親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

親鸞会の「絶対の幸福」は風邪薬のCMと同じ(平成30年1月3日初聞法会より。ベンザブロック『かぜぐすリリック』)

平成30年1月3日に、親鸞会館で高森顕徹会長の初聞法会が開かれました。
その内容については、すでに他のブログでも言及されています。
shingikensho.blog12.fc2.com
hiun.cocolog-nifty.com

内容としては、高森顕徹会長制作の映画「なぜ生きる」の内容についての質問に、会長自身が答えるというものです。今回は、その中の

大悲の願船に乗せられると同時に、私たちの苦しみの人生は、幸せな人生にガラリと変わるとは、どう変わるのでしょうか(42ページ)

が演題でした。

親鸞会会員なら説明するまでもないことですが、会員でない方のために説明しますと、最後の「(42ページ)」というのは、最近の親鸞会会員がほぼお聖教扱いをしている映画「なぜ生きる」シナリオブックのページ数です。最近の高森顕徹会長の話は、その根拠がすべて「シナリオブックの○○ページ」というようになっています。ますます情報統制が進んでいることがわかります。熱心な会員ほど、「真宗聖典」を開くこともありません。そのため高森顕徹会長の断章による間違った真宗教義に気がつくこともありません。これは昨今話題のフェイクニュースによく似ています。


フェイクニュースとは、一部の事実を用いて、あるいは捏造して、その上で自分の言いたいことに都合のいい話を加えて本来そうではないことを伝えるニュースのことです。高森顕徹会長は、「お聖教のご文」という事実を出して、その上で都合のいい解釈を加え、または真宗にない教えを加えることによって、いわゆる「フェイク真宗」を弘めようとしている団体です。

今回の初聞法会に参加された方の話を聞いて感じたことは、その「フェイク真宗」の中でも親鸞会特有の「絶対の幸福」についての違和感でした。最近、高森顕徹会長は新規会員獲得に熱心になるあまり「絶対の幸福」を強調します。今回の質問にある「苦しみの人生は、幸せな人生にガラリと変わる」の「幸せな人生」というのが「絶対の幸福」です。


この「絶対の幸福」こそ、まさに高森顕徹会長の親鸞会をあらわす「一枚看板」ということができます。ところが、この「絶対の幸福」自体は、高森顕徹会長独自の言い回しなので伝統的な真宗教団からはどういう概念が理解されないので、あまり批判もされません。そこでこのエントリーでは「絶対の幸福」とは親鸞会会員どう捉えているのかを、書いてみます。

かつて私も「絶対の幸福」になろうと思って親鸞会に所属していました。その絶対の幸福については、親鸞会では「無碍の一道」とか「二種深信」という言葉に置き換えられて、いかにも真宗のようなイメージを会員に持たせています。しかし、その会員に与えるイメージはいってみれば、風邪薬のCMでいう風邪が治ったようなものです。


少し前に公開された武田薬品工業株式会社のyoutubeにあった「ベンザブロック『かぜぐすリリック』」がまさに、親鸞会のいう「絶対の幸福」だと思ったので紹介します。


この動画は、武田薬品工業株式会社が、自身の風邪薬のベンザブロックのCMをセルフパロディーしたものです。

ベンザブロック『かぜぐすリリック』

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「風邪で苦しんでいる人」
それが風邪薬を飲むと。

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「治った喜び感じよう、両手広げて」(歌詞)

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「どこかへ向かう扉広げて」(歌詞)

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「なぜか早足」(歌詞)

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「ジャンプ」(歌詞)

これが、私が過去感じていた「絶対の幸福」のイメージです。おそらく親鸞会会員の多くは、このイメージを追い求めているのだと思います。何だか不調な状態から、両手を広げて扉を広げるようなイメージです。


しかし、信心決定とはそういうものではありません。そう聞くと親鸞会会員の方は「なーんだ」と肩を落とすかもしれません。とはいえ、こういう風邪薬CMのようなものではありませんが、救われる前と後では違います。


何も変わらないまま、救われるというのが阿弥陀仏の救いです。
ただ今救う本願に、ただ今救われて下さい。