親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

映画「なぜ生きる」の感想(3)ー教義の正当性を歴史改変で説明する親鸞会・高森顕徹会長

映画「なぜ生きるー蓮如上人と吉崎炎上ー」についての記事も、今回で3回目です。3回目の記事は、3回目を見てから書こうかと思っていましたが、近隣での上映も終わってしまいましたので、2回しか見ていませんが続きを書きます。

なぜこのアニメを作ったのか?

そもそもの話として、高森顕徹会長はなぜ今この映画を作ろうと思ったのか、最初から疑問でした。

親鸞会制作のアニメは「世界の光親鸞聖人シリーズ6巻と王舎城の悲劇」で終わったはずです。当時、親鸞会にいた人はみなそう感じていました。
それにもかかわらず、今回映画を作成した目的はなんでしょうか?

「なぜ生きるシリーズ100万部突破記念」は表向きの理由と思われます。本当の理由は、外部からの親鸞会教義批判に反論できなくなった高森会長が、苦し紛れに長い言い訳(本人にとっては反論)をしたかったからだと思います。

「そうだ真宗の歴史がそもそも違っているんだ」(高森顕徹会長)

親鸞会の歴史を、親鸞会視点で見ますと、昭和33年の結成以来、常に伝統的な真宗教団(主に本願寺派)に対して、「親鸞聖人の本当の教えを説きなさい。今の真宗界は間違っている。」と主張してきました。とはいえ、独自の親鸞会教義を持ち出して、伝統教団を批判してきたというのが実態です。
その後、親鸞会の元会員から教義的な批判を受けると、全く答えられない状態が続いて今日に至ります。今では、ネットで「親鸞会」と検索した人は、かなりの確率で退会するというのが現状です。

この現状を、高森顕徹会長はどう感じていたのでしょうか?おそらく以下ような判断が出たのだと思います。


高森顕徹会長「外部のものがいろいろ言ってきているが、私の説く真宗こそ本物で、他のものの批判は全部間違いだ。」


しかし、これを幾ら声高に主張したところで、親鸞会会員以外には通用しません。なぜなら、親鸞会会員以外の人は「では、高森会長の主張が正しいという根拠は、お聖教のどこにあるのですか?」と必ず尋ねてくるからです。


そこで「親鸞会の主張は正しい」ことと「お聖教にその根拠がない」の矛盾を解消する答えとして完成したのが、映画「なぜ生きる」です。つまり「みんなが知っている現在の浄土真宗は実は間違っている。歴史がねじ曲げられているのだ」という主張です。

映画「なぜ生きる」は、実はタイムリープ映画だった。

親鸞会の法論の歴史が書かれている書籍に「法戦シリーズ」「本願寺の体質を問う」「本願寺なぜ答えぬ」「どちらがウソか」があります。それ以外にも、ネット上で行われた法論も多くあります。特に「本願寺なぜ答えぬ」以降は、どうみても親鸞会の完敗に終わっています。もちろん高森会長は公式には認めていませんが、その事実は高森会長が身をもって感じていることです。


そこで高森会長は「根拠を出せと皆言うが、その根拠が本当の真宗とは違うのだ」と主張したのが今回の映画です。
結論だけ先に書きますと、この映画「なぜ生きる」の前提となる設定は、

  1. 高森会長は実は蓮如上人の生まれ変わりであり、かつ前世の記憶を持って生まれたもの。かつ、真宗の歴史は、(高森会長の知る)蓮如上人以降間違ってしまったまま現在に至っている。
  2. それを正す為に私は何度も、タイムリープを繰り返しているのだ。
  3. 実は、このアニメで描かれている教義やその他もろもろ(本尊も含めて)が正しい真宗の歴史なのだ。


こういうことを前提に作成されたものだとすると、映画の中で出てくるいろいろな、疑問点と、親鸞会内部での疑問が解消する事になります。


解説しますと、タイムリープとは、主に日本で最近使われている造語です。ドラえもんや、でてくる「タイムマシン」による「タイムトラベル」は、本人が現在の姿のまま、別の場所に移動するものです。それに対して、本人の意識だけが、過去の自分の意識に戻るという作品では、タイムリープという造語を使っています。アニメにもなった、シュタインズゲートのような作品が、代表例です。



アニメ「なぜ生きる」の疑問点

1、なぜ作品に出てくる吉崎御坊の御本尊が、親鸞会独自のものなのか。

映画の中で、蓮如上人が法話をされる場面で何度も、「親鸞会独自の名号本尊」が画面に出てきます。名号本尊については、親鸞会が「正御本尊」と言っている「親鸞」の名前入り名号本尊が、実は「正しくない」張り合わせの本尊であることは、多くの人から指摘されているところです。しかし、現在に至るまで親鸞会はその「張り合わせ名号本尊」を「正御本尊」だと言って会員に貸与しています。
それに対する高森会長の回答が、この映画なのです。いわく「親鸞会名号本尊こそ『正御本尊』なのだ。私(蓮如上人)が実際見てきたのだから間違いない。」
こういうと、こんな疑問が当然出てきます。
会員「でも、親鸞会の『正御本尊』は現存していませんが?」
それに対して高森会長は「確かにあったんだ。少なくとも私は見てきた。それを再現したのが今の親鸞会の『正御本尊』なのだ。」
こう言われると、もう何も反論できません。
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親鸞会の『正御本尊』)
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(表具屋さんに依頼して作成した「名号本尊」)
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浄土真宗本願寺派本願寺所蔵六字名号)
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(黄地十字名号 真宗高田派専修寺蔵)
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(金泥十字名号 滋賀県本福寺蔵)
いずれも「親鸞」の文字があるのは、親鸞会のみです。

2、なぜ作品にでてくるお聖教は「教行信証」と書いてあるの?「顕浄土真実教行証文類」が正しいのでは?

これも同様です。「私が蓮如上人だったころは『教行信証』と書いてあった。
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親鸞会制作 チューリップ企画販売「世界の光親鸞聖人第4部」より)
このころは、「顕浄土真実教行証文類」だった。
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(映画「なぜ生きる」より、表紙が「教行信証」に変わる)

3、なぜ蓮如上人が、立って法話をされているのですか?

これも同様です。「私が蓮如上人だったころは(以下略)」

4、なぜ親鸞会では「三願転入」を強調するのですか?

これも同様です。「私が蓮如上人だったころは(以下略)」

5、なぜ親鸞会では過去に高森会長を「蓮如上人以来500年ぶりの善知識」と言っていたのですか?

これも同様です。「私が蓮如上人としていたころから数えて、500年だったから」
「現在の真宗の歴史、お聖教が間違っている」で、押し通すしかない。


以上書きましたが、高森会長が外部からの「親鸞会の主張は浄土真宗ではない」の批判に対して、最後にした反論が「そういうお前たちが信じている真宗教義と歴史が実は間違っているのだ」というものでした。
親鸞会の主張によれば、「正しい正御本尊は親鸞会の正御本尊であり。現存するものこそニセモノ」であり、「親鸞会的三願転入こそ正しい真宗であり、それを否定するものは、間違った真宗教義と歴史を真実だと思っているものだ」となります。


そうなると、外部から何を言っても、熱心な会員にとってみれば、批判もまともに受け入れられなくなります。
なぜならこの前提を進めると、「蓮如上人の生まれ変わり(しかも、蓮如上人の記憶をもったまま)である高森会長のいうことこそが、正しい真宗教義であり、歴史であるということになります。しかも、何者かによってねじ曲げられた、真宗教義と歴史を正す為に何度もタイムリープを繰り返しているのが高森会長ということになるからです。


「お聖教が間違っている」と主張した映画

ここまで読まれた方なら分かられると思います。
高森会長は、この映画でいいたかったことは、「私の主張する真宗こそ『正しい真宗』であって、根拠を出せという人たちは、正しい根拠が失われていることを知らないのだ。」ということです。
いわゆるトンデモ教義を肯定するために、「私の脳内にある真宗教義こそ正しい真宗であり、それを現代文で書いたのが『なぜ生きる』『なぜ生きる2』である。今後は、これを読みなさい。必ず信心決定できる。」というのが、高森会長の主張のようです。


終わりに

ここまで読まれた方に感謝致します。
現役会員の方に、言いたいことは、このような歴史改変の前提でなければ、高森顕徹会長の説を正当化することができないのが現在の親鸞会だということです。
そこでこのエントリーを読まれている会員の方にお願いがあります。それは、「高森顕徹会長の説が正しい」という前提を一度捨ててみてください。世の中でも、「無罪証明」というのは難しいものです。なぜならば「無罪である」という証拠は提出するのがとても難しいからです。今の日本でも「冤罪」の証明はとても難しいです。
親鸞会の「正御本尊」で言えば、「現在する親鸞聖人の真蹟の御本尊に親鸞会と同じものはないではないか」という主張対して、「それは現存していないだけで、実はあったのだ」と言えば何でもありになってしまいます。それに対して、「親鸞会の正御本尊は現存する親鸞聖人真蹟のものには一つもない」という証拠はいくらでもあります。それは、上記にあげた現存する親鸞聖人真蹟の御本尊に一つも「親鸞」の名前がないことからも明らかです。
では、親鸞聖人の真蹟の御本尊としては、どちらが正しいのでしょうか?「親鸞」の名が入った名号本尊は、現存しているものは一つもありません。あるとすれば、親鸞会のものだけです。
「御本尊が狂っているから全部狂う」とかつて高森顕徹会長は主張しました。
お聖教のご文がどうこうという以前に、現存しない名号本尊を2000畳のお仏壇にご安置して、これが「正御本尊です」という人は、はたして「善知識」なのでしょうか?よくよく考えてみてください。