親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

はじめて当ブログに来られた親鸞会会員(元会員)の方へ知っていただきたい三願転入の解説

shinrankaidakkai.hatenablog.com
これに続いて、親鸞会会員(元会員)に知っていただきたいのは「三願転入」です。

目次


三願転入は、親鸞会会員をある程度長く続けて来られた方ならよく聞いておられる話だと思います。
また、親鸞会で聞いた話に疑問を持たれた方の多くが考えられるのが「三願転入の話は本当だったのか間違いなのか」という点です。

三願転入の本文

まず、三願転入を引用します。

ここをもつて愚禿釈の鸞、論主の解義を仰ぎ、宗師の勧化によりて、久しく万行諸善の仮門を出でて、永く双樹林下の往生を離る。善本徳本の真門に回入して、ひとへに難思往生の心を発しき。しかるに、いまことに方便の真門を出でて、選択の願海に転入せり。すみやかに難思往生の心を離れて、難思議往生を遂げんと欲す。果遂の誓(第二十願)、まことに由あるかな。(教行信証化土巻)

熱心な会員の方ならば、教学試験で暗記をされたものです。

浄土真宗辞典ではどう書かれているか?

それでは、まず浄土真宗辞典ではどう解説されているかを引用します。

さんがんてんにゅう 三願転入
三願とは阿弥陀仏四十八願の中、第十九・二十・十八の三願のことで、第十九願(自力諸行往生=要門)第二十願(自力念仏往生=真門)の方便の教えへと導かれていった親鸞の求道の歴程のこと。
親鸞は「化身土巻」に「ここをもつて愚禿釈の鸞、論主の解義を仰ぎ、宗師の勧化によりて、久しく万行諸善の仮門を出でて、永く双樹林下の往生を離る。善本徳本の真門に回入して、ひとへに難思往生の心を発しき。しかるに、いまことに方便の真門を出でて、選択の願海に転入せり。すみやかに難思往生の心を離れて、難思議往生を遂げんと欲す。果遂の誓、まことに由あるかな。」(註413)と述べ、ここでは特に第二十願を「果遂の誓」と呼んで、真実へ導かんとする阿弥陀仏の方便のはたらきを讃嘆している。これによって方便の教えを捨てて、弘願真実の教えに帰入すべきことが明らかにされる。(浄土真宗辞典

三願転入のご文は少し長いですし、あまり目にしない用語も出てくるので難しく感じる会員の方も多いかと思います。私も、以前教学試験の為に暗記する時はなかなか苦労をしました。


しかし、親鸞会高森顕徹会長の説明と違うところはこの最後の太字にした部分です。太字は私が強調するためにしました。

違いは「方便」の説明

親鸞会での説明と、伝統的な真宗での説明の違いは、「方便」の説明です。

対比して書くとこうなります。

親鸞会 浄土真宗辞典
方便 実行せよ 捨てよ
真実 方便を通らないと
(実践しないと)入れない
速やかに入れ

三願転入のご文で確認してみる

三願転入のご文でいえば
「久しく万行諸善の仮門を出でて、永く双樹林下の往生を離る」とあります。
親鸞会では、19願は「実行せよ」と勧められている。とか、善をしないと二十願に入れないなどといって、「善」の名のもとに、親鸞会へのお布施や人集めを推進します。
しかし、上記に引用したように、親鸞聖人は「出て」「離る」とありますから、何も「実行したから出られた」「実行しなかったら離れることが出来なかった」とは一言も書かれていません。


「いまことに方便の真門を出でて、選択の願海に転入せり。」
こちらも二十願は「出て」十八願に「転入」されています。こちらも「実行したから出られた」とは書かれていません。


また、親鸞聖人はご自身のこととして化土巻末に

しかるに愚禿釈の鸞、建仁辛酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す。(教行信証化土巻末 浄土真宗聖典註釈版P472)

http://urx.blue/wApU

と言われています。

親鸞聖人ご自身が「雑行を棄てて本願に帰す」と言われています。


親鸞会理論でいえば、親鸞聖人が雑行を棄てられたのは比叡山で二十年間修行をしてこられたからだと言うことになります。また、親鸞聖人の時代から数多くの念仏者があらわれていますが、それらの人は皆比叡山で二十年近く修行をした、またはそれに並ぶくらいの行を励んだ人に限るということになります。しかし、そんなことは少し考えればおかしなことだと分かります。


親鸞聖人で言えば、法然聖人から教えを聞かれて「雑行を棄て」られた訳ですから、実行しなければ棄てられないというものではありません。

まとめ

親鸞会でいうような、「方便は実行するもの」「実行しなければ方便は捨てられない」というのは間違いです。
三願転入のご文は、早く方便を離れなさい、選択の願海に帰入しなさいとの親鸞聖人がお勧めになっているものです。

「実行しなければならないのだ」という思いこそ捨てねばならない、「雑行雑修自力のこころ」です。それを「ふりすてて」、一心に阿弥陀仏に帰命して下さい。