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親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

親鸞会の人にも分かる「方便と真実」5回目(真実ってなんですか?獲信ではないです)

方便と真実の関係について、続けて書いています。
改めて書いてみると、親鸞会でよく聞いた以下の言葉を思い出しました。

真実を知る者は幸いなり。

真実を求むる者はなお幸いなり。

真実を獲得する者は最も幸いなり
幸福な人|親鸞会批判の真実

この「親鸞会批判の真実」は、宗教法人浄土真宗親鸞会弘宣局が作成したwebサイトです。
親鸞会の会員、あるいは元会員にとってはよく耳にした言葉だと思います。よく高森顕徹会長の法話の前に、随行者が体験発表で最初に言っている言葉です。

しかし、この言葉からすると「真実=獲信」という前提で使われています。
実際、私も親鸞会に入会するときはそのように思っていました。また、親鸞会会員であるときは、そのように思っていました。
しかし、「真実=獲信」ではありません。

教行信証証巻に引文されている、浄土論註のご文から紹介します。

〈一法句とは、いはく清浄句なり。清浄句とは、いはく真実の智慧、無為法身なるがゆゑに〉(浄土論)とのたまへり。この三句は展転してあひ入る。なんの義によりてかこれを名づけて法とする、清浄をもつてのゆゑに。なんの義によりてか名づけて清浄とする、真実の智慧無為法身をもつてのゆゑなり。

ここで言われていることは「一法句=清浄句=真実の智慧=無為法身」ということです。ひらたく言えば「真実=真実の智慧」であり、法そのものということです。

ここから言えることは、「真実=獲信」ではないということです。「真実=一如=涅槃」ということです。
そういう意味では「獲信=目的」という親鸞会教義は、非常におかしなものであると分かります。
あえて「目的」という言葉を使うなら、「一如、真実、涅槃」に入れることが目的です。

そういう意味で「真実=獲信」というのは間違いです。