親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

書評10「なぜ生きる2」は浄土真宗を現世利益宗教にしてしまうトンデモ本。そこから見える親鸞会が知識帰命の団体になる理由

前回のエントリーより

この「なぜ生きる2」を絶賛する親鸞会会員は、現世利益を売り物にする新興宗教団体に入った方が「恐怖感や孤独感から解放され、心おだやかに安住」「病気なども静養できて、全快」「濃密な余生が送られる」「生活の不安や心配がなくなる」「人間関係もスムーズになる」「がんやウイルスへの抵抗力も高まり、健康に良い」身になれるのではないでしょうか?

浄土真宗を、親鸞聖人のみ教えを聞く気持ちがあるなら考えてみてください。

http://shinrankaidakkai.hatenablog.com/entry/2014/02/08/174618

この続きを書きます。

このなぜ生きる2を読むと、宗教法人浄土真宗親鸞会高森顕徹会長)が、真実信心を「現世利益 」にすりかえて、如何に多くの親鸞会入会者を獲得することを目的としているかがよく分かります。なぜなら「恐怖感や孤独感」「病気」「寂しい余生」「生活の不安や心配」「人間関係」が解消されたのが「絶対の幸福」であり、真実信心とはそういうものであると主張しているからです。確かにこれらの問題で苦しんでいる人は多くおられます。しかし、それらの解決を誓われたのが阿弥陀仏の本願であり、解決をしたことを真実信心というのは間違いです。


これら現世利益が「なぜ生きる」の答えであるというならば、浄土真宗とは言えません。たしかに、「現世利益」を前面に出し、莫大な広告費をかければ一度は親鸞会に足を運ぶ人の数は増えるかも知れません。しかし、そうやって足を運んだ人に「絶対の幸福になることが人生の目的だ」「これが親鸞聖人の教えられたことだ」と伝えるのは「教えを曲げて」いることになります。


つまり、教えを曲げてでも新規入会者が欲しいのが、現在の親鸞会の本音です。それだけ宗教法人としての運営がひっ迫しているのは少しでも親鸞会の実情を知っている人ならば容易に想像できる事です。100億以上の工事費を投じて建設した「正本堂」で、現在高森会長の法話は月に一度だけです。「二千畳の大講堂」は、実質月に一度しか使われていません。


同様に「浄土真宗万年の礎」と称して、会員から多額のお布施で建設した親鸞会館近くにある「同朋の里」の宿泊施設等も月に一度しか稼働していません。それに加えて、全国に会館を建てようとしています。固定費は増える一方で会員数は増えている訳ではありません。せっぱ詰まった親鸞会が、浄土真宗の看板を掲げながら「親鸞会は現世利益を目的とした団体です(浄土真宗ではありません)」と世に宣言したエポックメイキングな本がこの「なぜ生きる2」です。また、最近では会員獲得のために「移動映画館」を全国に配備しようとしているそうです。

※参照 (同朋の里と移動映画館)
http://www.keyrose.net/2010/03/pikapika/
http://www.keyrose.net/2011/08/red-bridge/
https://www.facebook.com/idoueigakan


真実信心=絶対の幸福ではありません

そこで、真実信心=絶対の幸福では無いことについて以下書いていきます。
「なぜ生きる2」3章から引用します。

なぜ生きる 2

なぜ生きる 2

釈迦・弥陀の慈悲よりぞ
願作仏心はえしめたる
信心の智慧にいりてこそ
仏恩報ずる身とはなれ
     (正像末和讃)

釈迦・弥陀の大慈悲によって、大悲の願船に乗せられ絶対の幸福になれたのだ。
この広大無辺のご恩に、いかに報じたらよかろうか。(P89)

欄外註釈:願作仏心  阿弥陀仏より賜る信心。絶対の幸福のこと。

ここで「願作仏心=阿弥陀仏より賜る信心=絶対の幸福」と定義しています。
「願作仏心」は、本来どんな意味かを浄土真宗辞典から紹介します。

浄土真宗辞典

浄土真宗辞典

がんさぶっしん 願作仏心
→ぼだいしん(菩提「心)、→むじょうぼだいしん(無上菩提心)


ぼだいしん 菩提心
(略)親鸞菩提心について自力と他力を分別し、他力回向の信心は願作仏心(自利)・度衆生心(利他)の徳をもつ他力の大菩提心であると説いた。


むじょうぼだいしん 無上菩提心
この上ないさとりを求める心のこと。『論註』には「この無上菩提心は、すなはちこれ願作仏心なり。願作仏心は、すなはちこれ度衆生心なり」(信巻引文・註247)とあり、仏になろうと願う心である願作仏心と、衆生を済度しようとする心である度衆生心のことと規定している。(浄土真宗辞典)

このように「願作仏心=仏になろうと願う心=他力回向の信心」であって、「恐怖感や孤独感から解放され、心おだやかに安住」「病気なども静養できて、全快」「濃密な余生が送られる」「生活の不安や心配がなくなる」「人間関係もスムーズになる」「がんやウイルスへの抵抗力も高まり、健康に良い」身になったことではありません。ですから

願作仏心  阿弥陀仏より賜る信心。絶対の幸福のこと(P89)

とするのは間違いです。


親鸞会が善知識帰命になる最大の理由

宗教法人浄土真宗親鸞会は、高森顕徹会長を唯一無二の善知識(親鸞会では、正しく仏教を伝える人)としている「知識帰命」の団体です。「善知識帰命」は、「特定の善知識への帰依を要求する理解。真宗における異安心のひとつ(浄土真宗辞典より)」のことです。


なぜ親鸞会が善知識帰命になるのか?その最大の理由は「人生の目的を絶対の幸福としている」からです。絶対の幸福(現世利益)を目的として、それを知っている人物は高森会長しかいないならば、会員は会長に従わざるをえません。「善知識」が「教祖」となり、その団体の絶対者となっていきます。


親鸞会会員の方、なぜ生きる2を読まれた方は、「絶対の幸福」を求めないで下さい。それを求める間は高森会長の呪縛から逃れることは出来ません。「絶対の幸福」ではなく、阿弥陀仏の救いを聞いて下さい。浄土往生し、仏になることを願って下さい。