親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

「歎異抄をひらく」や「なぜ生きる」の聖典化が進んできた親鸞会

顕正新聞2021年5月1日号を読みました。
1面に紹介されていましたが、親鸞会降誕会が2021年05月15日(土)16日(日)とネット上で行われています。

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顕正新聞2021/05/01号1面


オンライン開催は、昨今の状況も考えると今後も続いていくことと思います。ただ、コロナ禍が収まった際はどういう形で再開をするのかが気になるところです。


ここ何年か、親鸞会において高森顕徹会長の著作が聖典化しており、会のなかでの取り扱いが真宗聖典に収録されている聖典より上位に来ている傾向があります。そのことを、今回の新聞で気になった点があったので紹介します。

1面から「歎異抄をひらく」発行部数

1面に毎号「歎異抄をひらく」に関する数字を書いてきました。以前は、「歎異抄をひらく」が出てから歎異抄解説書が出てこなくなったとして、「真実を刻む時 ○年○ヶ月」と書いていました。その後いろいろと表現が代わり、今は「歎異抄をひらく」の発行部数が大きく取り上げられるようになりました。現在48万部を越えたそうです。

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1面の文字は以前と変わってきた

親鸞会の今後の活動は、この「歎異抄をひらく」を50万部突破するための宣伝に力を入れることと思います。

「論説」も歎異抄をひらく

「論説」も今回は、「歎異抄をひらく」でした。
全文については、ほぼ同じ内容が公式サイトに掲載されいるので全文を読みたい方は以下からご覧下さい。
www.shinrankai.or.jp
その中で、文末が気になる表現で書いてありました。

そらごと・たわごとの世にあって、弥陀の本願こそが、人類救済の唯一の光明であり、この真実を明らかにされたのが、高森先生著『歎異抄をひらく』なのです。(顕正新聞2021/05/01論説)

全文を好意的に読んでも、最後の「この真実を明らかにされた」のは、「歎異抄をひらく」ではなく「歎異抄」と書くのが普通の流れです。顕正新聞の発行責任者も、「歎異抄」よりも「歎異抄をひらく」の方に重きを置いていることが分かります。

体験発表の内容も高森顕徹会長の著作から

今回の新聞には、2021年4月11日に行われた青年婦人大会の内容が掲載されていました。その中で、青年会員の体験発表も記事になっていました。
その中で気になるのは、以下の部分です。発表者が、友人から病気で余命わずかと聞いた後にこう続きます。

彼の訴えに、善知識方のお言葉を、思い起こさずにおれませんでした。
「臨終に、後悔と恐れが代わる代わるおこってくる」
「一息切れたら次の生である。永久に戻らぬ人生となる。ただ今、人生の目的を達成しなければ、いつするというのであろうか。永遠のチャンスは今しかない」(略)

ここに出てくる「善知識方のお言葉」は、原文は真宗聖典に載っていますが、原稿に書かれているのは高森顕徹会長の「なぜ生きる」などに掲載されている「現代語訳」です。

二つ目に出てくるのは、原文は教行信証の以下の部分です。

呼吸のあひだにすなはちこれ来生なり。ひとたび人身を失ひつれば万劫にも復せず。このとき悟らずは、仏もし衆生をいかがしたまはん。願はくは深く無常を念じて、いたづらに後悔を貽すことなかれと。(教行信証行巻 浄土真宗聖典註釈版P177)

簡単に説明すると「このとき悟らざれば」が「ただ今、人生の目的を達成しなければ」となっており、「仏もし衆生をいかがしたまはん」は省略されています。
それ以外にも省略された言葉はあります。

1万年堂ができる前の親鸞会体験発表や弁論大会では、聖典のお言葉がそのまま引用されていましたが、今は聖典のお言葉よりも、高森会長の作文が引用されています。

歎異抄をひらく」「なぜ生きる」聖典化の問題点

現代語訳が悪いわけではありませんが、問題は高森顕徹会長の著作に書いてある「現代語訳」はいろいろと親鸞会独自の教義が折り込んである点です。
熱心な会員ほど、真宗聖典よりも高森会長の著作を開くことが多いです。しかも、繰り返して読んでいくとだんだんと「原文」「現代語訳」の構成で書いてあっても「原文」は読まなくなります。

丁度、ニュースや映画などで海外の映像に字幕がついていると、その字幕だけ読んで言葉が耳に入らないような状態になっています。それも字幕に問題がなければいいですが、Youtubeなどには、それを逆手にとった「うそ字幕」という動画が多数作られています。どんなものかを知りたい方は、リンクをたどって見てください。

これも「うそ字幕」と書いてあるので、パロディーだと分かりますが、その記述がないものを見たら「この人はこんなことを言っていたんだ」と信じる人も多いと思います。


同じように、「浄土真宗親鸞会」という名前の団体の会長の著作となれば「現代文」に書かれていることを読んで「これが浄土真宗の教えなのだ」と信じる人も多いかとおもいます。しかし、原文と並んでいる現代語訳をよくよく比べてみるといろいろとおかしな点があることが分かるくらいに変わっています。


しかし、その違う点に気がつかずにそのまま信じてしまうといろいろと問題が起きてきます。今日で言えばフェイクニュースを信じてしまうのと構造は同じです。フェイクニュースを信じる人にとっては、そのニュースこそ真実であるのと同様に、フェイク真宗を信じる人にとっては、その教えこそ真実であるのだと思います。私も、そう思っていましたのでよく分かります。


しかし、どれだけ「これが真実だ」と信じていても、フェイクでは真実浄土へは往生できません。現代語訳も大事と思われるでしょうが、南無阿弥陀仏が最も大事です。南無阿弥陀仏が浄土に往生させるとの阿弥陀仏のお働きです。

現代語訳を比べてみたい方は、こういうものも出ているので一度読んでみて下さい。