高森光晴会長が誕生し、今後の親鸞会はどうなるのかということについて書きます。
現在時点では、二千畳でのかつての「高森顕徹会長の法話」の代わりを、高森光晴会長がする予定は発表されていないようです。それに加えて、高森光晴会長の各地での話は、あまりよい評判は聞きません。
こちらの記事にも詳しく書かれています。
laybuddhisst.hatenablog.com
会員向けの「学徒セミナー」の内容ですが、私も記録を確認しましたが、一言で言うと「浄土真宗の教えの話」がありません。
冒頭に正信偈の中の七高僧について連続して話をしており、今回は「本師曇鸞梁天子 常向鸞処菩薩礼」について話する形で始まります。しかし、結論は以下のものでした。
真実の仏法者とは、自ら権力へ近づく者ではなく、真実に徹した結果として、権力者が敬わずにはいられなくなる存在なのです。
https://laybuddhisst.hatenablog.com/entry/2026/09/07/170552
「他力とは如来の本願力なり」という真実は、決して人間の都合や権力の脅しに屈して曲げてはならないという、極めて重い御心が示されているのです。
真実に対して一切妥協しない。その曇鸞大師のご恩に感謝し、光に向かって進ませていただきましょう。
「ご恩と報謝」だけを強調すればよかった過去の高森光晴講師長
ちなみにその前の高森顕徹会長が亡くなる前の学徒セミナーでは、結論は以下のものでした。
私たちが、聞き難い仏法を聞かせて頂けるのはどなたのおかげなのか。
その深きご恩を知り、報謝の活動に邁進致しましょう。
高森顕徹会長のころの、高森光晴講師長の学徒セミナーは、とにかく「善知識のご恩」「高森顕徹先生のご恩」を強調し、「報謝の活動に邁進致しましょう」という内容でした。それは、私が親鸞会にいた頃も変わりません。
しかし、その「高森顕徹先生」も亡くなった後に、高森光晴会長が、それまで「高森顕徹先生」が担っていた「法を説く」という役割を果たすのかと思っていましたが、そのようにはなっていないようです。
各地の偽装勧誘の現場ではどんな話がされているのか
現在の会長が、「浄土真宗の教えの部分」の話をしない状態ですが、各地の勧誘現場ではどんな話がされているのかを、以下のYoutubeで詳しく紹介されていました。
youtu.be
2026/06/22公開
(youtube内のAIによる要約)
この動画では、カルト問題を取材する藤倉善郎氏が、浄土真宗親鸞会による勧誘の実態を調査するため、千葉県市川市の公共施設で行われた講座にリベンジ潜入した様子が語られています(1:12-2:29)。主なポイント:
正体を隠した活動: 親鸞会は、宗教団体であることを明かさず「人生サロンピーナッツ」などの団体名を名乗り、公共施設で講座を開催して市民を勧誘しています(3:43-6:10)。
講座の内容: 「人生の虚しさ」をテーマに掲げた90分の講座でしたが、藤倉氏は内容が非常に退屈で、教義や仏教の教えよりも日常的な例え話に終始していたと指摘しています(4:36-16:33)。また、宗教色を徹底して隠そうとする姿勢が強く見られました(25:43-26:10)。
ここでは、「人生は虚しい」ということは、いろいろと例え話をしていたそうです。
13:46-
テーマはとにかく虚しさがテーマで例えば、例えばって言って例え話が8割ぐらいなんですよ。例えばこんなことありますよね。こんな気持ちになることありますよね、みたいな感じで仕事とか趣味で充実していても、例えばもっと追求したいとか出世してももっと出世したいとかでも出世したらしたで責任もかぶさってくるから思ってたより楽しくなかったとかってことになりますよね、みたいな感じで目指していたものを手に入れても、いまいちだなみたいになったり、慣れちゃったりとかして、もっと次を求めないといられなくなったりとかしちゃいますよね。虚しいですよね、みたいな話をいろんな例え話で延々やるんですよ90分。でも聞いてても例え話があんまり上手じゃないのでなんていうのかな、別にほら例えば話で出てきたのがね、富士山が遠くから見ると綺麗だけど綺麗で憧れるけど行ってみると大したことないよねみたいな。
結論としては、以下のように締めくくられています。
1:13:00-
仏教ってでもさなんか、伝統仏教のお坊さんの法話とか聞いてても、たとえ話はありますよ確かにたとえ話はあるんだけどその話をなんかその仏典のエピソードとか教えとか考え方みたいなものに最終的にはつなげて、その仏教の教えというのはこういうことにつながるんですよ、みたいな話がパターンなんで、すよ。なんだけど、親鸞会の例え話ってその例えが、仏典とか親鸞とかの話の何に対応しているのか聞いても分からないような、たとえそのものは身近な話っぽいたとえではあるんだけれども、その意味では雰囲気的には分かりやすいっちゃ分かりやすいんだけど仏教の教えに対応したたとえになってないからたとえ話単体で分かりやすいだけで仏教の話を聞いてるという文脈では何にも分かんないんですよ。っていうのがなんか親鸞会何度も潜り込んでる僕の結論ですね。親鸞会は例え話しかできない、そしてその例え話も面白くない、それが問題どっちかというと、仏教の教えに対応してなくても、例え話自体がむっちゃ狂ってて面白かったりしたら、それはそれでいいんですけど、それもない、まあそうね。ダメすぎ、ダメすぎです、まあまあまあ、頑張ってくださいもうちょっと。
親鸞会で活動していた人間としては、その通りと思う内容でした。
私がいた当時(1993-2008)は、一般会場での新規勧誘目的の講座は「親鸞会」と名のらないことはあっても、「仏教」「浄土真宗」を隠すようなことはありませんでした。
その後、コロナ禍で会場が借りられなくなりネット講座にシフトした結果、ネット講座に誘う為により仏教や浄土真宗を前面に出さないような話となっているようです。
ただ、これは偽装勧誘の現場だけの話かといえば、そうではないようです。
親鸞会では長らく、このような各地の現場の講師の話は「高森先生のところへ人を誘う為」でした。それは、基本的に「私は浄土真宗の詳しい話はできないけれども、高森先生ならキチンと話をしてくれる」「高森先生から聞いてもらえば、なんとかなる」というものでした。
その為、勧誘の現場では「因果の道理」や「難度海」「人生は苦なり」「白骨の章」といった話が殆どでした。
しかし、今は勧誘の場ではそれよりももっと仏教色の薄い話しになっていますが、それは高森光晴会長が全国で行っている「歎異抄大学」も同様です。
浄土真宗の話がない「歎異抄大学」
上記のYoutubeには、昨年の東京での「歎異抄大学」の様子も紹介されていました。
1:06:00-
歎異抄の教えみたいなことを説明するときも、歎異抄の文章とか教えるんじゃなくて、すぐそういう日常的な例え話に変えちゃうんで全然仏教の話じゃないんですよね。今日も僕ツイートしたんですけど、教祖の長男の講演を聞いたときは、阿弥陀様の救いとはどういうものなのかみたいな話を始めたんでちゃんと仏教っぽいじゃんみたいな感じでワクワクして聞いてたんですよ。そしたら結局例え話で例えばね田舎に住んでて、学校から遠い集落だから毎日遠い道を通わなきゃいけない男の子がいて、毎日が辛くて仕方がなかった、ところがある日、都会から超かわいい同級生の女の子が、集落に引っ越してきて転校してきた、そしたら毎日辛かった学校への行き帰りが、毎日その子とずっと一緒だから楽しくて仕方がなくなったと、阿弥陀様の救いというのはこういうものなんです。みたいなことを言い始めて
「歎異抄大学」と銘打って行っている行事の話でもこの有り様です。
もはや意図的に例え話をしているというより、こういう話しか出来なくなっているというのが本当のところではないかと思います。
機関紙や、渡部弘宣局長のYoutubeでは「親鸞会は親鸞聖人のお言葉をまず出して話をする」「親鸞聖人の教えを忠実に伝えるから発展している」と宣伝していますが、実態はどうも違うようです。
忠実に伝えるどころか「仏教の話をしない」「浄土真宗話をしない」という批判が出ているのが今の親鸞会です。
新刊「限りある人生を大切に生きるために」も、たとえ話ばかり
高森顕徹会長監修の「なぜ生きる」は103万部を越えて、まだ新聞広告を打ち続けています。
今度は「歎異抄をひらく」を100万部にするために、「なぜ生きる」の著者の一人である、伊藤健太郎教学部長の新刊が出ました。

一応この本は「仏教の本」という建て付けではありません。
何のために勉強し、働くのか。
このまま同じ毎日を繰り返してよいのか。
どんなに苦しくとも、生きねばならない理由は何か。
限りある人生を大切に生きるために、確かな「道案内」となる一冊です。
限りある人生を大切に生きるために | 伊藤健太郎(著) 黒澤葵(イラスト) | 生き方 | 1万年堂出版
購入して読みましたが、最後の部分に今回の記事に書いているような「例え話」がいくつも出てきました。
後記
(略)
そんな障りだらけの世の中で、一切の障りが障りとならない、完全自由な幸せになれるのです。その幸福を『歎異抄』では「無碍の一道」と説かれています。
苦悩が減りも無くなりもしないまま、幸福に転じる無碍の一道は、想像を絶する世界ですが、その片鱗だけでも感じ取って頂けるよう、身近なたとえで説明しましょう。(P309)
このあと前述した、高森光晴講師長が歎異抄大学で話をしたような譬えが続きます。
全部紹介するのも長くなるので、タイトルだけここに列記します。
(1)バナナ・オレのたとえ
(2)美人歯医者さんのたとえ
(3)文京区地価のたとえ
(4)空からお金が降ってくるたとえ
(5)氷と水のたとえ(略)
「無碍の一道」については、詳しくは『歎異抄をひらく』をお読み下さい。
『歎異抄』は、無上の宝が得られる、日本が世界に誇る古典です。(P317・ここで本文終わり。その後あとがき)
詳しい内容は、本を読まれたらわかりますが、「無碍の一道」をたとえたものとすれば、全部間違っているという説明が並んでいます。
これは先の勧誘現場に潜入された方の感想と全く同じです。
これは、現場の講師がそうだというだけでなく、教学部門の責任者からこのような状態だということがよくわかる本です。
高森顕徹会長がいなくなったことにより、生きた人間で誰も浄土真宗の要の話をしないというのが、今の親鸞会の現状だと思います。
ここまで読まれた会員の方は、高森顕徹会長から新会長に交代したことを節目として早く退会されることをお勧めします。
