親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

親鸞会の「歎異抄をひらく」が映画化。現在制作進行中(顕正新聞平成30年2月15日号を読んで)

親鸞会の機関紙 顕正新聞平成30年2月15日号の1面は今回も、「歎異抄をひらく」でした。
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あと半月で空白の十年だとのことです。

歎異抄をひらく』ご発刊からいよいよ10年。『歎異抄』の魅力全開で真実開顕できる時節の到来である。
(1面より)

以前のエントリーにも、なぜ今になって十年前の著作を連続して1面に掲載し続けるのかを書きました。

最近その理由がわかりました。タイトルにも書きましたが、この「歎異抄をひらく」が映画化することになり、現在制作進行中だったからです。

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親鸞会会員が聞きたいのは「映画『なぜ生きる』の大悲の願船に乗せられると同時に、私たちの苦しみの人生は、幸せな人生にガラリと変わるとは、どう変わるのでしょうか」ではない理由

2018年(平成30年)02月11日(日)親鸞会館(富山県射水市)で、高森顕徹会長の話がありました。
shinrankai.jp

連日の大雪の中、全国各地から集まってこられた会員のみなさんへは本当にお疲れさまでしたというよりありません。

今回の話は、映画「なぜ生きる」を見た人からの質問

「大悲の願船に乗せられると同時に、私たちの苦しみの人生は、幸せな人生にガラリと変わるとは、どう変わるのでしょうか。」(42ページ)

についての話でした。

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「歎異抄をひらく」を再び大きくとりあげる親鸞会の狙いとは?

昨年まで、映画「なぜ生きる」一色といってもよかった親鸞会ですが、今年はなぜか「歎異抄をひらく」に力を入れて報道しています。
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顕正新聞平成30年2月1日号1面)
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顕正新聞平成30年1月1日号論説)

理由を見ると、この高森顕徹会長の著作「歎異抄をひらく」が出てより今年で10年だそうです。その間、この「歎異抄をひらく」に対する反論書が出ていないということを主張しています。それが「空白の十年」だそうです。


このように切りの良い数字を強調するのは、親鸞会結成60年を迎えるからです。そこで、高森顕徹会長の功績を会員に印象づけるために、このような大げさな報道をしています。

歎異抄をひらく」の裏で「なかったこと」にされた「宿善論争」

親鸞会結成60周年を祝おうという機関紙の企画は分からなくはありません。しかし、公式サイトを見て親鸞会の歴史や高森顕徹会長の略歴を見ても、本願寺派との「宿善論争」が掲載されていないのが気になりました。

宿善論争については、検索するといろいろ出てきますが、一部を紹介します。
shinrankai.jugem.jp
shinrankaishukuzen.seesaa.net
d.hatena.ne.jp
shinrankaidakkai.hatenablog.com

この「宿善論争」は古参の親鸞会会員ならよく知っていることです。かつては、高森顕徹会長が正統な真宗教義の後継者であり、かつ唯一の善知識である証拠のように会の中では喧伝されていました。


しかし、実際のことを言えば、伝統教団(主に本願寺派大谷派)が高森顕徹会長の浄土真宗親鸞会の教義について言及したのはそれ以降ありません。「浄土真宗のなかのちょっと変わった団体なのかな?」と思われている間は、「それはちょっと違うのでは…」という指摘もあります。事実そういう指摘は、過去に親鸞会に向けてありました。ところが、この「宿善論争」で、伝統教団が分かったことは「高森顕徹会長の親鸞会は、浄土真宗ではない」ということでした。高森顕徹会長が、「本願寺なぜ答えぬ」を発刊したのは、1984年(昭和59年)でした。それから34年間、高森顕徹会長が何を言っても伝統教団からの反応はありません。

その後、なんとか伝統教団の注目を集めようと発刊した「歎異抄をひらく」でしたが、それについての言及はとくにありませんでした。学問の世界では、その文章がどれだけ引用され、言及されたかということが一つの影響力の目安になります。それからすると、高森顕徹会長の「歎異抄をひらく」を引用し、言及した「歎異抄解説書」は1冊もありません。


顕正新聞で「空白の十年」と、仰々しく書いていますが、要するに「私の書いた本を引用してください!!!批判でもなんでもいいから、何か言って下さい!!」という、高森顕徹会長の自己承認欲求を紙面に書いているに過ぎません。いわゆる「かまってちゃん」の言葉を、なんとか体裁を整えて紙面にする弘宣局の皆さんの心労を考えると、同情の念を禁じ得ません。
その高森顕徹会長の要請を受け、顕正新聞の一面にもう何年も「真実開顕へ刻む時 ○年○ヶ月」と掲載し、その間「反論書が出ない」から「歎異抄の解説書が出ない」そのうち「二三見えても抜粋のみで……」とトーンダウンしながらも掲載を続けました。
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高森顕徹会長の性格を知らない人がこの紙面を見ると「なぜ十年近く前の自分の著書に反応がないことをここまで機関紙の一面に書き続けるのだろう」と思うでしょう。では、なぜこれほど「歎異抄をひらく」を取り上げるのかは、高森顕徹会長の承認欲求以外にありません。

「褒め讃えられたいのだ!!!」しかない「歎異抄をひらく」の再掲載

この部外者から見て唐突な「歎異抄をひらく」の再掲載(おそらく会員にとっても同様)の理由は、繰り返しになりますが、もう少し露骨に言えば「褒め称えられたい」以外にはありません。
解る人にはわかる、漫画「刀牙道」8巻
刃牙道 8 (少年チャンピオン・コミックス)
より、引用します。これは、科学技術で現代によみがえった宮本武蔵が、何を考えていたのかということを告白する場面です。(もちろん創作なので実際の宮本武蔵がこういう人だったという史実はありません)
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「出世したいのだ!!!誉め讃えられたいのだ!!!」
この後に続くセリフは
「誉められて誉められて誉められて・・・逃げも隠れも出来ぬ身となりたいのだ!!!」

こういう心以外には、高森顕徹会長にはないでしょう。

おそらく、これだけ顕正新聞で記事を書き立てたとしても、「歎異抄をひらく」について言及する本は出ないでしょう。
なぜなら、「歎異抄をひらく」自体は、過去の歎異抄の解説書の焼き直しが殆どで、「こんな解釈はいままでなかった!!」と批判が巻き起こるようなものはないからです。すでに、おかしな点はネット上で散々批判を受けています。
歎異抄をひらく: 飛雲 ~親鸞会の邪義を通して~
hiun.cocolog-nifty.com
shinrankaidakkai.hatenablog.com

明らかに批判を受けた「なぜ生きる」「なぜ生きる2」については、なかったことにして映画を作り、比較的批判が少ないと親鸞会が考える「歎異抄をひらく」を全面に出さねばならないところに、親鸞会の現状が伺えます。「なぜ生きる」に対する反論書が出ないのは、親鸞会に対する伝統教団の認識を考えれば当然のことなので、こじつけで「歎異抄の解説書が出ていない。少しは出てるけどそれは認めない」という無理筋な主張をするしかありません。

かつてのように、「自分たちこそ真宗の正統な後継者」と言えるものが、何もないことのあらわれです。
自身も高齢化し、自分の立ち上げた「宗教法人浄土真宗親鸞会」が、伝統教団から「褒め称えられたい」ことが、今の高森顕徹会長の最大の関心事です。

ここまで読まれた会員の方は、そういう個人の「誉め讃えられたいのだ」に付き合う必要はありません。阿弥陀仏の本願を、正しく説かれるところを探して聞いて下さい。ただ今救われます。

親鸞会公式サイトが刷新されるも、ネット上での名前を隠した勧誘はより巧妙化

親鸞会の公式サイトが新しくなりました。別のドメインを取ってつくるほどの力の入れようです。
shinrankai.jp
これを見てみますと、今までの過去の批判に対してそれを改善しようとする考えが伺えます。


一例を挙げると、高森顕徹会長の写真が掲載されています。
shinrankai.jp

今までは高森会長の名前はあっても写真は公式サイトにも一万年堂出版にも掲載されることはありませんでした。少し前のジャニーズ事務所も驚くほどネット上では写真がありませんでした。これは随分変わったものだという印象を受けました。


また、親鸞会館の行事予定も公式サイトに載るようになりました。
行事案内一覧 | 浄土真宗 親鸞会
これも、以前は公式サイトに掲載される事はありませんでした。というか、公式サイトどころか会の中でさえかつては「高森会長の法話日程は口頭のみの連絡。書面に残るようなものは駄目」という、どこの秘密組織の会合なのかというほどの秘密主義でした。それが公式サイトに掲載されるようになり、また各地の会館の住所や、主に開催している勉強会の一般会場も公開されていました。
shinrankai.jp


また、講師の名前や写真もどこにも出ていないと言うことから秘密主義だと言う批判もありました。それが今回の公式サイトを見るとネット講座募集をして複数の親鸞会講師の名前と写真が掲載されています。
shinrankai.jp


また、LINEやTwitterFacebookYouTubeを使って親鸞会の名前を前面に出して活動しているような印象を受けます。


これで今まであったような、親鸞会に対する批判をネット上からなくすことはできないものの、過去がそうだったけど今は違いますよと言うスタンスを打ち出そうとしたみたいです。
また、別の見方をすると、親鸞会の内部の人間も、親鸞会の勢いはかつてのものではなくなったという自覚からこうなったのではないかと思います。
一例を揚げると、先ほどのジャニーズ事務所のネット上での写真公開のことを書きました。
www.huffingtonpost.jp

2018年01月31日から、ネット上にもジャニーズ事務所所属の芸能人の写真を一部制限付きで公開するようになりました。これは、いわゆるSMAP解散騒動でジャニーズ事務所を離れたメンバーがネットに写真を掲載するようになった対抗措置であり、かつてのように盤石ではなくなったジャニーズ事務所の焦りがそうさせたものです。


今回の親鸞会公式サイトの方針変更は、このジャニーズ事務所の方針変更と全く同じ構造をしています。
かつて、高森顕徹会長も若く、親鸞会の会員も増えていくころには「高森顕徹会長の話を聞きたかったら、そちらが頭を下げて『どうか日程を教えて下さい』と言いなさい」と言わんばかりの態度でした。また、高森顕徹会長自身も「私は多くの人から批判を受けているから、顔写真や日程を公表すると狙われるかも知れない」という自意識から写真も日程も公表してきませんでした。


ところが、時は流れて現在は、高森顕徹会長の話を聞きたいと思う人はそれほどなく、また批判をされることもなくなってきました。これは、真宗関係者が誰も相手にしなくなったと言う意味です。このようにかつての上から目線の態度では、親鸞会館に来る人は増えないという現状に対する焦りから、今回の公式サイトでの情報公開に至ったのでしょう。勢いを無くしつつあるジャニーズ事務所が方針変更をしたのと同じです。

ダミー勧誘はより巧妙化

ここまで書くと、親鸞会はより開かれた団体になったのかと思われる方もあるかも知れませんが、実体は以前の大学でのダミーサークルよりもさらに巧妙に名前を隠して勧誘をするようになりました。

FacebookYouTubeなどを見ても仏教に関するものを検索すると、親鸞会関係者が名前を隠して関与していると思われるものがよく見つかります。
その一部を紹介します。
www.waiwaitv.com

sendai.japan-buddhism.com

sapporo.japan-buddhism.com

www.facebook.com

ameblo.jp

中村僚公式サイト-葬式仏教に反逆し、仏教の生きる意味を現代へ-

こうして見ると、中には高森顕徹会長がいなくなったあとは「仏教講師」として独立しようという考えが透けて見えるものもあります。そういうこともあって親鸞会の名前を出さないのでしょう。


しかし動機は違っても「親鸞会」の名前はないのが共通している点です。これらの講座に熱心に通う人は100%親鸞会館に誘われ、親鸞会に入会を勧められます。事実、被害相談を私も何件も受けています。共通しているのは「最初は何も知らされてなかったけど、ある日親鸞会館に行きませんかと誘われた」というものです。


宗教法人 浄土真宗親鸞会」という看板を掲げるなら、それを一枚看板とするべきで、「親鸞会」と「ダミー団体」の二枚看板では誰も信用しません。教えも間違いで、信用もされない団体に未来はありません。

ブログリンクの追加

以下のブログを、リンク先に追加しました。
yugaomemo.hatenablog.com

親鸞会の「絶対の幸福」は風邪薬のCMと同じ(平成30年1月3日初聞法会より。ベンザブロック『かぜぐすリリック』)

平成30年1月3日に、親鸞会館で高森顕徹会長の初聞法会が開かれました。
その内容については、すでに他のブログでも言及されています。
shingikensho.blog12.fc2.com
hiun.cocolog-nifty.com

内容としては、高森顕徹会長制作の映画「なぜ生きる」の内容についての質問に、会長自身が答えるというものです。今回は、その中の

大悲の願船に乗せられると同時に、私たちの苦しみの人生は、幸せな人生にガラリと変わるとは、どう変わるのでしょうか(42ページ)

が演題でした。

親鸞会会員なら説明するまでもないことですが、会員でない方のために説明しますと、最後の「(42ページ)」というのは、最近の親鸞会会員がほぼお聖教扱いをしている映画「なぜ生きる」シナリオブックのページ数です。最近の高森顕徹会長の話は、その根拠がすべて「シナリオブックの○○ページ」というようになっています。ますます情報統制が進んでいることがわかります。熱心な会員ほど、「真宗聖典」を開くこともありません。そのため高森顕徹会長の断章による間違った真宗教義に気がつくこともありません。これは昨今話題のフェイクニュースによく似ています。


フェイクニュースとは、一部の事実を用いて、あるいは捏造して、その上で自分の言いたいことに都合のいい話を加えて本来そうではないことを伝えるニュースのことです。高森顕徹会長は、「お聖教のご文」という事実を出して、その上で都合のいい解釈を加え、または真宗にない教えを加えることによって、いわゆる「フェイク真宗」を弘めようとしている団体です。

今回の初聞法会に参加された方の話を聞いて感じたことは、その「フェイク真宗」の中でも親鸞会特有の「絶対の幸福」についての違和感でした。最近、高森顕徹会長は新規会員獲得に熱心になるあまり「絶対の幸福」を強調します。今回の質問にある「苦しみの人生は、幸せな人生にガラリと変わる」の「幸せな人生」というのが「絶対の幸福」です。


この「絶対の幸福」こそ、まさに高森顕徹会長の親鸞会をあらわす「一枚看板」ということができます。ところが、この「絶対の幸福」自体は、高森顕徹会長独自の言い回しなので伝統的な真宗教団からはどういう概念が理解されないので、あまり批判もされません。そこでこのエントリーでは「絶対の幸福」とは親鸞会会員どう捉えているのかを、書いてみます。

かつて私も「絶対の幸福」になろうと思って親鸞会に所属していました。その絶対の幸福については、親鸞会では「無碍の一道」とか「二種深信」という言葉に置き換えられて、いかにも真宗のようなイメージを会員に持たせています。しかし、その会員に与えるイメージはいってみれば、風邪薬のCMでいう風邪が治ったようなものです。


少し前に公開された武田薬品工業株式会社のyoutubeにあった「ベンザブロック『かぜぐすリリック』」がまさに、親鸞会のいう「絶対の幸福」だと思ったので紹介します。


この動画は、武田薬品工業株式会社が、自身の風邪薬のベンザブロックのCMをセルフパロディーしたものです。

ベンザブロック『かぜぐすリリック』

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「風邪で苦しんでいる人」
それが風邪薬を飲むと。

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「治った喜び感じよう、両手広げて」(歌詞)

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「どこかへ向かう扉広げて」(歌詞)

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「なぜか早足」(歌詞)

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「ジャンプ」(歌詞)

これが、私が過去感じていた「絶対の幸福」のイメージです。おそらく親鸞会会員の多くは、このイメージを追い求めているのだと思います。何だか不調な状態から、両手を広げて扉を広げるようなイメージです。


しかし、信心決定とはそういうものではありません。そう聞くと親鸞会会員の方は「なーんだ」と肩を落とすかもしれません。とはいえ、こういう風邪薬CMのようなものではありませんが、救われる前と後では違います。


何も変わらないまま、救われるというのが阿弥陀仏の救いです。
ただ今救う本願に、ただ今救われて下さい。

新体制になり最後のカーブを曲がった親鸞会(顕正新聞平成30年1月1日号を読んで)

2018年となり、今年は平成30年です。振り返ると、私が親鸞会を除名になってから10年になります。この間あっというまだったように感じるのも年齢のせいかも知れません。私自身もその間いろいろと身の回りは変わってきましたが、親鸞会も大きく変わっていくようです。

それが顕正新聞平成30年1月1日号に書かれていました。以下、思ったことを書きます。

高森会長の年頭所感は、聞法姿勢の話でした。それに続く、高森光春講師局長と吉村甲子郎総務局長は2月からの新体制についての話でした。

新体制とは何なのかを、以下引用して紹介します。
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今年から新体制となる。われら講師部員は本来の布教戦線に突入する。2月から支部学徒から選出された親鸞学徒は一切を行うことになる。講師部員は一向専念、法施1つに命を懸けるのだ。
広く親鸞聖人のお名前は知られているが、肝心の教えを知らぬ人が圧倒的である。それらの方々を映画『なぜ生きる』にお誘いし「一実・円満の真教・真宗」の教えを大声疾呼するのだ。まさに打って出る秋が来たのである。
同志の親鸞学徒は、自らの聞法と法施に挺身するとともに、“銃後の守り”に団結をお願いしたい。
顕正新聞平成30年1月1日号4面 高森光春布教局長の年頭所感より)

この2月からスタートする新制度で講師部員は、法施のみに生きる本来の姿に専念する。親鸞聖人が、一夜の宿を縁として日野左衛門を済度された如く、高森先生が、京都で辻説法から始められて、やがて家庭に入って親鸞聖人のみ教えを伝えられたように、講師部員が民家を訪問して、心ゆくまで話をする。じっくり時間をかけた法施により、一人一人の胸から胸へと教えが浸透してゆく、それが布教の減点、とのご教導である。
本願寺の衰退を他山の石として、ひたすら親鸞聖人のみ教え一つに生きるのが、浄土真宗親鸞会であることを年頭に心に刻みたい。
(同 5面 吉村甲子郎総務局長の年頭所感より)

まとめると、今までの親鸞会にあった各地の支部は各地に講師部員が支部長として担当し、会員のいろいろなお世話をしてきました。それが今後は会員が支部を運営し、講師部員は新規会員を探す活動に専念するようです。

文中に「打って出る秋が来た」「“銃後の守り”に団結を」と出てくるところを、見ると親鸞会はかつての太平洋戦争で言えば、いよいよ末期に突入してきた感じがしました。

かつては

一 一宗の繁昌と申すは、人のおほくあつまり、威のおほきなることにてはなく候ふ。一人なりとも、人の信をとるが、一宗の繁昌に候ふ。(御一代記聞書)

を引用し、本願寺を「無信心集団」と批判してきた親鸞会でした。そうして、多くの会員はこの会で「信をとる」ことを考えて入会しました。しかし、そうして集まった会員に「あとは自分たちで何とかして下さい」と放り出し、布教戦線と称する人集めに講師部員をほぼ全員使うというのが新体制のようです。

これまで焼き畑農業のように、会員が入会しては多くの会員が退会していき、また別の場所や方法で勧誘することを続けてた親鸞会でした。それでも、残った会員に対して親鸞会側から講師部員が担当となり「法施」をしてきました。今回はそれも打ち切り、持てる人的資源の全てを新規会員を増やす活動に集中することになったようです。

親鸞会で活動していると、「なぜそんなに会員を新規に集めなければならないのか」ということは疑問に思わないかもしれません。確かにいまだ浄土真宗を知らない人が、それを知ることはとても大事なことですが、入会さえしたらあとは放置で、お布施を出せばいいという実体では、結局金集めの為に動いていると言わざるをえません。では、なぜそんなに金が必要なのかといえば、平成始まって以来の30年間つくり続けた施設の数々の建築費と維持管理費が大きな原因です。

会館を満堂にするのは、親鸞聖人の教えを弘める為や「一人なりとも、人の信をとる」ためではなく、満堂にしないと会が潰れてしまうからです。最早何の為に活動をしているのかが、そもそもの設立趣旨からすると変わっているのですが、「新規会員が増えねば会が潰れる」という現実の前には「とにかく今月の入会者を○人」しか親鸞会講師部員の頭の中にはないでしょう。

高森顕徹会長からの指示で、まさに最後の新規会員を増やす総力戦に突入した感のある親鸞会です。遠くない将来残るのは、「シネマ学院」で上映される映画「なぜ生きる」とその解説映像だけになっているかもしれないと、今回の顕正新聞を読んで感じました。