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親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

高森顕徹会長が突然「法に依りて、人に依らざれ」と言い始めた背景を考える。

少し前に、高森顕徹会長が話の中で「法に依りて、人に依らざれ」の釈尊のお言葉を通して話をしたそうです。
どのような内容であったかは、すでに他の方のブログで言及されているのでそちらをごらん下さい。

hiun.cocolog-nifty.com
shingikensho.blog12.fc2.com


今回のエントリーは、その「法に依りて、人に依らざれ」のご文を、高森顕徹会長が出したことの意味について考えたことを書いていきます。
そもそもこの「法に依りて、人に依らざれ」は、仏教を学ぶ人に取っては非常に有名なお言葉ですが、親鸞会発行の教学聖典の1号から7号には掲載されていません。それだけ親鸞会にとっては都合は悪いものです。

結論から言いますと、高森顕徹会長が「法に依りて、人に依らざれ」というご文を出すのは、今迄の自身のやり方を間違いだったと認めるいわゆる敗北宣言です。なぜなら、私の知る限り高森顕徹会長の主張してきたことは「人(高森顕徹会長)に依りて、法(お聖教の内容→なぜなら会員読めないから一人で読むと間違えるの意味)に依らざれ」で一貫してきたからです。
私の記憶している範囲では、とある講師が高森顕徹会長以外の真宗の本を読んだり、親鸞会で用いている法蔵館真宗聖典に載っていない七祖聖教を読んだということで糾弾されたことがありました。そのころから、親鸞会講師の間では、「会長の著作以外の本を読んではならない」は共通認識として共有されることになりました。しかし、これは大変危険な考えです、読めるかどうかはさておき、お聖教を全く自分で読む努力もせず(最近では目にもしていません)、高森顕徹会長の話をする内容が「本当の親鸞聖人の教えだ」と思うことは、正しく「人に依りて、法に依らざれ」の状態です。


なぜなら、親鸞会会員にとって「高森顕徹会長が説くところの浄土真宗の教えが正しい」の保証は「だって高森顕徹会長が正しいと言っているから」しかないからです。そのため、親鸞会会員では無い人(学者や元会員)がどれだけお聖教(法)を根拠に高森顕徹会長の話を批判しても耳に入りません。

そんな状況が長く続いているなかで、高森顕徹会長が「法に依りて、人に依らざれ」のご文を出したと言う点に、高森顕徹会長の心中に大きな変化があったのだろうと思います。それは、ここ数年の親鸞会は「高森顕徹会長亡き後」を想定しての体制作りに右往左往していることにあらわれています。


一例をあげると、アニメ映画「なぜ生きる」への傾斜がその一つです。映画を中心として、その解説という形で各地の講師が話をする形式は、高森顕徹会長が法話をしなくなった後を想定してのものと思います。また、各地に会館を造り続けるのも、結果としては「富山の親鸞会館になにがなんでも毎月行く」という「高森顕徹会長ありき」の状況からなんとか転向したいという、高森顕徹会長を除く運営側の意図が感じられます。


実際問題として、私も親鸞会にいたころに思っていたことですが、「高森顕徹会長の法話が行われなくなった時、富山県親鸞会館に行く理由はなんだろう?」ということがあります。また、高森顕徹会長が亡くなるまでは頑張ると思っている会員も多くいます。「500年に一度の蓮如上人以来の善知識」を自認していた高森顕徹会長からすれば、いよいよ自身がいなくなった後を考えると、「法に依りて、人に依らざれ」とでも言わざるを得ない現状があります。

今迄何十年と「高森顕徹会長から話を聞かないと救われない」とか「高森顕徹会長しか真仮の水際を説ける人はいない」と言ってきた親鸞会としては、「法に依りて、人に依らざれ」はいわゆる真逆の話ということになります。高森顕徹会長の心を代弁すると「もう私(高森顕徹会長)の法話を聞けば誰でも助かるとは言えなくなりました」という宣言です。


そもそもの話として、真宗の法話とは、どんな人がどんなことを話をするのかを、親鸞会会員の方に知って頂きたいと思います。真宗の法話とは、何か突出したカリスマ布教使が、トップクラスの教学と魔法のような話術を用いなければできないようなものではありません。
一例として、以下の文章を紹介します。

ある時、妙好人源左に村の人がこの次の説教者を誰にしようかと相談した時、彼は答えて「誰でもよい、ただそのお説教のなかに『お前を助ける』という一句があれば、それでよい」といった。
「人に依らず法に依る」という考えもあるが、真宗の説教はまさにそれである。プロテスタントが、主として「話す人」に、その説教を依存しているのと対蹠的だといってよい。(柳宗悦 妙好人論集 P78)

柳宗悦 妙好人論集 (岩波文庫)

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妙好人の源左さんが言われていますが、「お前を助ける」(法)が大事なのであって、誰が話している(人)が大事なのではありません。


ここまで読まれた親鸞会会員の方は、ご自身の胸に手を当てて考えて見て下さい。
富山の親鸞会館に足を運んでいたのは、「親鸞聖人の教え(法)|を聞きたかったのでしょうか?それとも「高森顕徹会長の話を聞きたかった(人)」を聞きたかったのでしょうか?