宗教法人浄土真宗親鸞会_高森顕徹会長のいう真実信心は、イコール絶対の幸福です。
現役会員の方からすれば「それの何が問題なのか?」と思われるかも知れませんが、実は大問題なのです。結論から先に言いますと、「絶対の幸福=真実信心」ではありません。なぜなら、「絶対の幸福」の定義が、そもそも真実信心と異なるからです。
その証拠として「なぜ生きる2
- 作者: 高森顕徹
- 出版社/メーカー: 1万年堂出版
- 発売日: 2013/12/10
- メディア: 単行本
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釈迦・弥陀の慈悲よりぞ
願作仏心はえしめたる
信心の智慧にいりてこそ
仏恩報ずる身とはなれ
(正像末和讃)釈迦・弥陀の大慈悲によって、大悲の願船に乗せられ絶対の幸福になれたのだ。
この広大無辺のご恩に、いかに報じたらよかろうか。(P89)欄外註釈:願作仏心 阿弥陀仏より賜る信心。絶対の幸福のこと。
ここで「願作仏心=阿弥陀仏より賜る信心=絶対の幸福」と定義しています。そこで、絶対の幸福を高森顕徹会長がどのようにこの本に書いているかを引用します。
大悲の願船に乗じた者は、必ず現世で十種の幸せに生かされる。(P42)
これは、以下のご文を高森会長が現代語にしたものです。
金剛の真心を獲得すれば、横に五趣八難の道を超え、かならず現生に十種の益を獲。(教行信証信巻)
http://goo.gl/GcXSVm
(現代文)
金剛の信心を得たなら、他力によって速やかに、五悪趣・八難処という迷いの世界をめぐり続ける世間の道を超え出て、この世において、必ず十種の利益を得させていただくのである。
読んで頂いて分かることですが、ここのご文は「金剛の信心を獲たら、現生十種の利益をえさせていただく」のであって「金剛の信心=現生十種の利益」といわれたのではありません。言い換えると「真実信心をえたならば、現生十種の利益を獲る」のであって「真実信心=現生十種の利益」ではありません。
親鸞聖人の言われる真実信心は「「信心」は、如来の御ちかひをききて疑ふこころのなきなり。(一念多念証文)」であって「信心=現生十種の利益」と言われた箇所はありません。
しかし、この「なぜ生きる2」では「大悲の願船に乗じた(この本では真実信心を獲たこと)者は、必ず現世で十種の幸せに生かされる。(P42)」と書いたすぐあとに「願作仏心 阿弥陀仏より賜る信心。絶対の幸福のこと。(P89)」と書いています。
例えて言えば「米をとったら藁もとれた(米と藁は別物)」と書いた文章のすぐあとで「米=藁である」と書いてあるようなものです。
親鸞会の会員は気がつかない方も多いかもしれませんが、高森顕徹会長の話はほぼこのような手法です。このように言葉の定義を段階的に変えて、「親鸞聖人が仰ってもいないことを『これが親鸞聖人の正しいみ教えだ』」と大見得を切って「親鸞聖人と異なる教え」を大勢の人に広めようとしているのが高森会長です。そんな人物が「歎異抄をひらく
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そこで、この本では「真実信心=絶対の幸福=現生十種の利益」とした上で、いろいろ書いていますが、次回のエントリーに書きますのでよろしくお願い致します。