親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

「『若不生者』の『生まれる』はこの世で正定聚に生まれることだ」の主張をこっそり翻した高森顕徹会長(宗教法人浄土真宗親鸞会)顕真平成26年4月号を読んで

親鸞会に所属している人の特徴は、外から教義について批判をうけても絶対に間違いを認めないことです。なぜ認めないのかと言えば「高森先生(浄土真宗親鸞会高森顕徹会長)が仰ったから」が根拠となっているからです。


また、当の高森会長も外から教義批判をされたときは絶対に間違いをみとめません。しかし、会員と違うところが一つだけあります。それは、後でこっそりと指摘された間違いを修正して書籍に書いたり話をしている点です。もちろん会員に対して「あれは自分が間違っていた」と謝罪したことは決してなく、以前主張していた間違いは「なかったこと」にしてしまいます。これでは、外部の教義批判に対峙してきた会員の立つ瀬はありません。とはいえ親鸞会の歴史から言えばそんなことは、一度や二度でははありません。


最近読んだ親鸞会機関紙顕真平成26年4月号に、そのままのことが掲載されていたので紹介します。

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本願文の「若不生者」の意味について、高森会長は以前「この世で正定聚に生まれること」だと主張をしていました。そして、そのことを自分が制作したアニメ「世界の光 親鸞聖人シリーズ第二部」(販売:チューリップ企画)に描き、その間違いを指摘した人(若不生者の意味は、死後浄土に生まれると批判)とのやり取りをネットに公開してまで自説を主張していました。
(参照:http://shinjin.info/2008/12/250750167.html


ところが、高森会長の近著「なぜ生きる2」に掲載されている本願文の意訳が、かつての主張を翻して批判してきた人の意見に変わっていました。
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そのことについて質問も出ていたのでしょう。3月11日の講師部講義で改めて、「若不生者の生まれるは浄土往生のこと」と話をしたようです。もちろん、以前主張していた「この世で正定聚に生まれること」については完全になかったことにしています。


以下、その講師部講義参加者の高森会長への手紙が掲載されていましたので、一部を紹介します。
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このように以前の話をなかったこととして「『若不生者』の『生まれる』が死後のことだと仰っていることに疑う余地はありません」と書けるようでなければ講師長という役職は勤まらないのでしょう。親鸞聖人のお言葉から疑う余地のないことを、高森会長は全く反対の意味で主張していました。つまり、高森会長の説く教えは、お聖教に基づいていないとういことです。だからこそ、主張がころころかわるのです。


そのため、お聖教を少しでも読んだことのある人は、高森会長の話を聞くと必ず疑問を起こします。同じ顕真に掲載されていた高森会長への手紙には正直な意見もでています。
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この「固定観念」とは、「高森先生が仰ることに間違いはない」ということです。そんな考えは、捨ててまともにお聖教を拝読することをお勧めします。


今回のことも、高森会長が「なぜ生きる2」を出版するにあたってさすがに自分の分かる範囲での間違いは掲載できないので修正したに違いありません。

なぜ生きる 2

なぜ生きる 2



おそらく、長く会員を続けている人ほど、上記の特専部の人のように混乱したことと思います。なぜなら、平成19年ごろから教学講義で会員に対して「『若不生者』の『生まれる』はこの世で正定聚に生まれることだ」と何回も繰り返し話をしていたからです。当時、その主張に不審をいだいて親鸞会を脱会した人もあるくらい、親鸞会の中でも偏向した主張でした。それは尊号真像銘文の解説と全く違うからです。

「若不生者」はもし生れずはといふみことなり、「不取正覚」は仏に成らじと誓ひたまへるみのりなり。このこころはすなはち至心信楽をえたるひと、わが浄土にもし生れずは仏に成らじと誓ひたまへる御のりなり。(尊号真像銘文)

http://goo.gl/7kj4C1

以前の高森会長の主張(平成21年2月号顕真より)

以下、平成21年2月号顕真より高森会長が主張していた「『若不生者』の『生まれる』はこの世で正定聚に生まれることだ」について紹介します。これは、高森会長の教学講義の参加者が講義の後、信心の沙汰と称して講義の内容を振り返っている記事です。

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(顕真平成21年2月号 P18から)

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上記のように、参加者全員が「『若不生者』の『生まれる』はこの世で正定聚に生まれることだ」と理解をし、顕真にもまとめとして記事にしているのですから、参加者の聞き間違いではありません。また、実際に平成19年の教学講義は私も参加していたのでこの耳で聞いています。

親鸞会会員の方に言いたいこと

最初に書きましたが、私だけでなく親鸞会の教義に批判をする人に対して親鸞会会員の方は「高森先生の仰ることに間違いはないのだから」の一点張りで耳を塞ぐ人が多くあります。しかし、
高森会長は実際に「間違い」があり、それを認めて「なぜ生きる2」では以前の説を撤回しています。それでも、貴方は「高森先生に間違いはない」と言い切れますか?


私がいうよりも、上記で紹介した顕真平成26年4月号の特専部の方の手紙の続きから紹介します。

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「善知識から正しい教えを聞かせていただいていれば、そのうち何とかなるだろう」は善知識だのみの異安心です。しかも、その前提である、善知識が正しい教えを説いているが崩れてしまったら何ものこりません。


たのむべきは、南無阿弥陀仏であって特定個人ではありません。また、教えも特定個人によるのではなくお聖教によらねばなりません。お聖教によって、南無阿弥陀仏こそたのむ相手と聞いたのが信心です。必ずただ今救われます。


最後に顕真平成21年5月号巻頭言の言葉(高森会長の作文)を今一度、高森会長はじめ親鸞会の方によくよく読んで頂きたいと思います。

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