親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

「シネマ学院9月末完成」(顕正新聞より)を読んで思ったこと

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顕正新聞平成29年7月15日号より)
顕正新聞宗教法人浄土真宗親鸞会の機関紙)2017年7月15日号を読みました。
今回一面に掲載されているのは、タイトルにも書きましたが「シネマ学院(同朋の里)9月末完成 映画『なぜ生きる』から親鸞聖人の教えを学ぶ」でした。
以前から、シネマ学院という建物ができる話は聞いていましたが、いよいよ完成が近づいてきたようです。
具体的にどのような用途で使うものかが、今回の顕正新聞でやっと分かるようになりました。

上映室には、約9.8メートル×5.6メートルのスクリーンと175席が設けられる。上映後は、映画のご解説を、ビデオ聴聞できる。
場所は同朋の里・F館と親鸞会館(浄信の間)などで、希望に応じて参加できるよう準備中だ。(1面より)

シネマ学院は「なぜ生きる」専用の映画館だそうですが、同朋の里でも親鸞会館でも映画上映することも可能なことを考えると、「箱物を建ててお布施を募る為に建てた」という以外には考えられないものです。

会にとっても会員にとっても「最高レベルの映像・音響でなぜ生きるを見ることができる」ことがそれほど大事なことだとは思えません。そんな映像や音響に拘りをもっている会員は少数派でしょう。

では、会員にとって「シネマ学院が大事な施設」となるのは「上映後のビデオ聴聞高森顕徹会長により映画解説)」以外にはありません。映画公開以来ずっと続いている高森顕徹会長の映画の内容に関する質問に対しての回答がビデオで見ることができるというのは、熱心な会員にとってはお布施を出す動機になるかもしれません。

こういう親鸞会の現状を見ると、以前から予想されていたことがいよいよ現実になってきたと感じます。それは、高森顕徹会長が引退すると、今と同じ形の親鸞会は無くなってしまうだろうということです。
なぜなら、親鸞会は良くも悪くも高森顕徹会長の個人事業のような団体です。特に教義については、仮にお聖教にないことでも「高森顕徹会長がこうだ」といえば、そのようになってしまうのが今までの親鸞会でした。その為、高森顕徹会長が居なくなった後の親鸞会には、何を以て「親鸞会の教義(親鸞会がいうところの本当の親鸞聖人の教え)」が正しいものかを判断できる人がいなくなります。そうなると、根拠となるのは高森顕徹会長の著作、映画、及び過去の法話や座談会のビデオしかありません。
また、高森顕徹会長が引退すれば、会員にとっては富山の親鸞会館や同朋の里に行く理由はなくなってしまいます。


そこで、会長引退後を見据えて、それでも富山に会員が集まる理由として「高森顕徹会長のビデオ解説が聴聞できますよ」としたのがシネマ学院だと思います。未来の親鸞会は如何に会員を富山に定期的に集めるかに全てを傾注することでしょうが、それは一体なんのためでしょうか?

しかし、それが続くのも長年高森顕徹会長について来た会員が元気な間であって、未来の親鸞会会員にとって、何度も同じ映画と解説録画を見るために富山に行く人は少なくなるでしょう。


親鸞会は、映画と解説ビデオを教義の聖典とするのではなく、看板に掲げた「浄土真宗」が嘘でないなら親鸞聖人の書かれたお聖教に基づいて聴聞、布教をするべきです。