親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

追記:「銭たもれ 疑問をもつな 裏切るな」が高森会長が会員に望むこと(正定聚No.113を読んで) 


親鸞会の「親鸞学徒かくありたい」とは(正定聚No.113 2014年8月発行より) - 親鸞会を脱会した人(したい人)へ
に追記で書きます。

今回の正定聚は、前回に紹介した「法に捧ぐ」以外にも、ひどいものが多いのでそのうちいくつかを紹介します。(強調は原文ママ

高森会長の本心 「最も分かり易い本心」

「最も分かり易い本心」

「案じてたもる(賜う)より 銭たも(賜う)れ」

どんな言葉よりも、分かり易い
人間の本心を喝破した諺だろう。
(正定聚No.113 2014年8月発行 P19)

さすが、自分の体調不良で法話をドタキャンした上に、「お見舞い金」を会員から徴収する高森会長らしい言葉です。
一言言えば、自分がそうだから、すべての人がそうだと思わない方がいいということです。
すべての人が「銭たもれ」なら、親鸞会の会員を続ける人は誰もいません。

会員が会のいうことを計らうな

おかし候
「ようように 計らいおうて候こそ おかしく候」
 弥勒菩薩でさえも、計らいをやめて佛の眼力に乗じて
 おられるのだから、凡夫の計らいが何になるか、
 捨ててしまえ、と親鸞聖人は仰っている。
(正定聚No.113 2014年8月発行 P30)

上記の親鸞聖人のお言葉は、末灯鈔7にあるお言葉です。

往生は、なにごともなにごとも、凡夫のはからいならず、如来の御ちかいに、まかせまいらせたればこそ、他力にては候え。様々にはからいおうて候うらん、おかしく候う。如来の誓願を信ずる心のさだまる時と申すは、摂取不捨の利益にあずかるゆえに、不退の位にさだまると御こころえ候うべし。(末灯鈔7_法藏館 真宗聖典より)

ご覧の通り、この末灯鈔の該当部分は往生については「如来の御ちかいにまかせまいらせ」るのだから、それ以外に「様々にはからいおうて候うらん、おかしく候う」と言われています。

しかし、上記の高森会長の文章ではなんとなく「あれこれ計らうこと(目的語なし)が悪い」と親鸞聖人が言われていると会員に思わせる文章です。そのすぐ後にはこんな文章もあります。

組織
(略)
この組織を破壊しようとするガンは即刻摘出される。またされねばならない。
(正定聚No.113 2014年8月発行 P29)

組織に疑問を持ったり、それを追求するものは「組織を破壊するガン」だと言っています。


その次はこれです。

裏切り
 裏切られても、裏切ってはならない。
 裏切られた者も、哀れだが、
 裏切った者は、もっと哀れである。
(正定聚No.113 2014年8月発行 P30)

高森会長は、会員にガンは即刻摘出されるから裏切るなと強調します。


まとめ「銭たもれ 疑問をもつな 裏切るな」

上記を読んで高森会長が会員に言っていることは「銭たもれ 疑問をもつな 裏切るな」です。それに反する会員を排除し続けて今日の親鸞会があります。


そうすると正定聚に書いてある「かくありたい親鸞学徒」とは、「銭を出し 疑問を言わず 裏切らず」のようです。確かに、私の知る限り長年親鸞会にいる人はこれを実践している人が多かったと思います。

ただ、その態度は全く自身の後生の一大事とは関係ありません。浄土往生がさだまるのは、南無阿弥陀仏を聞く一つです。ただ南無阿弥陀仏に救われてください。