親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

先月辞めた元会員さんによる「なぜ今ごろ脱会したのか?」について

コメント欄に頂いた「先月辞めた元会員」さんの文章が最近まで会員だった方の心情をとても正確に書かれていたので、記事として紹介します。

先月辞めた元会員 2020-09-20 13:46:19
先月辞めた元会員です。会員歴25年ですがそのうち20年は報恩講降誕会参詣と財施のご縁だけの幽霊会員でした。


色々と不審はありました。過去には職員(親友部)だったこともあり親鸞会の組織が狂っているのも知っていましたが、それでも唯一無二の善知識との縁が切れたら絶対に後生の一大事の解決はできないと思い、細々と続けていました。


幽霊会員の期間に思ったことは、 親鸞会ではご法話破邪顕正のご縁に全く参加しなくても、財施さえしていれば何も言われませんでした。
幽霊でしたが会館建立のご縁では、なんやかんや10福していました。何故か「尊いですね!」なんて言われて。真実の教えを説いていても結局はお金だよなぁと正直諦めていました。


親鸞会の職員時代から多額の財施をする人が褒められていました。全く財施が出来ない職員時代は講師部の方達によく怒られました。
「こんなに会長先生のお近くで浴びるほど聞かせて頂きながら、何故ご報謝できないの?」と言われても、講師部に対しては絶対服従ですから「そんな事言われてもお金が何処かから降って湧いてくるもんじゃない!」っていつも心の中で思っていました。


今回辞めるキッカケになったのは、どんどん増える無駄な箱物建立や誰得?なアニメバスや弁当屋。そして仏法は聴聞に極まるなのに芸能人や四重奏楽団(台風でボツになりました)を呼んだ報恩講降誕会。それで不審が募りに募り、そして最後のトリガーは今回の降誕会でした。


2日目のときに家でネット聴聞していたところ、休み時間に突然支部長から【高森先生、直接お話しくださっておられます】というタイトルのメールが流れてきました。今まで聴聞中にこんなメールをわざわざ送って来ることはありませんでした。
???と思いながらも聴聞していると、最後に先生のいる別部屋でアシスタントをしていた山本講師が、突然壇上にワープしたようなカメラの切り替えがあり、先程の高森先生のお話は録画だったとすぐに分かりました。
「なんであんな嘘メールを送ってまでライブに見せかけようとしたんだろう?」という疑念が湧き、しかもその時の高森先生は様子がおかしくて「これ認知症だよなぁ?」と思っていたので、それを隠すための嘘メールだったのかなぁと思いました。


私には今までの不審の数々とその隠蔽工作がとても気持ち悪く思い、その夜に何故かYouTubeやネットの情報を(見るなと言われていたのに)見て。そして高森会長の正体を知ってしまった次第です。


もう!!
教えが違うと分かったときはショックで死にそうでした!!
ちょっとこれ酷すぎませんか?
職員を辞めるときに講師部親友部から罵声の嵐でしたが、あの罵声は高森会長自身が他人の後生の心配とか全然していない表れですよね!
何が「あわれあわれ存命のうちにみなみな信心決定あれかしと朝夕思いはんべり」だよ!と。
こっちは人生を掛けての後生の一大事の解決なのに!!
他人の人生をバカにしすぎです!!
フザケンナ!!ですよ。

今は元会員さんと連絡を取って、阿弥陀様の御心、本願成就のいわれ、仏願の生起本末を聞かせて頂いています。
安心問答のアクセスが多くなっているのは私のせいかもしれません。(笑)


長くなりましたが結論としては、親鸞会が間違っていて本当に良かった!(あんな狂った組織が真実であってたまるか!)とホッとする気持ちと、私の25年を返せ!という怒りの気持ちの両方がありますが、とりあえず抜け出せて良かったです!!
今の生活に支障がないのが救いでした。 あったらまだ親鸞会にしがみついていたと思います。


本当の浄土真宗を一から聞き直しです!!
はぁ遠回りさせられちゃったなぁ。。。 以上です!!

https://shinrankaidakkai.hatenablog.com/entry/2020/09/05/210537

先月辞めた元会員 2020-09-23 12:34:13
a様、すずめ様 お返事が遅くなりました。あたたかい励ましのコメントをありがとうございます。
山も山様にはメールにてご挨拶させて頂きました。
また、元会員さんとも連絡を取って既に毎週聴聞を開始しているので大丈夫です。お気遣いありがとうございます。

あと、下記の内容を、山も山様にメールしようと思いましたが、 書いてみて特に個人を特定するような内容ではないので、コメント欄に載せます。長文です。ご了承くださいませ。

【テーマ「なぜ今頃脱会したのか?」について】

様々なブログを読んでみて思ったことは、10余年前〜数年前にかけて、流行のような脱会ブームがあったことです。驚きました。私は全く知りませんでした。「数年前の脱会ブームを逃した数年後に!なぜ今頃脱会?」と思われるでしょうが、今頃というか、今更というか、流行に乗り遅れたというか。本当にお恥ずかしい限りです。


前回のコメントで「私は幽霊会員」と申しましたが、いわゆる、学生時代に頑張っていて途中で力尽き、そのままフェードアウトする勇気もなく、ただただ縁を繋いでいた、親鸞会的に言う「人生の敗北者」であり「なぜ生きるの脱落組」でありますが、世間側から見れば、親鸞会に所属しながら「どう生きるを満喫する口笛吹き吹き聴聞リア充組」であります。


ハッキリ申しまして、真摯な求道者は恐らく、たて続けのおかしな方針に直ぐに気が付き、数年前に脱会されたのでしょう。今いる会員は、種類別に分けると「生活の糧になっていて今更抜けられない人」「妄信しすぎている人」「単純に気付かない人」でしょうか。
私のようなリア充組は「単純に気付かない人」に入ります。


特徴は。

  • 真摯な求道は学生時代で止まっているので教学力はありません。
  • 「後生の一大事」の矢は心に刺さったままです。
  • 生活に追われて親鸞会的「大型のご縁」しか求めません。

故に、高森会長のふわっとした言葉だけが頭に残っています。


そして頭に残ったキーワードを繋げていくと
「因果の道理は宇宙の真理」→「衆生皆悪人」→「後生は一大事」→「人生に目的あり」→「絶対の幸福になる」→「平生業成」→「大安信大満足の心」→「大悲の願船に乗る」→「三願転入」→「宿善を厚くする」→「善をして善ができない自分と知らされる」→「全て(身も心も財産も)を投げうって求道する」→「わ、私にはとてもできない」→「今生の獲信は無理」→結果「脱落」
…となります。


ただ、「後生の一大事」の矢は心に刺さったままなので、この続きは、
→「今生がダメなら遊んだ方がマシ」→「せめて宿善だけは厚くしよう」→「報恩講降誕会・アニメ上映・会費・財施には参加する」→「老後は真剣に求道しよう!」→「そうすればワンチャン観音様の臨終説法(高森会長説)があるかも」
…となり現在に至ります。


更に高森会長のふわっとした言葉には「インターネット/退会者の情報をを見てはならない 求道の妨げになる」というものがあります。パンフレットが配られ講師の方がわざわざ家に来て「絶対に見ないように」釘を刺されました。
なので一切、そういうものは見ませんでした。

自分で言うのもなんですが、私はアナログ人間ではありませんし情報弱者でもありません。個性的ではありますが世間的にはごく普通の一般国民であり企業市民であり、今では社会的地位もそこそこあります。「情報が命」の昨今のグローバル社会においては、表の情報も裏の情報も知り得なければ資本主義経済の勝者にはなりません。


ですが!何故か「親鸞会に関わる情報」だけは、全てのツールを無意識に遮断していました。
親鸞会的「どう生きる」の情報に関しては強者なのに「親鸞会」に関してはすっぽり全てが抜け落ちてしまっていたんです!!


理由はカンタンです。
私は、ただでさえ「真面目な求道をしていない」のです。
これで余計な情報を入れてしまって「宿善が薄くなったら勿体ない」と無意識に思うのは至極当然です。


そして気が付いて改めて思います。「マインドコントロールってスゴイなぁ!!」って。(←おい関心してる場合じゃねーぞ!)
本人は「マインドコントロール」を「マインドコントロール」と気が付かないんですよ。
頭が良いとか悪いとか、大人だとか子供だとか、常識があるとかないとか。全く関係ありません。
もうビックリですね!!


…って。。。私自身、気が付いたときは自我の崩壊で五体投地、虚無感に襲われて大変でした。これがお盆休み中で良かったですよ。とても仕事なんかできない。。。
今はあれから1か月以上が経過しているのでそこそこ回復しましたが、たまにすご~い虚無感が襲ってきます。


これって真面目な求道者ほど抜けられない究極の罰ゲームですよね!
私は20代前半に社会復帰をしているので、失ったものといえばS会に投資したお金と学生時代の思い出のみで済みますが、そのまま人生を賭けて身も心も財産も捧げた人はこの先どうなってしまうのでしょう。
「この世も地獄」で「あの世も地獄」ですか?
高森会長はもう既に後生に片足突っ込んでますよ。
残された人たちはどうなるんですか?
彼らの後生はどうなるんですか?
そんなことをふと考えてしまい、この先彼らが知るであろうことを思うと、恐怖と不安で吐きそうになります。
親鸞会に関わった全員が被害者ですよね。


今、親鸞会は参詣者が加速度を増して減少しています。
ある時期から学生さんが居なくなりました。
同じ顔ぶれが毎年、年齢だけを重ねています。
誤魔化すように正本堂の両脇を椅子席が占領しています。
苦し紛れに海外から人を呼んでいます。
でも、それでも参詣者の減少は誤魔化せないところまで来ています。
巨大な会館、宿泊施設、宣伝ビル、教育施設、弁当屋、病院。それらの維持は誰がするのですか?
売却しますか?あんな田舎の特殊な箱物の利用価値ってあるのですか?
そんな中、密かに会員脱会ババ抜きレースが絶賛開催中ですか?
真に悲しい限りです。


ただ。「会員の減少」と「親鸞会が消滅するか?」についてはまた別問題なので、その点については次回に回します。
以上です!!