親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

もはやビデオ法話であることが前提になった親鸞会降誕会(顕正新聞2023年3月1日号を読んで思った事)

親鸞会機関紙顕正新聞2023年3月1日号1面より

親鸞会機関紙顕正新聞2023年(令和5年)3月1日号を読みました。
以下、思ったことを書きます。


今回の1面は、「6/10・11 二千畳で真剣な聞法を 親鸞聖人降誕会まで3ヶ月」が見出しとなっていました。3年ぶりの二千畳での人数制限無しでの降誕会開催に向けて力が入っているようです。ただ、紙面下の段の中見出しが気になりました。

「初日(10日)午前から「ご講演」」

高森先生のご講演は、初日(10日)の午前・午後と2日目(11日)午前に予定されている。演題は、「利他の信楽うるひとは、のご和讃について」。親鸞会機関紙顕正新聞2023年3月1日号1面より・赤字原文ママ

ここ最近の親鸞会降誕会報恩講は初日の午前はビデオ上映となっていました。それが今回は、初日午前から「ご講演」となっています。15年くらい前から、高森会長の体力的な問題で、二日間の行事はほとんどなくなっていました。二日あっても、初日の午前はビデオ上映、午後から話、二日目の午前で法話は終了という日程が続いていました。

ここ最近のネット配信の行事も、そのころの映像を使っているため、午前は行事のために作成したビデオを上映していました。

今回の演題は、過去の初日の午前から法話があったころの映像を使う前提で、「初日午前から「ご講演」」となっています。ここ最近会員になった人にとっては、降誕会の日程が変わってきたので告知のために一面に書いたものと思います。

ビデオ法話前提になっているのに機関紙に一度も「過去のビデオ」と書かない違和感

このコロナ禍の間にも、「今回は高森先生がお立ちになる」「これが最後になるかも知れない」という連絡が会員に伝わったことがありました。しかし、実際はいつもの通りの過去のビデオ映像でした。それでも、そのころには運営側にも「ひょっとしたら高森先生が会員の前で話をすることがあるかも」というわずかな可能性に期待している向きがありました。

しかし、今回の行事予定を見て、運営側も「もう高森会長が人前にでることはない」ということを前提にするようになったと感じました。もちろん、過去のビデオ映像がすでに2日分のものしかなくなったという事情もあるでしょうが、すでに時間も経過し、ビデオ法話が前提となったようです。

しかし、それでも機関紙には「ビデオ法話」の文字は一度も出てきません。

親鸞会機関紙顕正新聞2023年3月1日号6面

高森会長へのお礼状が掲載される「法友通信」は毎号続いています。手紙を出す人も、掲載する人も、顕正新聞を読む会員も、みんな「ビデオ法話」だと分かった上で「ビデオ法話」と全く出さずに続けている事に違和感を感じます。

かつての美空ひばり記念館になりつつある二千畳

以前、京都嵐山に美空ひばり記念館がありました。当時は、美空ひばりの生前の衣装の展示とともに、大スクリーンで過去のライブ映像が上映されているのが売りでした。現在は、閉館となり別の形になっています。

この「ビデオ法話上映前提」の二千畳行事のことを紙面で読むと、かつての美空ひばり記念館に重なって見えてきます。過去に直接高森会長から話を聞いてきた会員にとっては、思い出補正もあってそれでもよいのかもしれません。しかし、ここ最近入会した会員からすれば、「ネットでも見られるビデオを見るためになぜ二千畳に行かねばならないのか」と思う事でしょう。

内容を問わず一般論として言えば、「ビデオ法話上映」が一概に悪いとはいいません。ただ、その旨を書かないことは事情を知らない新規会員にとっては「だまされた」と思うだけです。

最近はネット上では「親鸞会」と名乗る箇所も出てきましたが、相変わらず現場では「名乗らない勧誘」が主体となっています。「名乗らない勧誘」で誘われた人が、「ビデオ上映と知らせない」降誕会の為に富山まで行くのですから、二重三重に騙されています。

加えて言えば、最近会員になったり、ネット経由でさそわれた人から聞いた限りでは、「高森会長の過去のビデオ法話」は評判がよくありません。その理由の大半は「結局どうしたら救われるかの話がない」ことです。

「これはすばらしいものだ」という思い込みが、運営側や古い会員には強いとおもいますが、実際聞く側の意見を聞くべきではないでしょうか。誰が要望に応じた話をするかは知りませんが。