親鸞会が、新作アニメ映画を制作するそうです。すでに会員には案内をされています。
内容は「三願転入」になるとのことです。
すでに退会した方からすると、「またアニメ映画をつくるのか」と驚かれる方も多いと思います。親鸞会はすでに、2016年に「なぜ生きる」、2019年に「歎異抄をひらく」のアニメ映画を作ってきました。
高森会長も高齢となり、さすがにもう作ることはないだろうと思っていましたが、そこまでしてアニメ映画を作る目的は単に経済的な目的ではありません。
親鸞会が、今までにない書籍や映像作品を出す目的は、過去の「これはまずいな」と自分たちでも思うものを新作で消し去るためです。
例えば、1万年堂出版で書籍が出るたびに、親鸞会の内部でのみ購入できた書籍は次々と廃刊になり、会員でも入手不可能になりました。
「会報」「光に向かって」「本願寺なぜ答えぬ」などがそれです。
1万年堂出版で、出版物での「上書き修正」が終わったので、次に取り組んだのが映像作品です。ただし、出版物に関しては「なぜ生きる2」という「三願転入」についての親鸞会の理解を出版物で出してしまい、伝統的な解釈と違うことを明らかにしてしまったので、新聞広告に載せられることはなくなりました。
なかったことにしたい「世界の光 親鸞聖人シリーズ」
現在では、「世界の光 親鸞聖人シリーズ」は、一般向けに販売されていません。
チューリップ企画の販売サイト「思いやりブックス」にも、掲載されていません。

以前は、DVDが販売されていたことは、以前の記事にも書きました。
shinrankaidakkai.hatenablog.com
なぜ「なかったことにしたい」のか?
以前の記事で、「世界の光 親鸞聖人シリーズ 第一部」が改変されたことを書きました。詳しくは、先のリンク先を参照下さい。
その当時はまだ、DVDとして販売をしていたものが、現在は取り扱いをせず、親鸞会会員のみが持つ事ができる「学徒タブレット」の中にしか「世界の光親鸞聖人シリーズ」はありません。
今回新作アニメ映画によって「なかったことにしたい」のは、「世界の光 親鸞聖人第二部」です。この作品は、「三大諍論」が主なテーマとなっております。
その中の「体失不体失往生の諍論」について、第二部の中で阿弥陀仏の本願の「若不生者 不取正覚」は、「信楽に生まれさせるという約束だ」としています。それを受けて、親鸞会公式サイトにもこのように書かれています。
大宇宙最高の仏であり、十方諸仏の指導者であられる阿弥陀如来は、その本願に、「若不生者不取正覚」(若し生まれずは、正覚を取らじ)と誓われている。もし苦悩の根元の無明の闇をぶち破り、晴れて大満足の「信楽(しんぎょう)」の身に生まれさせることができなければ、この弥陀は、正覚(仏の命)を捨てましょう、とのお約束なのだ。
浄土真宗 親鸞会 公式ホームページ|現代に生きる仏説・若不生者の誓い
【魚拓】浄土真宗 親鸞会 公式ホームページ|現代に生きる仏説・若不生者の誓い
「若不生者」の「生」とは、「浄土往生」のことで、「信楽に生まれる」ことではありません。
詳しくは、こちらにも書かれているので参照下さい。
「若不生者不取正覚」といふは - 親鸞会邪義を破る
この間違いは、後にネット上で批判を受け、著作「なぜ生きる2」では、
もし私の真実の浄土へ往生できぬことがあれば
と会員に何の説明もなく変更しています。
こうして著作では、間違いを改めた形になったのですが、映像作品がまだ残っていました。
そこで、今回は映像作品を新たに作り直す事で、「若不生者の生まれるは、信楽に生まれる事」と言い続けた過去はなかったことにするつもりです。
代替わりの前に教義的問題をなんとかしたい親鸞会
1万年堂出版ができたころは、そこまで深く考えていたかは分かりませんが、20年以上をかけて過去の著作を改変してきました。すなわち、都合の悪いところは修正し、過去のものは絶版としてきました。
おそらく最近入会された方は「会報」とか「本願寺なぜ答えぬ」と聞いても全く知らないと思います。
「世界の光 親鸞聖人シリーズ」も、新作のアニメ映画が完成した後は「学徒タブレット」でも「第二部」は視聴できなくなるのではないかと思います。
新作のアニメ映画を作るのは、費用を考えると大変なものです。そこまでして親鸞会が制作するのは、いよいよ代替わりが現実問題となってきたからです。
なぜ代替わりをすることで、これだけのことをしなければならないかと言えば、親鸞会において「教義が正しいか否か」の判定基準が高森顕徹会長だからです。よって高森顕徹会長がいなくなった後に、書籍や映像作品を通して「親鸞会の教義はおかしいのではないか」という批判に対しての反論が出来ません。明らかに真宗の教義として間違っている箇所については、高森顕徹会長が存命のうちに修正をしておこうというのが、現在の親鸞会の考えです。
そこまでして修正をするということは、親鸞会自身も「教義的間違い」に自覚があったということです。もし以前のように「高森顕徹先生以外に親鸞聖人の教えを正しく説かれる方はいない」というのであれば、なぜ貴重な過去の著作を絶版にしたり、映像作品を非売品にするのでしょうか?
アニメ映画制作お布施を募る前にすべきこと
新作映画を作ること自体にとやかくいうつもりはありませんが、映画制作の目的が「過去作品の教義的間違いの改変」であるならば、そのことを会員に説明して、「間違った教えを映像作品にして会員に販売させていました」ということをまず謝罪するのが筋と言うものです。