親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

「自信教人信」から「自知教人知」へシフトした親鸞会(顕真2020年9月号より)

顕真2020年9月号を読みました。

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顕真2020年9月号表紙

今回は、8月に親鸞会館で行われた降誕会・追悼法要の2日目に高森顕徹会長が久しぶりに会員の前で話をした(後に事前収録と分かる)内容が主体となっていました。


機関誌としても、高森顕徹会長の久しぶりの話ということで、かなり紙面で特集を組んでいました。

この内容について真偽顕正でも書かれています。
shingikensho.blog12.fc2.com

この内容については、このブログでも記事にして来ました。
「無明の闇=後生くらい心ではない」と自著「なぜ生きる」の間違いについて釈明をはじめた高森顕徹会長(2020年08月10日親鸞会館降誕会より) - 親鸞会を脱会した人(したい人)へ
2020年親鸞会降誕会・追悼法要の内容を参加者はどう受け取ったのか(顕正新聞2020年9月1日号より) - 親鸞会を脱会した人(したい人)へ

今回の顕真ではどう書かれていたのかを紹介します。

真宗においては、専ら自力をすてて他力に帰するをもって宗の極致とする」(覚如上人)
親鸞聖人降誕会(8月10日)では、聖人がこれ一つ説かれた、浄土真宗の極致「捨自帰他(自力を捨てて他力に帰する)」についてご教導いただきました。これ以外に浄土真宗の教えはありません。ところが、その最も重要な「自力」「他力」の意味が、世間では大変誤解されています。正しい意味をよく知って、ともに親鸞学徒の使命を果たしましょう。(Q)
(顕真2020年9月号より)

親鸞学徒の使命とは?

ここで「正しい意味をよく知って、ともに親鸞学徒の使命を果たしましょう」という表現が、親鸞会の弘宣局の考えをよくあらわしていると思います。
親鸞学徒の使命とは「親鸞聖人のみ教えを我も信じ、人にも教え聞かしむるばかりなり」(親鸞会親鸞学徒常訓)ですから、「自信教人信」ということです。言い替えると、自らが信心決定し、その上で人に信心決定せよと勧めなさいということです。

それにも関わらず、会員には「正しい意味を知る」ことでよしとし、それを人に勧めることが「親鸞学徒の使命」としています。


これでは「自信教人信」ではなく「自知教人知」になってしまいます。

「信を獲れ」と言わなくなった親鸞会

振り返ると、かつての親鸞会は「信を獲れ」がよく行事のスローガンになっていました。「報恩講に信を獲れ」「この○○は我等の獲信の一大勝縁」である等、ことあるごとに自身の獲信とからめてきました。
それが有る時を境に、全く言わなくなりました。私の知る限りでは、高森顕徹会長が三願転入を強調しはじめて、しばらく経ってからのことです。


それも考えて見れば当然のことです。なぜなら、以前は「平生業成」を強調していましたが、親鸞会における三願転入では少なくとも、19願と20願のハードルを自ら越えて行かねばならないので、とてもただ今助かるという教えではなくなってしまいました。


ですから、今回の記事にもあるように「正しい意味をよく知って」人に伝えることが、親鸞学徒の使命となり、自らの獲信は問題にしなく成ってきました。それは、自らの信心決定がどうでもよいということではなく、本当に生きている間は信心決定できないという一種の断念からきているものです。

「教える側」の講師部員

今回の特集では、講師部員から高森顕徹会長への御礼状の文面を紹介することで、降誕会・追悼法要での話の内容を紹介しています。これは、親鸞会ではよくあることで、高森顕徹会長の話はこういう話であったということを、機関誌には直接書かずにあくまでも、参詣者はこう受け取ったという形で掲載します。それは、「高森顕徹会長がこういう話をした」と書くと、後々何か問題になったときに高森顕徹会長へ責任が及ぶからです。そうならない為に、このようにその後も残る出版物では「こう聞いた」という形で記事を作ります。


しかし、ここで紹介してある講師部員の御礼状の記事のタイトルに疑問を感じました。

「反発を想定して話す」講師部Y
「自力の誤解を正す」講師部K
「捨自帰他」までどう導くか 講師部M


これらの 内容の文面を見る限りは、自らの信心には全く触れず、

このような人も「捨自帰他」の一念まで導く大使命があると心得て精励いたします。(顕真2020年9月号P12)

という内容になっています。


御礼状の文面を見る限りは、少なくとも以前は自己の信心に触れているものがありましたが、今回は全くありませんでした。


親鸞学徒」は「正しい教えを知っている」のでしょうが、それだけでいいのなら「自信教人信」ではありません。
本当に信心決定して教えを説いて頂きたいと思います。


最後に親鸞会講師の人に言いたいことは、貴方の後生の心配をしているということです。
もし、自身の後生に不安があるのならば、いつでも連絡を下さい。