親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

「亡き父母の真の孝行はどうすべきか」高森顕徹会長の二千畳Q&A2019年12月22日(日)から思ったこと

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2019/12/22 親鸞会館映画解説
2019年12月22日(日)親鸞会館(富山県射水市)で高森顕徹会長の映画解説がありました。今後は二千畳Q&Aと行事名を変更するようです。映画解説に限定するとさすがに内容が固定されてきたためかと思いました。

今回は、以下にあるように「亡き父母の真の孝行はどうすべきか」についての話でした。

内容については、すでに他の記事にも書かれています。
shingikensho.blog12.fc2.com

映画歎異抄をひらくの場面より

アサ「……私は親不孝者です。おっ父とおっ母の葬式もしてやれませんでした」
親鸞聖人「葬式など、しなくてもいいよ」
アサ「え……?」
親鸞聖人「私は、亡くなった父や母の供養のために、一度の念仏も称えたことはない。念仏を称えても、亡くなった者を救うことはできんからな」
人は、なぜ、歎異抄に魅了されるのかP150)

からの質問でした。

それについて、歎異抄5条についての話があったようです。
以下、概略。

一 親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏申したること、いまだ候はず。そのゆゑは、一切の有情はみなもつて世々生々の父母・兄弟なり。いづれもいづれも、この順次生に仏に成りてたすけ候ふべきなり。 わがちからにてはげむ善にても候はばこそ、念仏を回向して父母をもたすけ候はめ。ただ自力をすてて、いそぎ浄土のさとりをひらきなば、六道・四生のあひだ、いづれの業苦にしづめりとも、神通方便をもつて、まづ有縁を度すべきなりと[云々]。

親の為に念仏を称えること、葬式、法事をすることが親孝行と思い、そうしないのは親不孝だと考えている。
しかし、親鸞聖人は亡くなった両親のために一返の念仏も称えたことがないと言われている。

なぜ、そういわれたのか、理由は二つある。
一つは、「そのゆえは、一切の有情は皆もって世々生々の父母兄弟なり。」と。
二つは、「わが力にて励む善にても候わばこそ、念仏を廻向して父母をも助け候わめ、ただ自力をすてて急ぎ浄土のさとりを開きなば、六道四生のあいだ、いずれの業苦に沈めりとも、神通方便をもってまず有縁を度すべきなり、と云々。」と。

念仏が自分で励む善ならば、それを差し向けて父母を助けることもできるかもしれないが、まことの心のない親鸞にはそれはできない。自力を捨てて浄土でさとりをひらけば、助けることができるようになる。

自力とは、阿弥陀仏の本願を疑っている心のこと。
阿弥陀仏の本願とは、どんな人も必ず助ける絶対の幸福にというもの。
阿弥陀仏の極楽浄土で仏のさとりを開いて、神通力をえたら助けることが出来る。
しかし、仏のさとりをひらく前でも、絶対の幸福になったら、救済の真似事くらいは出来る。
親鸞か聖人は、31才肉食妻帯をされ、流罪の原因になった。
34才に三大諍論をされた。
35才に越後流刑になった。
40~60才の間は関東布教をされた。
84才で、長男善鸞を義絶。
90才で、亡くなられたが、その時のことが書かれているが御臨末の御書。
親鸞聖人がすぐに戻ってくると言われたのは教行信証にも書かれている。それは、還相廻向のこと。
また、往相回向と還相廻向は仏法を聞いて縦の線のところで得られる。

親鸞聖人29才で阿弥陀仏に救われてから、90才までのご活躍は往相廻向の働き、亡くなられてから衆生済度に娑婆に戻って来られるのが還相回向の働き。
この二種の回向が、浄土真宗。
つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。往相の回向について真実の教行信証あり。(教行信証 教巻)
浄土真宗とは、阿弥陀仏の本願の事。

亡き父母の真の孝行は、阿弥陀仏の本願に対して、自力を捨てて、絶対の幸福に救われること。

いつもの通りですが、歎異抄の話と言いながら、文中に出てくる念仏の話は説明しないまま、本願を疑う心といいながらそれも説明しないまま「絶対の幸福になることが大事」という話でした。

今回が2019年最後の親鸞会館での高森顕徹会長の話でした。すべての話を記事にしたわけではありませんが、共通しているのは、南無阿弥陀仏や念仏の話が殆ど出てこないのが高森顕徹会長の話の特徴です。

「阿弥陀仏はどんな人も必ず絶対の幸福にすると誓われている」というのは、私もかつて何度も聞きましたが「どうやって助けて下さるのか」については、殆ど聞いたことがありません。
阿弥陀仏がどうやって救って下さるのかの話を聞かない間は、阿弥陀仏の本願を疑うも何もありません。自力とか疑情ときいても、それについて悩んでいる人はほとんどいないのではないでしょうか?

会員の本心を言えば、なんだかよく分からないけれども助けて下さるらしい、せめて阿弥陀仏に選ばれるように一生懸命善に励もうと考えている人が多いと思います。また、そのように誘導するのが高森顕徹会長です。

しかし、阿弥陀仏の本願は、どんな人でも選んだり、嫌ったりされません。南無阿弥陀仏となった私をただ今救うとよびかけられています。ただ今救うの仰せを聞いて、南無阿弥陀仏に救われて下さい。

一年間振り返ってみる余裕も現役会員にはないかもしれませんが、今年を振り返って南無阿弥陀仏の話は何回あったでしょうか?
2020年01月05日(日)の初聞法会までの間に少し考えていただきたいと思います。

別件ですが、顕正新聞2019年12月1日号によると、2020年の親鸞会降誕会は5月16日(土)〜19(火)の四日間になりました。今後もこのように降誕会や報恩講は4日間あるようです。

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2019/12/01号 顕正新聞より