親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

広告から見る高森顕徹会長最後(?)の講演を考える

2018年05月12日(土)13(日)に富山県射水市親鸞会館で高森顕徹会長による降誕会が開催される予定です。
前のエントリーにも書きましたが、元会員には「これが高森顕徹会長2日続きの最後の法話になるかも」ということで誘いがあるそうです。そのためか、過去になかった新聞広告での降誕会の告知がありました。


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富山新聞5月1日号


それに続くのが、親鸞会降誕会のチラシです。どれも、「歎異抄をひらく」10周年を謳っています。しかし、よく見ると、チラシによっては内容が異なります。
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話をする人の記載なし。「歎異抄をひらく」にも触れず。

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高森顕徹会長の名前は控えめ

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高森顕徹会長の名前を全面に押し出す。

「念仏者は無碍の一道なり」これがなぜ生きるの答えです(?)

3枚目チラシが親鸞会の教義がよく現れています。

演題 念仏者は無碍の一道なり
これが「なぜ生きる」の答えです。

これを読んで「そうだ!そうだ!」と思う親鸞会会員の方もあるでしょう。
しかし、親鸞会の言葉に置き換えるとどうでしょう。


親鸞会では「無碍の一道=絶対の幸福」ですから、なぜ生きるの答えは「絶対の幸福」ということになります。つまり、完全無欠な幸福になるために生きているということになります。


個人的な動機としてそうなりたい人もあるでしょうが、浄土真宗はそうではありません。阿弥陀仏は、浄土に往生させ仏にしてみせるという本願を建てられています。浄土真宗では「なぜ生きる」といったとしても、阿弥陀仏は何を願われているかということになります。


このチラシからも、高森顕徹会長の最後かもしれない2日間の講演も、浄土真宗の話ではないことはよく分かりました。