親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

顕正新聞論説に見る親鸞会会員の「救い」観(2020年(令和2年)07月15日号を読んで)

親鸞会の機関紙・顕正新聞2020年07月15日号を読みました。f:id:yamamoya:20200723225108p:plain
以下、思ったことを書きます。

高森顕徹会長が会員の前で話をすることも無くなったので、顕正新聞にも高森顕徹会長がこういう話をしたという記事は掲載されていません。
こういう状況で、今回特に目を引いたのは「論説」です。「論説」は、一般紙においての「社説」のような位置づけで、親鸞会弘宣局としての公式な意見を書くことになっています。そのため、この「論説」は弘宣局の責任者がいつも記事を書いてきました。

とはいえ、今までの論説は筆者自身の主張というものはなく、直近の高森顕徹会長の話の要約でした。高森顕徹会長の話の要約ならば、会員も何も疑問には思わないということでしょう。
しかし、ここ3ヶ月高森顕徹会長が会員の前で話をしないというこれまでになかった事態が起き、論説の内容も変化しました。これまでの、高森顕徹会長の話の要約をすることができなくなったため、自分で文章を書かなければなりません。しかも、他の記事のように「○○県の会員がこんな取り組みをしている」といったことは書けず、教えや教えに基づく会の意見をを書かなければなりません。

そのため、今回の「論説」は執筆者が一体どういうことを考えているのかがよく分かるものになりました。
今回のタイトルは「こんな聞き方は邪道か」でした。

大まかな内容としては、この世の苦しみを解決するための手段として仏法を聞くのは間違いである、仏教の救いはこの世どころのことではないというものでした。
そこだけで終われば特別気になる文章でもなかったのですが、阿弥陀仏に救われると苦しみの人生が光明の広海に転じるのだということで、以下のような例をあげていました。

一例を挙げれば、心多歓喜の益である。大悲の願船に乗ずれば、嬉しい思いが多くなることをいう。嬉しい心は自然の笑顔となる。笑顔は周囲を明るくし、よい印象を与えて、その人の魅力を二倍にも三倍にも割り増しするものだ。
また挨拶も明るくなり、当然、職場の人々や取引先の対人関係も好転する。経済的に恵まれることにもなろう。成功者には、挨拶上手が多いではないか。
顕正新聞2020年07月15日号 論説)

この後、この世が明るい人生になるというのは「藁」であって、後生の一大事を解決するという「米」が一番大事であるという内容になっています。しかし、それは後で付け足した文章であって、読んでみて筆者の気持ちが伝わってくるのは上記の部分でした。


親鸞会機関紙では「心多歓喜の益」とは、「笑顔が多く」「挨拶も明るく」「対人関係も好転」「経済的に恵まれる」ことのようです。
もちろんそれが悪いことではありませんが、救われたらこうなるという具体例がこういうものであるというところに、親鸞会での「救い」とはこういうものだということがよく分かります。


親鸞会会員の皆さんは、本当にそういうことを求めて富山まで話を聞きにいっているのでしょうか?熱心な会員はそうではないと思います。
それにも関わらず「こんな聞き方は邪道か」という論説を書き「この世の苦しみの解決のために仏法を聞くのは間違い」というままが、「私はこの世の苦しみの解決の為に仏法を聞いています」と告白をしていることになります。


多くの熱心な会員はそんなことを考えてはいません。そんなことを考えているのは論説の執筆者とそれを校正で指摘しなかった顕正新聞担当者くらいです。とはいえ、いろいろと伝え聞くところの親鸞会の現状からすると、多くの講師部員は論説に出て来る考えに近いのではないかと思います。


南無阿弥陀仏の救いは、ただ今の救いです。助かったらどうなるかと考える前に阿弥陀仏のただ今助けるを聞いて下さい。