親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

「青年講師」に見る親鸞会の人手不足

親鸞会の機関紙・顕正新聞2022年(令和4年)8月1日号を読みました。
以下、思ったことを書きます。


今回の特集は、「学徒になったら顕真学院」でした。

顕正新聞2022年8月1日1面

顕真学院、その過去と現在

かつて顕真学院は、親鸞会における人材の養成所でした。私が、顕真学院に入学した1997年(平成9年)前後は、学生部の会員が一番多かった頃で、「学院希望者会合」という顕真学院に入りたい学生部員の説明会があったほどです。当時、学生部の会員数は1000名を超える規模でした。そのため、私が入学した頃が一番学院生が多く30名を越えるほどでした。


その頃の「学院希望者会合」は、入学希望者が多く、「本当に君たちは学院に入りたいのか」という覚悟を要求されるような内容でした。今でもよく覚えているのは、当時副学院長であった渡部隆志さんが、「君たちの代わりなんていくらでもいるんだ。就職先みたいな気持ちではなく、命がけでないとこの道は進めない。その覚悟はあるのか。」という発言です。


当時は、顕真学院希望者も多く、親鸞会側としても学院希望者を選別する状態でした。当時の私は、その会合に出ると「なんとしても講師部の道に進もう」と思ったものでした。


しかし、今は学生会員の減少により、顕真学院への入学希望者も減っていき、かつてあわらにあった顕真学院は、富山県射水市の同朋の郷に移転となりました。そこで、今は半ば会員の研修所として活用されているようです。

青年講師について

顕正新聞2022年8月1日号8面

今回の顕正新聞で気になるのは、上記の記事でした。
高森光晴氏は、現在講師長となっているようです。そこで、かつての顕真学院は、現在「浄土真宗学院あわら校(福井県あわら市)」となって、そこで「親鸞講師や顕正講師」対象の研修が2022年7月5日〜7日に行われたとのことです。

見出しにもある「青年講師」というのは、文字通り青年層の会員で「親鸞講師、顕正講師」または、それに準ずる会員のようです。過去の「専任講師」とは違う扱いとなっています。

親鸞講師」は、これまでは「アニメの上映」または「高森顕徹会長のビデオ上映」の取り扱い人という位置づけで、個人として人前で話をすることはありませんでした。それが、最近は、この「親鸞講師」も人前で話をすることになったようです。講師部も人が増えず、年々辞める人も多いので人手不足なのでしょう。

顕正新聞2022年8月1日号8面

親鸞講師は、「なぜ生きると仏教」「お釈迦さまと阿弥陀仏」「人間の実相」などから、演題をあらかじめ選択し、研修初日に、パソコンの画像や映像なども駆使した40分の説法をする。ベテランの講師からのアドバイスを得て、研修中にさらに練習を重ね、最終日にもう一度、挑戦した。
こうして合格者は、すでに各地の一般会場で実力を発揮している。

親鸞会の講師の仕事は、「高森顕徹会長の法話に誘う事」が第一目的です。その点で言えば、上記の話ができれば、その目的は達成されるという事なのでしょう。

そういう意味で言えば、学生部の活動で学生の先輩が、学生に「部会」で話をしていたのと同じ感覚なんだと思います。昨今は、元統一教会の偽装勧誘が話題になっていますが、親鸞会も学生部の偽装勧誘で会員になった人がすでに60代になるころなので、会全体が学生部の勧誘と同じ形式になってもなんの違和感もないのだと思います。

法話」の重みと位置づけの変化

以前は親鸞会での「法話」は重みが有るものでした。専任講師でも「君たちにはそんな話はできない」ということで、「禁止の演題」があったほどです。ちなみに、どんな演題が禁止されていたかと言えば、「二種深信」「二河白道の譬え」などでした。

今は「続いて誘えるなら誰が話をしてもいい」ということなのでしょう。事実、親鸞会講師の法話は、誰が話をしても同じと言えば同じでした。
一応讚題で「あわれあわれ存命のうちに皆々信心決定あれかしと朝夕思いはんべり。まことに宿善まかせとはいいながら述懐のこころしばらくもやむことなし」とは言っていても、自分が話す法座で、信心決定してもらいたいと思っている講師は一人もいません。なぜなら、自分自身が高森顕徹会長から何年も話を聞き続けていても、未だに信心ということが分からないからです。まして、そんな自分の話を聞いて、信心決定する人があるとは夢にも思っていません。

従って、親鸞会における講師(青年講師)の「法話」とは、「信心決定あれかし」ではなく、「続けて話を聞いてください」「親鸞会に入会してください」という以上のものはないのでしょう。


「信心決定」を掲げながら、誰も信心決定できると思っていない。そんな人が法話をするのが親鸞会という団体です。以前からそうでしたが、現在はますますそうなったと言えます。