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親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

映画「なぜ生きる」の感想(4)「なぜ生きる」は「親鸞聖人教え」と違うたった一つの理由

映画「なぜ生きる」の感想も4回目となりました。
以前のエントリーでも書きましたが、親鸞会では「映画『なぜ生きる―蓮如上人と吉崎炎上―』」が聖典となり、各地の親鸞会講師が行う勉強会もそれ一色です。いかに映画を見る為に劇場に足を運ぶ人を増やそうかと、シナリオブックの輪読と解説をしています。
こういうことから「なぜ生きる」が、親鸞会教義の中心になったことは疑いありません。
私も親鸞会にいたころは、「親鸞聖人の教えは全て『なぜ生きる』に書かれている」と聞かされていました。
そこで親鸞会を離れた後、「なぜ生きる」に書かれている内容のどこがおかしかったのかについて何回かブログに書いたこともあります。
現在、本の内容のここがおかしい、このご文の解説はおかしいというのは、ネット上には沢山出ています。しかし今回は、個別のことよりも、そもそも「なぜ生きる」のタイトルが表す意味と親鸞聖人の教えは本当に関係があるのかについて書きます。

結論からいうと「なぜ生きる」のタイトルと親鸞聖人の教えは全く違います。言い替えると、親鸞聖人は「なぜ生きる」を教えられた方ではありません。


こう聞くと、親鸞会会員の方は驚きます。なぜなら、いつのまにか親鸞会では「なぜ生きる=親鸞聖人の教え」となっているからです。以前の大会スローガンにもそれは端的に出ています。
「なぜ生きる 開顕一つに命を燃やす 親鸞学徒の使命果そう」
これは、「なぜ生きる」を多くの人に明らかにするのが、親鸞聖人の教えを聞いている者の使命だと言っています。平成13年に「なぜ生きる」が出版されてから、親鸞会は「なぜ生きる」一色になりました。


では「なぜ生きる」とは、なんなのでしょうか?映画「なぜ生きる」シナリオブックより引用します。
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『なぜ生きる』の答えを知れば、勉強も仕事も「このためだ」と目的がハッキリしますから、すべての行為が意味を持ち、心から充実した人生になります。病気がつらくても、人間関係に落ち込んでも、競争に敗れても、「大目的を果たすため、乗り越えなければ!」と“生きる力”がわいてくるのです。(映画「なぜ生きる」パンフレットP9ー著者から映画に寄せて 精神科医 明橋大二

これを読んで、違和感を感じないでしょうか?
とはいえ、かくいう私も以前は違和感を感じていませんでしたので、大上段に構えていうつもりはありません。


上記の文章の内容は、私が大学入学時に、親鸞会から勧誘された時に聞いた話であり、また、私も偽装勧誘で多くの人に言ってきた言葉です。


でもこれって、親鸞聖人の教えでしょうか?
親鸞聖人の教えは、病気に例えると「病気は治ります。治す医者も、薬も完成しています」というものです。それに対して親鸞会の「なぜ生きる」は「病気になったことにも意味があります」です。苦しみと言い換えれば、親鸞聖人の教えは「苦しみの解決」であり、親鸞会は「苦しみに意味を与える」というものです。


そもそもの話として、親鸞会会員は、「苦しみから救われる」ことを望んで親鸞会に入ったのでしょうか?それよりも「苦しまねばならない理由を知りたい」という人が多いように感じます。

どのみち苦しみの人生ならば、意味のあることで苦しみたいという諦めが親鸞会会員を活動にかりたてる動機になっています。別の言い方をすれば「どうせ死ぬのになぜ生きる?」と考え、死ぬ意味を見つけた人たちの集まりが、現在の親鸞会です。


これでは、最初から救われることを求めていないのですから、親鸞会会員に「救われた」という人があまりいないのも当然です。ですから、「救われない人生にせめて意味を見いだしたい(見いだした)」人は、救いがあると言っても耳を貸しません。なぜなら、本人が救いを求めていないからです。その「救われない人生にせめて意味を見つけた」結果が、「高森顕徹会長のいう親鸞聖人のみ教えを全人類に徹底する」です。


その具体的行動が、現在の映画『なぜ生きる』を一人でも多くの人にの活動です。


しかし、親鸞聖人の主張は一貫して「難度海を度する大船がある」ことであって、「難度海を度する大船があるから、あなたの人生には意味がある」とか「難度海を度する大船があるから、親鸞会の活動に邁進せよ」ではありません。
病気で言えば医者の仕事は病気を治すことであり病気を治した後のその人のさまざまな苦しみまで救うと言うものではありません。そこから分かるように、「苦しみの解決(病気の治療)」と「苦しみに意味を与える(病気になったことに意味を与える)」は違うことが分かります。


阿弥陀仏の救いは、「お前を浄土に往生させて、仏にする」ものです 。その身に救われたならば、「なぜ生きる」は大した問題ではなくなります。

結論

親鸞会高森顕徹会長)の教えは「(こんな苦しい人生)なぜ生きる?それは、阿弥陀仏に救われるためだ!」です。
それに対して親鸞聖人の教えは、「阿弥陀仏に救われて、浄土往生が定まれば、『なぜ生きる』なんて考える必要もない問題です。」

「なぜ生きるが大事」の親鸞会に対して、「『なぜ生きる』が問題にならない救い」を教えられたのが親鸞聖人です。その意味では、親鸞会の教えは「浄土真宗」ではありません。やはり、宗教法人浄土真宗親鸞会の名前を変えるべきです。