2018年11月25日(日)親鸞会館(富山県射水市)で、高森顕徹会長による「映画・なぜ生きる解説」がありました。
今回の内容については、すでに他の方のブログで言及されています。
hiun.cocolog-nifty.com
映画『なぜ生きる』の蓮如上人のセリフ
『聞く一つで、大船に乗せる』ということは、阿弥陀仏の命を懸けたお約束だからです」
とは、どんなことでしょうか。」
これに関連して、今回は二河白道の譬えについて話がありました。その内容が本来の話と違う点についてはすでに上記の飛雲さんが解説されています。
そこで、この記事では私も親鸞会にいたころよく聞いていた「白道を進めば進むほど、群賊悪獣悪知識がその道を進むなと妨害をしてくる」について書きます。この内容については、今回も高森顕徹会長の話でも出てきました。
ここでいう白道というのは、本来の他力信心の意味ではなく、「聞法心・求道心」という意味で親鸞会では説明されます。私が親鸞会に入会したのは大学1年のときでした。そのころから説明は変わっていませんが、それに伴う「群賊悪獣悪知識」の意味は親鸞会会員の活動現場で変わっていっています。
群賊悪獣悪知識の変遷
この「群賊悪獣悪知識」は、かつて「白道を進む=富山県の親鸞会館へ行って高森顕徹会長の話を聞く」ということから、「毎月1回、2回と親鸞会館へ行くと家族や周りの人がいろいろと意見を言ってくる。妨害をしてくる。」という意味で使われていました。そのころは、「そんなに毎月富山まで行かなくても」と反対する家族が群賊悪獣でした。私も大学生で初めて聞いたのはそういう説明でした。
また、親鸞会講師部になったころも、同じ意味で使っていました。かつては毎週全国各地で高森顕徹会長の法話があったので、それに毎回参加するというのは、学生はもちろん、社会人も大変です。まして、高齢な会員は家族が体を心配して反対をするのは当然です。
そんな中、家族や周囲の反対を押し切ってでも高森顕徹会長の法話に足を運ぶことが「求道」であり、またその反対が強くなってきたら強くなるほど、自分の求道は進んでいるのだ、白道を進んでいるのだと考えていました。また、周囲の反対に心が揺らぎそうになった会員に対して、私もまた周りの会員もそのように話をして説得をしていました。
ところが、流れが変わってきたのは1999年(平成11年)に発行されたパンフレット「これが獲信か」が出てからでした。この内容は、高森顕徹会長の出身団体である華光会についてその名前を出さずに「人工信心の団体がある」と批判をしています。結論は、そんな恐ろしい「群賊悪獣悪知識の団体があるから近づくな、気をつけろ」というものでした。
実際このころに、親鸞会を離れて華光会にいく人もあったようでこのパンフレットはほぼ全会員に配布をされました。この時点で「群賊悪獣悪知識」は、「親鸞会以外の団体」という意味が強調されるようになりました。
さらに、2009年(平成21年)以降は、親鸞会脱会者による教義批判がネット上でも目立つようになりました。そのころから、「親鸞会脱会者でネットに記事を書くようなもの」も群賊悪獣悪知識に追加されました。
しかし、その後も親鸞会を退会する人が減ることはありませんでした。なぜならば、親鸞会の活動が度重なる建築物のお布施や、広告掲載のお布施など以前にもまして会員の負担は大きくなったことが主な原因です。それに加えて、ネットに繋げば、親鸞会の教義がいかに真宗と違うかということが、簡単に分かるようになりました。また、親鸞会以外でどこで法話が行われているのかも探すことが容易になってきました。
shinshuhouwa.info
そうして、親鸞会を離れようとする人を、顕正新聞などで「群賊悪獣に気をつけろ」と警告をし、また直接話をして必死に説得をしているのが現在の親鸞会です。
(顕正新聞2018/11/01号)
こういう記事は、随分前から機関誌に掲載され続けています。
しかし、考えて見ると親鸞会を離れる人は、「親鸞会が嫌いになった」というよりも「信心獲得したい」という人がほとんどです。そういう「求道心・聞法心」が強くなるほど、それを妨害してくるのが「群賊悪獣悪知識」ならば、今は親鸞会こそ「群賊悪獣悪知識」ということになっているのが現状です。
群賊悪獣悪知識、変遷のまとめ
まとめると、親鸞会会員にとっての群賊悪獣悪知識は、
家族・友人→華光会→華光会と脱会者→親鸞会となってきました。
親鸞会を脱会するときのハードルは、「親鸞会からの批判」はあると思いますが、そういう反対が強ければ強いほど、いわゆる「聞法心」が強くなったあらわれだと思って、自信をもって一歩踏み出してみて下さい。
まとめ
かつては、親鸞会のなかでも「親鸞会公式認定妙好人」のような人がいました。私が、入会した頃はそういう人が数名おられたので(といっても、高齢な方ばかりで学生や青年層にはいません)、親鸞会にいなければ救われないと思っていました。
しかし、今の親鸞会の方針は「本当に助かりたいという面倒な人は出ていって下さい」というのが本音です。数年前から、教義批判サイトを見たことを広言して退会の意思を示した会員を説得することはほぼなくなりました。
最後に残った「親鸞会批判サイトは見ていないけれど、会の教義になんとなく疑問をもっている人」に対しては、「親鸞会の外へ行くな、恐ろしいところだぞ、絶対に救われないぞ」と強調しているのが今の親鸞会です。本音を言えば「お金出す人は残って下さい。教義について質問しないで下さい」が、親鸞会の本音です。
このようなブログ記事を読まれた現役会員の方は、「なんとか救われたい」という気持ちか「本当に親鸞会で救われることがあるのだろうか」という人だと思います。今の親鸞会で「本気で救われたい」と思ったら、親鸞会を出る以外の選択肢はほぼありません。「いつもの話」を聞くのは安心かもしれませんが、それで貴方は救われる気なのでしょうか?少し冷静に考えてみて下さい。貴方が「本気で」信心決定したいと思った時に、相談できる人は親鸞会にいるでしょうか?それよりも、その気持ちをへし折るように「とにかく高森顕徹会長の話を聞くしかない」という人は、貴方の聞法心・求道心を妨げる群賊悪獣悪知識ではないでしょうか?