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親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

高森会長「善をしなければ、自惚れ心が砕かれないので救われない」(5月6日二千畳座談会・6月1日顕正新聞より)

顕正新聞平成24年6月1日号にも掲載されている5月6日の二千畳座談会の内容について書きます。このエントリーを書くにあたって、実際に5月6日の座談会に参加した方より情報を頂き、それを参考に書きます。情報を提供して下さった方にこの場を借りて御礼申し上げます。

当日の質問は、以下のものでした。

質問:道綽禅師は自分のやる善はどんなに励んでも後生の一大事助からないから貶されたとお聞きしました。一方、釈迦一生涯の教えは廃悪修善であり、阿弥陀仏が私たちを助けるために絶対必要だと建てられた19願には諸善が勧められています。万善自力貶勤修の一行はどういう意味なのか、もっと詳しくおしえて頂きたいと思います。

そもそもこの問いも、またこれに対する高森会長の答えも「阿弥陀仏が衆生を救う為に善を勧められた」前提での話なので間違いです。


実際のこの質問に対する高森顕徹会長(宗教法人浄土真宗親鸞会)の回答は、午前2時間、午後2時間の座談会で、約3時間半「(親鸞会的)因果の道理」の話をしてからやっと、以下のように答えました。5月6日二千畳座談会午後後半の高森会長の発言より抜粋です。以下は、座談会での高森会長の発言。
また、顕正新聞6月1日号7面には、いつもの図が目立つように貼り付けてありました。これをご覧になれば、どんな話をしたのかは会員、元会員の方はすぐに想像がつくと思います。

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(顕正新聞平成24年6月1日号7面より・5月6日二千畳座談会での高森会長の板書)

一生造悪の者と見抜いて建てられた阿弥陀仏の本願。
(中略)
この阿弥陀仏の本願にあわせるために道綽禅師は教えを説いておられる。親鸞聖人もそうなんです。善知識の教えられることは、この一念の救いにあわせるため、往生一定の身にするために教えを説かれておるんです。(5月6日二千畳座談会での高森会長の発言)

なぜ阿弥陀仏の救いにあえないかといえば、みな自惚れておるんです。(略)善はできますよ。一生悪しか造れない。そんなことありませんよ。(略)私はそんなものではない。そんな悪い者ではないと思っている。
その証拠挙げましょうか。毎日沢山のアンケートが私の所に来るんですよ。(1万年堂出版の本の読者アンケートは、宗教法人浄土真宗親鸞会高森顕徹会長の所へ送られます)
(略)
特に最近多いのは、「幸せのタネをまくと幸せの花が咲く(岡本一志著・浄土真宗親鸞会講師部員)」のアンケートが沢山来る。毎日。今日は連休だから来ない。それを読んでみると分かる。

幸せのタネをまくと、幸せの花が咲く

幸せのタネをまくと、幸せの花が咲く

(同上)

因果の道理からしか入れない。それはどういうことかと言えば、阿弥陀仏の救いにあうには通らなければならない道があるんです。その通らない道とはなんですか?
アシスタントI 「はい、この道です(横の線)」
この道は一本道しかないんです。ここ(縦の線)まで、ここが決勝点です。この決勝点までは一本道しかないんです。(略)
しかもこの道は阿弥陀仏がつくられた道なんです。(同上)

ここまで連れてって救ってやるぞと(略)こんな世界を造ったからここまで来いといわれても私らなんもわからん。カーナビもなんもない。それでは阿弥陀仏、十方衆生を救うことが出来ないということで、道まで造られた。(同上)

まず目的地をあらわさなければならないから、これが一番若いんです。18願。それから次に教えなければならないのは19でしょ。この道(横の線)でしょ。20でしょ。この道でしょ。そしたらここまで(縦の線)行ったら言ったら助かる。これが阿弥陀仏のはからいなんです。(同上)

一生懸命善にむかって知らされるのは自分の悪です。わかるかな。
アシスタントS「一生懸命善に向かって知らされてくるのが自分の悪である。一生懸命善いことをしようと励んではじめて、それが出来がたいことが知らされてくる。」
みなさん、そういうことが頭で考えても、分かる人もあるかもしれんけど。
実際やってみる。実際やってみると頭だけでそんなもんかなーそういうもんかなーと思うておるんと全然違う。実際やってみると知らされてくるのは、悪しか出来ない。善のかけらもできない。
(略)
それで阿弥陀仏が、善をやりなさい助けてあげます。真剣にやりなさいと19願に言われている。
(略)
時間がないので結論を申しますが、道綽禅師が万善自力勤修を貶す。といわれたのは、お前たちは善ができると自惚れておる。この自惚れ心を貶されたのです。勤修を貶すとは、そのことです。そうしなかったら阿弥陀仏の本願にあわないんです。なぜか、阿弥陀仏の本願は、極悪人、一生造悪の逆謗と約束をされている。蓋と身とがあわないんです。函蓋不相応といいます。それで救われないんです。
それで、二千畳で何を聞くのかというと、阿弥陀仏が見抜かれた私たちの姿をみせてもらう、教えて貰うということなんです。それをお釈迦さまは、一切経は法鏡なりといわれたんです。法の鏡なんです。仏教を聞くと言うことは、鏡に近づく、自分の本当の相を知る。(同上)

全人類は善が出来ると自惚れていますので、それをぶち壊して本当の相を知らせるには善を勧めるしかないんです。あったら阿弥陀仏は、19願にあんな約束をされないんです。悪を勧めた方が悪が早く分かるというのなら、悪を勧めておられるんです。ということで、道綽禅師は教えておられる。
アシスタント「阿弥陀仏もお釈迦さまも道綽禅師も、私たちの自惚れ心をぶち壊すために教えておられる、ということを聞かせて頂きました」
(終了)(同上)

教義的に間違いだと、これまでもずっと批判をされてきた内容をそのまま話している内容でした。

阿弥陀仏の本願は、本願を信じ念仏するものを救うと願われたものであるにもかかわらず、高森会長は相変わらず「善を真剣に実行し、一生造悪の自己の相を知った者でなければ阿弥陀仏は救うことができない」と主張します。

善を真剣に実行する人、またそのような菩提心を起こせる人は善人です。そんな善人しか救えない阿弥陀仏ならば、十方衆生を救うことはできません。「阿弥陀仏が助けられるような者」になるために、私の方で善をし、自分の姿を知らねばならないという本願ではありません。

最後に上記の座談会を聞いた会員の手紙が法友通信として、顕正新聞に掲載されています。その法友通信から紹介します。法友通信は、あの時の高森会長の話は「このように聞かねばならない」という親鸞会のガイドマップの役割をしているので、親鸞会の主張が非常に特徴的にあらわれています。また、引用した文章の、文字色、強調は紙面のままにしてあります。

宮城県 会員
(略)
「善の出来ない十方衆生に、なぜ弥陀は善を勧められているのか」という表面上の矛盾は、本当は矛盾どころではなく、「何とか絶対の幸福に助けてやりたい」という弥陀の大慈悲心が滔々と底流していると知らされました。「真仮皆これ大悲の願海に酬報せり」の聖人の断言に全身が包み込まれる思いです。

矛盾と思うのは、高森会長が矛盾したことを教えているからに過ぎません。それを、無理矢理こじつけた話を聞いて「弥陀の大慈悲心が滔々と底流している」と思うのは間違いです。
善を実行し、しかも二千畳で聞かねば自分の姿が知らされないのであれば、現在ただ今救われることはありません。それは、弥陀の本願ではありません。

特専部 T
(略)
弥陀のつくられた三願転入の道は、自力から他力に入るたった一本の道です。
無量劫にも知ることのできない道を聞かせて頂き、ひたすら進むのみです。

「三願転入の道」は高森会長の作ったものです。親鸞聖人は、自力を捨てて他力に帰せよと勧められています。
また、自力を通って救われようというのは、無量劫進んでも救われないぞと親鸞聖人が厳しく誡められています。

悲しきかな、垢障の凡愚、無際よりこのかた助正間雑し、定散心雑するがゆゑに、出離その期なし。みづから流転輪廻を度るに、微塵劫を超過すれども、仏願力に帰しがたく、大信海に入りがたし。まことに傷嗟すべし、深く悲歎すべし。(教行信証・化身土文類・浄土真宗聖典(註釈版)P412)

http://goo.gl/8rVVc

「微塵劫を超過すれども、仏願力に帰しがたく、大信海に入りがたし」と言われたことを、勧めているのが高森会長です。
間違った教えを早く離れて、ただ今本願に向いて救われて下さい。