親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

「親鸞会の教えと、浄土真宗の教えで決定的に違うのは何ですか?その違いが私たちの救いに影響するのでしょうか?」(質問箱より)

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質問箱より

親鸞会の教えと、浄土真宗の教えで決定的に違うのは何ですか?その違いが私達の救いに影響するのでしょうか。 | Peing -質問箱-
これに加えて書きます。

親鸞会の教えと、浄土真宗の教えで決定的に違うのは何ですか?」というのは、このブログを御覧になっている会員の方ならば考えたことのあるテーマだと思います。


上記に書いたように、本来は「平生業成」なのに親鸞会の教えでは「時間がかかる」と多くの会員が思っています。
そうすると、「そんなことは言っていない!親鸞会の書籍を見て見なさい、『こんなことが知りたい』にも「親鸞聖人の花びら』にも載っているぞ」という方もあると思います。

親鸞会の教えの違いについては、いろいろと書いてきましたが、そうすると複数有るのでどこが「決定的に違うか」ということを改めて考えると、「あることを教えない」という点になると思います。


刑法でいえば、いわゆる「不作為犯」に相当するのが親鸞会です。
不作為犯とは、

期待された行為を行わないことによって成立する犯罪。不退去罪・不解散罪・遺棄罪などがその例(大辞林

のことです。


いわゆる「善知識の能」においての「不作為」があるのが高森顕徹会長です。
親鸞会の教学聖典2号にも


  善知識の任務と、その根拠を示せ。

 ⃝善知識の能というは
 「一心一向に弥陀に帰命したてまつるべし」
 と人を勧むべきばかりなり。(御文章二帖)

としており、顕正新聞2020年10月15日号にもこのことを掲載しています。

この「一向専念無量寿仏」を、蓮如上人が、ひらがな交じりで教えられたのが、「一心一向に弥陀に帰命したてまつるべし」というお言葉です。
「一向専念無量寿仏」「弥陀一仏に助けてもらいなさい」
 これ一つを勧める人が善知識です。(顕正新聞2020年10月15日号)

一向専念無量寿仏の意味は、念仏の勧めなのですが、そのことを高森顕徹会長は話をしません。
また、弥陀一仏に助けてもらいなさいという話はしても、阿弥陀仏の方から私を助けるために働き呼びかけて下さっている話は、10年に一度あるかどうかというくらい話をしません。


「真剣に聞け」と聴聞は強調するもの、では実際二千畳でどんな話をしているかといえば、「真剣に聞け」です。または「阿弥陀仏の本願を聞け」です。
では、「阿弥陀仏の本願」についてどう話しているかと言えば「どんな人も必ず助ける絶対の幸福に」です。
では、阿弥陀仏はどうしたら助けて下さるのですかといえば、「聞く一つです。真剣に聞いて下さい」となります。
では、「何を聞くのか」と聞けば、「阿弥陀仏の本願を聞くのです。」
となり、ここら当りで話は止まっています。


しかし、蓮如上人の御文章にあるの「一心一向に弥陀に帰命したてまつるべし」は、「阿弥陀仏がすでに本願を成就されて、私に南無阿弥陀仏となって呼びかけて下さっているのだから、その『助ける』の仰せをたのめ」と言われているです。その本願力回向の南無阿弥陀仏の話を敢えてしないという不作為が親鸞会の違いです。


「その違いは私たちの救いに影響するのでしょうか?」という点については、阿弥陀仏がどうやっていま私を助けようとされているのがという南無阿弥陀仏の話をしないのですから、どれだけ真剣に聞いても中身がない話なので救いの方向が間違ってしまいます。


2020年10月17日18日は親鸞会館で報恩講が行われています。参加される方は「高森先生はこう仰ったと」今までのように聞くのもいいですが、「ここについては話をしなかった」という観点で聞いて見て下さい。今まで気がつかなかったことに気がつくと思います。