親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

欠席が続く高森顕徹会長と4日間開催に変わった報恩講にみる親鸞会の今後

shinrankaidakkai.hatenablog.com

前回の記事を訂正しました。2019年08月18日の映画解説も高森会長は欠席となり、ビデオ上映だったとのことでした。

2019年09月01日(日)も、二千畳講演会の予定でしたが、当日会場にて高森会長の欠席が発表され、ビデオ法話の上映になりました。2019年06月23日の映画解説以来、親鸞会館での高森会長の話は行われていません。

以前より、高森顕徹会長の行事の中止はありましたが、ここ最近のような当日会場での欠席発表が続くというのはかつてなかったことです。また、今年の親鸞会館での報恩講の日程変更が発表されました。


以前の日程は、以下の新聞広告にある通りです。

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富山新聞 親鸞会館報恩講の広告

ところが、今回の発表では、10月19(土)・20(日)・21(月)・22(火)の四日間開催となりました。
しかも、最初の二日間は、二千畳で高森顕徹会長以外の講師部員が話をするそうです。後半二日間は、高森顕徹会長の話が予定されています。最初の2日間は高森顕徹会長の話で、後半の2日間は各施設や講堂に別れての座談会だそうです。
※追記 日程の内容について訂正しました。(2019/09/06)

高森顕徹会長以外の講師が、二千畳で話をする意味

親鸞会館の大講堂は、ずっと高森顕徹会長のみが話をする場として親鸞会で位置づけられていました。それまで、親鸞会館で講師部員が法話や勉強会を行う時は、大講堂ではなくそれ以外の小さめの会場を使うのが通例となっていました。
現時点でも、高森顕徹会長以上に「この人の話があるなら行ってみよう」という会員がやってくる講師部員はいません。それにも関わらず、高森顕徹会長以外の人間が二千畳で話をするのは、いよいよ高森顕徹会長が話をしなくなることが現実味を帯びてきたということです。


現時点で、5回連続で欠席を続けている高森顕徹会長ですが、周りのこのような変化を見ると、以前のようなただの「お疲れ」だけが理由ではないようです。新聞広告が8月初めだということからすると、その前後からかなり大きな変化があったことだと思います。


親鸞会会員の皆さんは、親鸞会館へ足を運ぶのは「高森顕徹会長から直接聞く為」だったのではないでしょうか?では、なぜ高森顕徹会長から直接聞かねばならないかといえば、高森顕徹会長以外に真実を説き切る人はいないからだということだったのではないでしょうか?
それは逆にいえば、親鸞会では高森顕徹会長以外には真実を説き切ることができる人がいないということです。つまり、高森顕徹会長以外の誰が代わりに二千畳で話をしたとしても、真実を説き切ることができない講師の話にしかならないということです。

真実を説き切れない人の話を聞いても救われます

熱心な会員ほど、親鸞会に在籍をするのは阿弥陀仏に救われる為だと答えます。それには、真実を説き切る高森顕徹会長から聞くしかないと信じて会員を続けていました。また、親鸞会において高森顕徹会長以外に真実を説き切る人はいないというのが会員の共通認識です。
それにも関わらず、真実を説き切れないはずの講師部員が親鸞会館でする話を聞く為に、どうして足を運ばねばならないのでしょうか?話す人に拘るのならば、過去の高森顕徹会長のビデオ法話を聞いている方が会員にとっては安心感があるのではないかと思います。


それでも、親鸞会館に会員を誘うとするなら、「真実を説き切れない人の話を聞いても救われます」といっているようなものです。それならば、親鸞会視点で考えても今まで散々批判をしてきた伝統教団の法話にいっても問題ないということになります。それならば、親鸞会は存在する理由がありません。


言い換えれば、「善知識・高森顕徹会長から聞かねば救われない」を大黒柱としてきた親鸞会が、「誰から聞いても救われます」と方針を大転換する時がきたということです。もちろんこれは、随分前から「高森顕徹会長が法話に立たなくなったらどうなるのか?」という熱心な会員が抱えてきた大きな懸念がついに現実のものとなったにすぎません。


確かに、高森顕徹会長が存命中に「この人こそ二千畳で話をするにふさわしい」と決めるのは現実問題として無理があります。第一に、高森顕徹会長が認めません。
第二に、親鸞会においてこれまで二千畳で話をするなら信心獲得している人でなければ会員納得しませんが、そんな人がいるとは聞いたことがありません。

親鸞会館と同朋の里をどう運用するかの模索がはじまった

富山県射水市の親鸞会館とその周辺にある同朋の里*1、有限会社ウエルカム*2は、親鸞会館での高森顕徹会長行事がある前提でつくられてきたものです。それらの施設の維持費とそこで働く人の人件費を考えると、高森顕徹会長が登壇しなくなったからといってすぐに閉鎖というわけにはいきません。


その一つの試みとして、二千畳のギネスチャレンジ*3
があります。
shinrankai.jp
新聞広告での限界を見据えて、親鸞会の広告戦略として一般のニュースで紹介してもらう方法も試し始めました。少なくとも、射水市でギネス認定が出れば何らかの形で報道されます。


今後は、如何にこれらの施設を稼働させていくかが親鸞会を運営する人にとっての大きな問題となるでしょう。高森顕徹会長以外の講師部員が話をするというのはそのためのテストケースだと思います。



極端なことをいえば、毎日二千畳で高森顕徹会長以外の講師の法話が行われているということを目指して今後の親鸞会は運営に舵をきっていくことでしょう。


仮にそれで、施設の維持管理費が賄えるようになったとしても、かつて親鸞会が掲げていた「親鸞聖人のみ教えを徹底する」ことになるのでしょうか。
多くの会員にとっては、会館施設の維持管理も大きな問題ですが、最も切実なのは自身の往生浄土です。信心獲得の身になることです。

まとめ

高森顕徹会長が登壇しなくなる前提で、親鸞会は大きく変わっていきます。
「親鸞会」という団体や施設を支えたい人は、そのまま残ることも本人の自由意思です。
しかし、自身の後生を最優先するのならば、親鸞会に留まる理由はありません。阿弥陀仏の救いはただ今の救いですから平生業成といわれます。ただ今救うという南無阿弥陀仏にただ今救われて下さい。