親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

「尊い仏法依存性になろう」(顕真2022年6月号)親鸞会が会員に求めているもの

親鸞会の機関誌・顕真2022年(令和4年)6月号を読みました。

その中で、以下の記事について書きます。

親鸞会機関誌・顕真2022年6月号

尊い仏法依存性になろう
聞法や法財施の心は何によって起きるのか、それを明示されたご教導から学びましょう。

●依存性
世間で依存症といえば、薬物依存症や麻薬依存症など、いくら意思を固めても止められない良くない行為にはまることをいう。

だが悪い行為があれば、善い行為もあるはず。
例えば親切せずにおれない親切依存性、いつも笑顔の笑顔依存性。
仏法聞かずにおれない聞法依存性、法施せずにおれない法施依存性、財施せずにおれない財施依存性など尊い依存性もある。

まことに仏法依存性でありたいものである。

(顕真2022年6月号より)

この顕真の「●依存性」と[]でくくられている文章は、高森顕徹会長の作です。親鸞会機関誌で「ご教導」とあるものは、高森顕徹会長の文章や発言を指しています。

高齢となり会員の前に姿を現さなくなって数年経った会長ですが、まだ文章を作る元気はあるようです。しかし、心境の変化からか今まで言葉にしてこなかった会員に対する本音が出た文章となっております。


依存症とは

国語辞書から引くとこう定義されています。

いそん‐しょう‥シャウ【依存症】
〘名〙 あるものに依存し、それなしには平常の精神的・身体的状態を保てなくなる状態。(日本国語大辞典

この顕真掲載の文脈に近い、国語辞書の用例は「ギャンブル依存症」でした。

ギャンブルいそんしょう 【ギャンブル依存症】

ギャンブルをしたいという強い衝動を抑えられず,ギャンブルを繰り返す状態。不快な気分を解消し,現実から逃避する手段として賭博を繰り返すことにより,多重債務に陥り,生活に破綻を来すことが多い。病的賭博。(大辞林

親鸞会用語「○○せずにおれない」「○○せずにおれなくなる」について

親鸞会でよく使う用語に「○○せずにおれない」「○○せずにおれなくなる」があります。
「真実の仏法を知れば、聞かずにおれなくなる」「伝えずにおれなくなる」というものです。仏法を聞いたならば「本当なら」○○せずにおれなくなる筈であるという文脈で、会合などでよく使われています。
そのため、熱心な会員は「○○せずにおれなくなる」のが「本来あるべき姿である」と学習して、そのようになろうと活動をします。

聴聞せずにおれなくなる」のがあるべき姿だと思えば、毎月富山の親鸞会館へ足を運びます。
また「法施せずにおれなくなる」のがあるべき姿だと思えば、一生懸命人に仏教を伝えて、親鸞会に熱心に人を誘います。そして「財施せずにおれなくなる」のがあるべき姿だと思えば、毎回の財施に参加します。

私も会員だったころは、そのように「親鸞学徒かくあるべし」というものを繰り返しいわれ、模範的な会員になるように心がけていました。また、そうすることが「善い事」だと思っていました。なぜなら、そうすることが「高森会長の御心に沿う事になる」と教えられていたからです。



高森顕徹会長の望む「こうあって欲しい会員」は依存症

「光にむかって突き進む親鸞学徒」と親鸞会では言われます。しかし、会長の目から見た親鸞会会員は、依存症になった人が最も「あるべき姿」だったようです。

先のギャンブル依存症の言葉を置き換えると、
財施をしたいという強い衝動を抑えられず、財施を繰り返す状態。不快な気分を解消し、現実から逃避する手段として財施を繰り替えすことで、それまでの生活や人間関係が破綻することが多い」
ということになるかと思います。


ここの「財施」を「親鸞会館へ毎月足を運ぶ事」や「親鸞会へ人を誘う活動」に置き換えても同じことが言えます。

親鸞会側から、強く強制をしなくても「財施をしたいという強い衝動が抑えられず、財施を繰り返す状態」「親鸞会館へ足を運ばずにおれない状態」「人を誘わずにおれない状態」になるのが、「まことに仏法依存性でありたいものである」という模範的会員の姿です。

このような考え方というのは、丁度ギャンブル場を経営する人が、客に望むのがギャンブル依存症に近い状態となって自発的に繰り返しギャンブルにお金を投じてもらうことです。そこには、客の幸福ということはあまり考えられていません。

ギャンブルにしろ、スマートフォンにしろ依存性の高いものは、その依存性を高めるような仕組みがいろいろと仕掛けられています。Netflixドキュメンタリー「監視資本主義: デジタル社会がもたらす光と影」に詳しく描かれているので、興味のある方は一度ご覧下さい。
www.netflix.com
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会員に望むものは「聞法」「法施」「財施

顕真の記事では「聞法依存性」「法施依存性」「財施依存性」となっていますが、「依存性」は依存症とほぼ同義として書かれています。
「不快な気分を解消し,現実から逃避する手段」として、毎回高森顕徹会長の話を聴聞し、人を誘い、財施を自発的に行うような人にするのが、会員に望む全てです。そこまで「尊い仏法依存性」の会員にするための話が、高森顕徹会長の法話だということになります。そうすると、親鸞会流三願転入の話も、「阿弥陀仏に救われる為」ではなく「尊い仏法依存性にする為」にしているということです。

真剣に聞けば聞くほど親鸞会を辞められなくなっているという会員は多くいます。それは高森顕徹会長の話が、そのまま貴方を親鸞会活動依存症になるように常に働き掛け続けているからです。親鸞会を辞められない貴方は「高森顕徹会長」の話を聞いているからです。「沼にはまれ」「親鸞会依存症になれ」が高森顕徹会長の今回の文書です。

それよりも「お前を助ける」というのは阿弥陀仏です。阿弥陀仏の仰せを聞くか、高森顕徹会長の話を聞くか、もう一度考えて見てください。