になれ」と募集をして集まってきた講師部員も布教講師と名づけて切り捨てて、かつての高森顕徹会長のように話をする人も、しようと考えている人も今の親鸞会にはいません。


どれだけ、映画やその映画解説の映像を残したとしても、親鸞会というものが「高森顕徹会長から実際に話を聞く」という団体である以上、高森顕徹会長が話をしなくなった時点で存在意義を失います。


その意味で、平成という時代は親鸞会が昭和からの会員の熱量を消費し続けた時代であり、この令和は親鸞会の存在意義を問われる時代になります。それでも「高森顕徹会長の話」を聞きたい人は親鸞会に留まるのも一つの選択肢です。しかし、「浄土真宗の法話」を聞きたいという人は、全国で開催されていますのでそこに足を運んでみて下さい。