親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

「浄土真宗で善とは何を指していわれるのでしょうか?浄土真宗に善の勧めが有ると強弁する団体が有ります。」(頂いた質問)

浄土真宗で善とは何を指して言われるのでしょうか。浄土真宗に善の勧めが有ると強弁する団体が有ります。その団体は到底善をしているとは思えません。善をしなければ救われないと言うのは言動からも、教義からも分かりません。
そもそも浄土真宗は何を教えられたものでしょうか。(頂いた質問)

浄土真宗親鸞会は、上記にある「浄土真宗に善の勧めが有る」と主張しています。しかし、その「善」の内容は、「高森会長の法話を聞く、朝夕の勤行をする、親鸞会に献金する、親鸞会の活動を一生懸命する」です。

しかし、親鸞聖人の教えられた浄土真宗は上記のような「善の勧め」はありません。ここでいう「善の勧め」とは、「救われる為に善をしなければならないという勧め」のことです。

浄土真宗で善といえば、仏さまのなされた善であり南無阿弥陀仏のことです。

大行とはすなはち無碍光如来の名を称するなり。この行はすなはちこれもろもろの善法を摂し、もろもろの徳本を具せり。(教行信証行巻・浄土真宗聖典(註釈版)P141)

http://goo.gl/iH3WG

「無碍光如来の名を称する」とは、念仏のことです。念仏は「もろもろの善法を摂し、もろもろの徳本を具せり。」といわれ、あらゆる善根功徳が収まっているといわれています。この善根功徳は、法蔵菩薩の五劫思惟兆載永劫の行ですから、私の善ではありません。まして、親鸞会で勧めるような善ではありません。
阿弥陀仏のなされたあらゆる善根功徳のおさまった南無阿弥陀仏を私に差し向けて下さっているのが阿弥陀仏の本願です。ですから、さらに私が加えてする善はありません。

浄土真宗は、何を教えたられたのか?それは、阿弥陀仏の本願です。

選択本願は浄土真宗なり(御消息・浄土真宗聖典(註釈版)P737)

http://goo.gl/Zi6HL

ここで、選択本願といわれるのは、第十八願のことです。第十八願は、本願を信じ念仏するものは、必ず浄土に往生させると誓われたものです。

そのため、「善をして往生する」のは浄土真宗ではないと上記の御消息の前後に書かれています。

浄土宗のなかに真あり、仮あり。真といふは選択本願なり、仮といふは定散二善なり。選択本願は浄土真宗なり、定散二善は方便仮門なり。(同上)

ここでは「定散二善」といわれていますが、善を実行して救われるというのは「方便仮門」であって、浄土真宗ではないといわれています。

私が善を実行して救われる教えではなく、阿弥陀仏の方から南無阿弥陀仏となって回向してくだされる教えが浄土真宗です。
教行信証教巻に書かれています。

つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。往相の回向について真実の教行信証あり。(教行信証教巻・浄土真宗聖典(註釈版)P135)

http://goo.gl/M9kmH

浄土真宗とは、二種の回向であり。往相と還相の二つの回向を教えられています。これを本願力回向といいます。
阿弥陀仏が第十八願に誓われた内容を開いて、教行信証に表されたのが教行信証に書かれていることです。

この教行信証には善の勧めはありません。よって、「浄土真宗には善の勧めはある」と主張する団体は、「浄土真宗」と名乗ることをまずやめてもらわねばなりません。