親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

映画「歎異抄をひらく」とともに真宗から離れる親鸞会。その理由。(2018年02月25日「なぜ生きる」映画解説より)

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2018年(平成30年)02月25日(日)富山県親鸞会館で、高森顕徹会長の「なぜ生きる」映画解説がありました。
【平成30年2月】親鸞会館 二千畳の行事日程 | 浄土真宗 親鸞会

詳しい内容は、すでに以下のブログで紹介されています。
hiun.cocolog-nifty.com

shingikensho.blog12.fc2.com

映画『なぜ生きる』の中の蓮如上人のお言葉
「『聞く一つで、大船に乗せる』ということは、阿弥陀仏の命を懸けたお約束だからです。」と
は、どんなことでしょうか。

が質問の内容です。それに対して、高森顕徹会長が一日歎異抄第2条の話をしたとのことでした。


今回の内容を知り、親鸞会は以前からも危ない状態でしたが、いよいよ「浄土真宗の団体」として終焉を迎えつつあると感じました。


理由は、2つあります。

  1. 自ら「カミソリ聖教」と言っていた歎異抄親鸞会と会員を傷つける。
  2. 映画「歎異抄をひらく」シナリオブックを聖典化することで独自教義(真宗では異義)の固定

1・自ら「カミソリ聖教」と言っていた歎異抄親鸞会と会員を傷つける。

歎異抄については、以前高森会長がこれはカミソリ聖教であり、未信の者が使うと自分も他人も傷つけるとよく言っていました。だからこそ、会員であった当時は高森会長の歎異抄解説こそが正しくそれ以外は間違っていると思っていました。


確かに歎異抄は、異なることを歎くというタイトルからわかるように当時の親鸞聖人の教えと間違った考えについていろいろと書かれたものです。また、親鸞会のなかでも「これは読み誤ると危ない」とされた異義に「善知識だのみ」「造悪無碍」「無帰命安心」などが喧伝されていました。(当然「専修賢善」(善に励まないものは救われない)についてはあまり強調しません)


しかし、今回の歎異抄第2条の話で、高森会長が強調したのは、「善知識からを聞かなければ助からない」でした。いわゆる「善知識だのみ」という異義異安心です。
これは一応のところ、以前の高森会長は否定をしていたところです。本心のところはもちろん、「ワシの話を聞け」というのが高森会長の一環したスタンスですから「善知識だのみ」に会員をさせたいののです。


この建前上否定していた「善知識だのみ」(異義)をいよいよ前面に表して真宗の教えにないことを会員に徹底するようになったのが、今回の高森顕徹の映画解説です。その結果何が起きるかというと、親鸞会の教義がいよいよ真宗ではなくなるという未来です。


現実問題として年齢的なことを考えますと、この「歎異抄をひらく」の映画が高森会長最後の作品となる事はほぼ間違いないと思います。そのため、真宗の教えに自信がない高森会長が最後にすがったのが「歎異抄」だといえます。
なぜなら、歎異抄親鸞聖人の書かれたものではなく、弟子の誰かが親鸞聖人から聞いたこととして書かれている文章です。そのため、解釈にはある程度の幅があり、仮に間違っていたとしても親鸞聖人の直筆ではないからと言い訳が立つ本です。


そのため、歎異抄がどういう本かという性格からすれば、「正しい解釈」とは「歎異抄の著者の意図はどうであったか」と言うことであって、親鸞聖人が本当に教えられたかった事はどうだったかと言うことには必ずしも一致しません。


そこに目をつけたのが高森会長です。ある程度解釈の幅が広い歎異抄を使って、自分の教義を会員に徹底するのに都合がいいとと考えたのでしょう。


しかし、「僕の考えた最強の真宗」がもともと信心も真宗教義もよくわかっていない高森顕徹会長にしてみれば、どう歎異抄を解釈したとしても、かつて高森会長が言ったカミソリ聖教のカミソリの部分で自分も人も傷つけるだけです。そういう意味では、1番手を出してはいけないものに最後手を出してしまったのが高森会長です。

2・ 映画「歎異抄をひらく」シナリオブックを聖典化することで独自教義(真宗では異義)の固定

おそらく今回の映画「歎異抄をひらく」も、シナリオブックが作られ、それについての解説が親鸞会館で始まると思います。それ以前に、今後は「歎異抄をひらく」の話しかしないと思われます。その証拠に、今回の映画「なぜ生きる」の解説にもかかわらず話をしている内容は歎異抄しかありませんでした。映画「なぜ生きる」の中で、歎異抄第2条の話が出てきたと言う印象は私には全くありません。


そして、映画が完成し、シナリオブックが完成すると親鸞会の中では「これが歎異抄だ」ということになります。つまり、歎異抄聖典として、かつその高森会長独自の解釈を加えたものが親鸞会の教義となります。
その結果何が起きるかと言えば、カミソリ聖教のカミソリの部分をかき集めたものが、「宗教法人 浄土真宗親鸞会」の教義となります。その結果、真宗とははかけ離れたものになると思います。いわゆる異義・異安心が親鸞会の教義となります。

まとめ

現在映画「歎異抄をひらく」は制作中であり公開は来年の春ごろになるそうです。機関紙(顕正新聞)を見る限り、親鸞会は映画の完成までと映画の完成後しばらくは「歎異抄をひらく」一色になると思います。


その結果、高森会長にとって都合の良い解釈を用いた映画「歎異抄をひらく」は会員に浸透し、善知識だのみをはじめとする、真宗で言う異義の正当化をより一層強めていくことになる事は想像に難くありません。


ここまで読まれた会員の皆さんには、比較的手に入りやすい歎異抄の解説本を一冊を読むことをお勧めします。
それでも、解説本を読むことに抵抗のある人に先日、Kindle版で「浄土真宗聖典注釈版」も販売されるようになりました、紙の本は親鸞会の人に見つかるとまずいと思っている人はぜひこの機会に購入して、注釈をみながら歎異抄を読んでみてください。きっと、「歎異抄をひらく」ではわからなかったことがわかるようになると思います。

歎異抄 (聖典セミナー)

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細かい事ですが、今後タイトル掲載の年は元号から西暦にします。