親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

学徒タブレットのアニメ世界の光親鸞聖人第一部の改変、DVDはなぜか品切れで購入できず。「お聖教」に対する親鸞会の態度を考える。

最近親鸞会を脱会された方から学徒タブレットを借りました。学徒タブレットとは、親鸞会が会員向けに販売をしているタブレット端末です。中には、親鸞会で作成したさまざまな動画、書籍のコンテンツが入っています。動画を見ると実績としてタブレット上にポイントがつくようになり、このポイントを支部の間で競っていたようです。ちなみに動画視聴で1〜3ポイント(一日上限5ポイント)、親鸞会館の行事参加の際、受け付けにもっていくとポイントが加算されます。


最初から、入っているコンテンツとしては「アニメ世界の光 親鸞聖人シリーズ」「アニメ王舎城の悲劇」があります。
アニメ映画 本の通販 思いやりブックス

それ以外に、

動画コンテンツは各10分前後

  • アニメをひらく →アニメ世界の光親鸞聖人シリーズの解説動画(1部だけでも7時間以上)
  • とどろき仏教教室→因果の道理 真実の自己 なぜ生きる 人間の実相 釈迦と弥陀 仏事の心得 お釈迦さまの物語(動画)
  • おつとめ→勤行の動画(導師の声とそれに合わせた字幕が出るもの 21分 18分 15分 12分 早さにより違う)
  • お聖教等→電子書籍が入る(有償で追加購入がネットで購入可)
  • 追加動画
  • 思いやりブックス チューリップ企画発行の書籍の電子版(仏教入門 蓮如上人物語 B‐young 紹介映像など)
  • 月刊誌ダウンロードページ 月刊なぜ生きる 月刊B young(最新号が読めます)
  • 浄土真宗オンライン ネット講座(要申し込み・学徒のみ対象)

これ以外にもオンライン更新によって、中のコンテンツは上書き、または追加されていきます。

思った以上に、コンテンツの量が多いことに驚きました。


そこで、今回の記事で紹介するのは表題の通りですが、所有されている元会員の方から驚くことを聞いたのがきっかけです。

「アニメ第一部が改変されています」

実際に確認してみると、確かに変わっていました。それも、それまで重要な場面とされていた箇所がバッサリ削除されていました。
具体的には、アニメ第一部の後半で法然上人と親鸞聖人が一対一で対話をする場面が丸々カットされていました。

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アニメ第一部 法然上人に元に通われるようになる親鸞聖人
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画面暗転「そして−やがて」の字幕
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突然、歎異抄のご文の静止画場面にジャンプ


元々このアニメを見たことのある人は何が削除されたのかすぐ分かると思います。

それにともなってアニメ解説書も変更されています。白黒が紙で出版されていたこれまでの解説書、カラーが学徒タブレットに入っている電子版の解説書です。

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これまでの解説書・法然上人との対話場面が第一部のクライマックスと紹介

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学徒タブレットの電子版解説書・法然上人との対話部分が削除

ですが見たことのない方にも分かるようにこの「そして、やがて」に差し替えられ、カットされた部分はどういう場面かを紹介します。

削除されたのはこんな場面

アニメより

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アニメ第一部 法然上人との対話

親鸞聖人「上人さま。今日は何が何でも解決がいくまでお聞かせ下さい。お願いでございます」
法然上人「そうか、それではそなたの今の胸の内を話してみなさい」
親鸞聖人「はい、私は比叡山の20年の学問修業も捨てました。京の町を夢遊病者のように後生の一大事一つ、解決できる道はないかとさまよい歩きました。そして上人さまにめぐりあい。心の底より救われた思いがしました。
 けれど、阿弥陀仏の一声で、晴れて満足できると仰せられますが。聞いても聞いてもその一声が聞けません。親鸞の心は晴れません。仏法を聞いている時も思ってはならないことが思われ、考えてはならないことが浮かびます。一向専念無量寿仏どころか、雲の如く疑いが湧き上がって参ります。こんな心のままで臨終を迎えるのかと思えば、ただ恐ろしいばかりでございます」
法然上人「親鸞よ。形の上でしてたつもりではダメじゃ。無始より迷わせ続けた自力我慢の親玉は、そんな生ぬるい聞き方では聞かないぞ」
親鸞聖人「上人様。よくよく胸のうちを見ますと。10年前も上人様にお会いした時も今も、心は煩悩と疑い一杯。少しの変化もありません。こんな心かいつまで続くと思うと、胸が張り裂けるようでございます。
法然上人「親鸞よ!そのまま恐ろしい罪をかかえて地獄へ真っ逆さまだ。このように話しているうちにも、無常の殺気が迫っているではないか。まだわからんのか!」

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アニメ第一部解説書P42「信心決定したらどうなるか」より 
アニメ第一部のクライマックス
−−−−−−ここから削除−−−−−−
親鸞聖人「上人さま。長年の学問修業も、後生の一大事には何の役にも立ちません。それどころか親鸞、今はもう、聞く心もございません。ただ煩悩と疑い一杯で、阿弥陀仏の御声がきけません」
法然上人「うぬぼれるな。そなたの心は、阿弥陀仏の御声が聞ける殊勝な心か」
親鸞聖人「親鸞の心は、ただ暗い。それだけでございます。暗さも分からぬ。真っ暗がりでございます。お助け下さい。上人さま」
法然上人「親鸞よ、そなたにはまことを聞く耳はないのだ。それが、そなたのまことの姿なのじゃ。一切の自力を捨てよ。全てのはからいを捨てよ。捨てようとする心も捨てよ」
−−−−−−ここまで削除−−−−−−
(ひれ伏される親鸞聖人)
『いずれの行も、及び難き親鸞、地獄は一定、すみかぞかし』
『弥陀五劫思惟の願は、ひとえに親鸞、一人がためなり』

親鸞聖人「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏(くりかえし)。あー不思議なるかなや、不思議なるかなや、弥陀五劫思惟の願は親鸞一人がためなり。あー、多生にも値い難い本願力に、今、値えたり。億劫にも獲難き、真実の信心を、今獲たり。本願まことだった。まことだった」

これは親鸞聖人が、二十年の求道の末、遂に阿弥陀仏の本願に救い摂られた信心決定の場面であり、本アニメのクライマックスである。

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アニメ第一部より「よく聞き抜かれた」
※こちらのシーンも削除されています。(2020/02/19追記)

(アニメ第一部より)
親鸞聖人「上人さま。有り難うございました。」
法然上人「よく聞き抜かれた。親鸞殿。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。」


こうして見ると随分長く削除されています。

親鸞会においてアニメ・世界の光親鸞聖人シリーズは「お聖教」

会員でない方からすると、アニメの場面が一部削除されただけのように思われるかも知れませんが、これは大きな問題です。
なぜなら、親鸞会の中ではこのアニメ世界の光親鸞聖人シリーズは、高森会長の著書とならんで「お聖教」として位置づけられていたからです。したがって、その内容も「一字一句加減すべからず」の扱いでした。


実際に、高森顕徹会長はこのアニメシリーズを訪問販売する光大作戦が始まった頃には「このアニメ以上の布教はない」「これで真宗が変わる」「子孫に残す最大遺産」と言っていました。
どれくらい当時力を入れていたかの例として、親鸞会館でのアニメ完成上映会で、アニメの内容を批判した会員は即除名になりました。その時には「命がけで作った作品を批判するものは、命がけで批判しなければならない」「ワシがその場にいたらただではすまさなかった」と言っていました。また、臨終の会員にはアニメ第一部の今回削除された場面を繰り返し見せなさいとも言っていました。理由は、「捨自帰他」の場面だからとのことでした。

重要視していたもう一つの例として、かつてアニメ販売活動をする際に訪問先で見せるアニメ紹介資料にもこの場面は強調されていました。

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光大作戦当時のアニメ紹介資料

それだけ大事にしていた親鸞会における「聖典」のアニメも、事情が変わればあっさりと削除をし、しかもなかったことにしてしまうのが高森顕徹会長です。
実際、今回の削除の件は、会員全体に告知することもなく行われました。学徒タブレットが普及して、かつてのDVD版でアニメを見る会員あまりいないとはいえ、会員の手元には改変前の作品があります。それにも関わらず、しれっとタブレット版のアニメは改変したものに差し替えていました。

DVD版の第一部は販売中止?の在庫切れ

そこで、現在のDVD版も改変されているのかを確認しようと思いましたが、一般の人が購入できるDVD版の方は、なぜか第一部だけ品切れとなっており購入できない状態になっています。また学徒タブレットでは電子版で購入できる「アニメ解説書」「アニメシナリオ集」もこちらでは購入できません。(2020/02/16現在)

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1万年堂出版の販売ページ
https://www.ombooks.jp/SHOP/AD0001.html


都合が悪くなると「お聖教」を削除・改変してきた親鸞会

削除された場面については、以前から「善知識だのみ」「秘事法門の人にとって都合のいい場面」などの批判はありましたが、20年以上変更はありませんでした。それにも関わらず、このタイミングで削除をするのは何かの事情があったには違いありません。


事実、これまでも高森顕徹会長は都合が悪くなった著作は次々となかったことにしてきました。
一例をあげると、

  • 会報(以前は現代の教行信証と言っていた)→絶版 剽窃問題が明るみになったため。
  • 光に向かって→絶版 表向きは1万年堂出版から「光に向かって」がでたからですが、実際は剽窃問題が明るみになったため。
  • 本願寺なぜ答えぬ→絶版。「宿善問題」について本願寺に勝ったといっていたものの、断章していた論文がネット公開されるようになったため。
  • 教学短冊→「信後絶対出ない心100」などが都合が悪くなり、「教学聖典」に改訂。
  • アニメ第一部→かつての重要場面を削除 NEW

そもそもの問題としてこのようなことが起きる原因は、高森顕徹会長が主張する浄土真宗が、本来のお聖教に基づいていない点です。それは、教学聖典本願寺なぜ答えぬ、親鸞会的三願転入によく現れていますが、お聖教の断章や独自解釈によって「教え」を構築しているのが実態です。ですから、「親鸞会の教え」は元々「高森顕徹会長がいいたいこと」にお聖教を都合よく引用して独自解釈を加えたものです。

教えを大事にしない親鸞会

そのため「聖典」に対する態度は、一つの「親鸞会の目的達成」のためのツールでしかありません。ですから、都合が悪くなれば破棄したり、改変するのは当然といえます。何の仕事でも、仕事道具はよりよいものがあればそちらに乗り換えたり、より使いやすくするようにカスタマイズします。パソコンに例えると、より速いマシンにしたり、キーボードのショートカットを自分用に変更するようなものです。


真宗聖典に収録されているような「聖典」はさすがに削除はできませんが、自分の著作や作品ならば躊躇無くこのように改変または絶版にしています。かつては「このアニメで真宗は変わる」「現代の御文章」と言っていたアニメ映画シリーズも、実態は高森顕徹会長の目的である「より多くの人を集めたい」を果たす為のツールでしかないことが今回のことでよく分かりました。


自らが「お聖教」として扱ってきたアニメ映画もこの状態ですから、現在力を入れているアニメ映画「なぜ生きる」「歎異抄をひらく」とその著作も遠くない将来改変または絶版になるのは想像に難くありません。二千畳の建物の耐久年数よりも、続かないのが親鸞会の「お聖教」「聖典」です。それを元にしている「親鸞会教義」もまた、ある日変わる教えなので「浄土真宗の教え」を聞きたい方は、親鸞会を速やかに去ることをお勧めします。