親鸞会弘宣局講師作成の「静かな劇場」が更新されていました。こんどは「あちら側」に向けて書かれているので、ますます誰に書いているのか分かりません。
静かな劇場に対するコメントに対しての反論のつもりなのでしょうが、今度は高森顕徹会長(宗教法人浄土真宗親鸞会)の著書「親鸞聖人の花びら」からの引用がほぼ全部という内容でした。
親鸞会の機関誌で、「静かな劇場」管理人が作成している顕正新聞と同じ構成になっていることに、やることは全く変わらないのだと思いました。
何が変わらないかというと、以下の3点です。
- 教義的な内容については、自分の言葉で書かず、会長の著書の丸写し
- 自分の言葉で教義安心について書かない。
- 二種深信とか「不思議な」という言葉を出せば反論が出ないだろうという安易な発想
顕正新聞は上記のような新聞です。会長の著書「親鸞聖人の花びら」(こんなことが知りたい)の文章を転載しただけ、論説は会長の法話や講義の内容を要約しただけのもの、それ以外は会長へのお礼の手紙を編集して転載した法友通信、あとは新しい会館や食べ物の写真で構成されています。
教義的に問題が有る文章を書かないようにということで、上記のようになっています。
しかし、これさえ書いておけば間違いないだろうと思って転載した高森会長の著書「親鸞聖人の花びら」の二種深信の解説も間違っています。いろいろと思うところは有りますが、分かりやすいところだけエントリーに書きます。
一つには、決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかたつねに没し、つねに流転して、出離の縁あることなしと信ず。
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二つには、決定して深く、かの阿弥陀仏の四十八願は衆生を摂受して、疑なく慮りなくかの願力に乗じて、さだめて往生を得と信ず。(教行信証信巻より)
- 作者: 高森顕徹
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金輪際助かる縁のない自己に、ツユチリほどの疑心
もなくなったことを機の深信といい、そんな者を必ず
助けるという、弥陀の本願にツユチリほどの疑心もな
くなったのを、法の深信といいます。
これを機法二種深信といいます。
(略)
堕ちる者が助かる者、助かる者が堕ちる者、全く反する
二つの深信が、同時に相続する不思議な信心ですから、
(親鸞聖人の教えられた信心 - 静かな劇場より) http://blog.goo.ne.jp/345shigure/e/4dab948d1e16e80b67eb9fab37abd9e5
機の深信とは、「罪深い自己」と静かな劇場にもありますが、罪深い自己と知らされるだけのことではありません。その内容を言えば、自分の力では生死を離れるような行ができない自分ということですから、自力が全く役に立たぬと知らされ、自力をたのむ心が全く離れたことをいいます。
いわゆる自力が廃ったことです。
次に法の深信とは、必ず救うという阿弥陀仏の本願に「疑なく慮りなくかの願力に乗じて」とありますが、阿弥陀仏の本願力に疑いも計らいもなくうちまかせたことをいわれています。
そこで、機の深信と法の深信とは、自力が廃ったままが、本願力にうちまかせたことであり、本願力にまかせたままが、自力をたのむ心が廃ったことをいいます。これを「捨機託法」といいます。
「捨機」とは、機(自分)のいろいろな行いの功徳を阿弥陀仏の救いの手助けに使用とする心が廃ったことをいいます。「託法」とは法(阿弥陀仏の本願)に乗託することをいいます。乗るというのは、船に乗れば船の力にまかせるように、自分の計らいをいれずにうちまかせることをいいます。そこで「乗」「託」といわれます。
他力の信心は、本願の仰せをそのまま聞き入れた心ですから、その本願力のお働きを仰いでいる状態を機と法の両方からいわれたもので、二つの心があるのではありませんし、「全く反する二つの深信が、同時に相続する不思議な信心」ではありません。
引用した文章にあるような「堕ちる者が助かる者、助かる者が堕ちる者、全く反する二つの深信」と言えば、結局のところ本願力を仰ぐのではなく、自分の機の有り様を見て不思議がっている信心になってしまいます。そのように自分の心の有り様を見て、「これが信心だ」というのは機決定の異安心です。それは親鸞聖人の教えられた信心ではありません。
「静かな劇場」の管理人さんに最後に2つ言いたいことがあります。
1つは、「高森会長のお言葉」と「二種深信」を出せば反論が出ないのは、親鸞会の内部だけのことだということをよく知っておいてください。
2つは、他人の文章を引用する時は引用元を明らかにするのがルールです。本願寺の勧学と言っても過去を含めればいろんな方が有り、著書と言っても膨大にあります。それに対して、高森会長の著書はしっかり書名入りで引用しているのは公平ではありません。