親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

親鸞会講師部員は「なぜ生きる」?

前回のエントリーで、親鸞会の経営状況がかなり厳しいのではないかということを書きました。
今回は、振り返ってみるとこの動きは実は2・3年前から想定されたものだったのではないかということについて書きます。

学徒タブレットは講師部員解雇のための布石

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親鸞会機関誌 顕真2016年(平成28年)2月号P26より
sayonara1929.txt-nifty.com

機関誌や上記ブログにも書かれていますが、2015年(平成28年)後期から、会員に「学徒タブレット」という名前のタブレットを持つように推進されてきました。
活動する会員が、一人一人タブレット端末をもち、その中に親鸞会が用意する「真宗の教えの解説動画」「親鸞会アニメの解説動画」「勤行の音声と文字の再生」などなどが出来るようになっています。それを用いて、会員が個人的に誘いたい人に紹介したり、一緒にタブレットで解説動画を見て、親鸞会に入会、やがては親鸞会館の高森顕徹会長の法話に参加しましょうというものです。

実際にこの「学徒タブレット」を使って、知人や親族を親鸞会館にさそった会員何人もおられるようです。

私は、最初この「学徒タブレット」の話を聞いた時は、また新しい商品を会員に買わせてお布施集めをしているのではないかと思っていました。しかし、これは講師部員解雇の為の布石だったのだということが、今になると分かります。

経営的に行き詰まると、真っ先に講師部員を解雇してきた親鸞会

経営的に行き詰まった親鸞会が、これまでにやってきたこととして代表的なのは講師部員のリストラ(事実上の解雇)です。
2002年(平成14年)に支部長制度が始まりました。これは、「講師部員一人一人が、法話に立ちそのお布施だけで生きていく。高森顕徹会長の歩んだ道を進むように」という建て前で始まったものです。
それ以前は、講師部員は親鸞会の「職員扱い」で、基本給も支給され、厚生年金にも入っていました。しかし、支部長制度が始まってからは、全員が個人事業主となり、国民年金を自分で払うという形になりました。これは、外部の人から見ると事実上の解雇なのですが、会にいる講師部員は殆ど気がつきませんでした。私も、親鸞会を除名になりハローワークや労働基準監督局に相談して、やっとその事実に気がついたというくらいのものです。
これは、正本堂建立に関して、建設費や維持費の確保の為の人件費の圧縮のためにしてきたものです。


それに伴い、支部長は自ら法話に立つことはその後禁止され高森顕徹会長のビデオ法話を上映する責任者で、自分の話はその前にする10分間説法のみ(原稿は親鸞会が用意したものに限定)となっていました。私も当時担当していた会員から「どうして、あなたが話をしては成らないのですか?ビデオならば、あなたでなくても再生できるではありませんか」とよく疑問を投げ掛けられたものです。


確かに、高森顕徹会長の法話の録画を再生する機械の操作と、親鸞会が用意した原稿を覚えて話をするだけならば、特別「親鸞会講師」でなくてもいいわけです。当時いた「ビデオ講師」でもできることです。そのころから、親鸞会講師の仕事は「自ら法話に立ち参詣者に話をすること」の割合が薄れ、高森顕徹会長の法話に誘うこと、お布施を集めること、会費を集めること、機関紙を配布することが多くなっていきました。


その後、ネットでの座談会の配信などなど変化があり、数年前からは講師が話をすることができるようにはなったようですが、その間失われた十数年は確実に講師部員の教えの真偽はさておいても技術はそうとう落ち込んだと思います。それは、先日公開した高森顕徹会長の講演会動画のアシスタントや、オンライン講座の講師の話を聞いてみるとわかります。少なくとも、支部長制度が始まる前の方が、渡部さんも、大見さんも魅力のある話をしていましたよ。

二度目の解雇 親鸞会講師

そこに加えて2018年(平成30年)から、支部長制度が廃止され、各地の支部長は親鸞会講師から各地の会員になりました。それにともない、各地での親鸞会法話への誘いも会員が主体となり(一部はタブレットを使い)、お布施も会員が募るようになりました。


こうなると、事実上「親鸞会館へ人を誘う」「お布施を募る」「会費を集める」「連絡事項を伝達する」以外のことをしていなかった、親鸞会講師は存在意義がなくなってしまいます。



それまでは、各支部に担当の支部長ということで親鸞会講師を「死なせないで下さい(当時の高森顕徹会長の言葉)」ように、地元の会員の皆さんは、なんとか支部長を支えようと地域によっては相当頑張ってこられました。


しかし、今年からの制度変更で、地元の会員からすれば、特定の講師をなんとか支えようという理由が無くなりました。事実、相当数の講師部員が実家に戻り、実家暮らしを始めています。実家のご両親からすれば、もう縁が切れたと思っていた子供が帰ってくることを拒む人は大多数ではないかもしれません。そこに加えて、今回の高森顕徹会長の動画公開です。支部長を支える為に、支出していたお金を親鸞会に出せといっているようにしかみえません。

こうして人材を使い捨てにしてきたのが親鸞会です。
yugaomemo.hatenablog.com



その一方、親鸞会講師も若くはありません。一番多いのが、60代〜40代でしょう。親御さんといっても、90代から70代の年金世代です。

www.nhk.or.jp

今、40代・50代の働き盛りの世代に異変が起きている。親の介護などがきっかけで働けなくなる人が増えているのだ。独身中高年650万人のうち6人に1人が無職、特に介護は独身者ほど負担が重い。こうして、長期間、働けなくなり、求職活動もあきらめてしまう人はミッシングワーカー(=消えた労働者)といわれ、問題視され始めている。労働市場から消えた存在、ミッシングワーカーの実態に迫り、解決策を探る。

丁度、NHKドキュメンタリーで、「ミッシングワーカー」というのを放送していました。
私は、親鸞会講師にどうしても重なって見えて仕方がなかったので、どうか見て欲しいと思います。

解雇によって、「なぜ生きる?」親鸞会講師

今年の制度変更により、多くの講師部員は実家に戻り、かつて縁のあった会員に連絡をとって、なんとか「親鸞会講師」の体裁を保っている状態です。
しかし、それも「高森顕徹会長が親鸞会館で話をしている」前提でのことです。
私もそうでしたが、親鸞会講師は「高森顕徹会長の法話に誘う」以外に存在意義がありません。遠くない将来に、高森顕徹会長の法話が無くなったら、親鸞会講師は「なぜ生きる」のでしょうか?



貴方はなぜ「高森顕徹会長から聞いた話」を、人に話しているのでしょうか?誘うべき「高森顕徹会長の法話」が無くなってもそれを続けるのでしょうか?


「人」として「なぜ生きる」は、親鸞会ではいろいろ聞かれているでしょうから敢えて聞きません。
しかし、「親鸞会講師」として、将来「高森顕徹会長が法話をしなくなったら」貴方は「なぜ生きる」のでしょうか?
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