親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

世代交代に差し掛かった親鸞会(顕真2021年03月号)

顕真2021年(令和3年)3月号をよみました。
以下、思ったことを書きます。

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顕真2021年3月号表紙

この号の特集記事は、「講」を作ろうでした。
それ以外の記事を抜粋すると

オンライン布教大会(関西本部)……P24
身につけたい ネットで伝える方法

マンガ 私は班長1年生!第3回……P28
「報・連・相」とは?

コロナ禍ということもあり、なかなか人が集まっての会合ができなくなり、親鸞会ではネットを使っての(ZOOMやLINE)4.5人単位からの「講」が推奨されています。


合わせて、オンライン布教大会や、「私は班長1年生」という記事を読むと、親鸞会での世代交代が本格的になってきたことを感じます。


親鸞会にかつて所属してことのあることのある方ならばご存知のことですが、親鸞会はいわば「高森顕徹会長が立ち上げたベンチャー企業」のようなものです。

本願寺の体質を問う」「本願寺なぜ答えぬ」の著作がそれをあらわしているように、発足以来の親鸞会は「本願寺に物申す」というスタンスで、寺の現状に不満を感じる門徒の方々を中心に会員が構成されてきました。

やがて大学生の入会者も加わり親鸞会は拡大期を迎えます。私が入会した、1993年(平成5年)前後はそのピークでした。


しかし、私が入会してしばらくの間は、各支部支部長、副支部長の方はやはり「本願寺に不満を感じる門徒」だった方が中心となっていました。1993年入会当時に50代、60代だった方も、ご健在であったらそれから28年経つので80代、90代となっておられます。また、親鸞会結成当時からの会員と言っても結成60年を超えているので、結成当時30代の人だったとしてもすでに90代です。私が入会した頃は、まだ親鸞会結成時からの古参の幹部会員もいましたが、それらの人は現在ほぼ故人となっています。

また、私が入会した時に「青年部」がありました。社会人でかつ35歳以下は「青年部」だったのですが、それらの人も現在は60代となります。私が親鸞会を除名になった2009年(平成21年)からすでに12年が経っています。その当時の親鸞会の各支部を支えていたのは70代、80代の古参の会員と、大学時代に入会した50代前後の会員が中心だったので、それぞれ12年経つと世代交代の時期に来ています。

カリスマ不在の世代

この世代交代は、あらゆる新興宗教団体でも起きていることです。
多くの宗教団体は創始者のカリスマ性によって最初に多くの会員を集めますが、その創始者の次の世代で躓くことが多いです。

私が入会した時点でも、「高森先生はすごいんだ」と担当講師や先輩から聞かされて初めて参詣した高森会長の話は、率直な感想をいえば「担当講師の話の方が分かりやすい」というものでした。それでも、周囲の「高森先生スゴイ」の空気から「この先生はすごいのだろう」と思うようになりました。


しかし、ここ最近の脱会相談者(最近の入会者)から聞く限りでは、「高森先生の話」は決して評判がいいものではありません。

「私のつたない話ではわからないだろうけれども高森先生の話を聞けばこの人も感動して親鸞会に入会する」という形式はすでに崩れています。「私は絶対の幸福になった」という「高森先生」のカリスマによって成り立っていた親鸞会の勧誘から入会のモデルは崩壊しました。


そこでここ最近のネット経由で入会した人は、いろいろな人生の不安をネット検索した結果親鸞会にたどりつくのですが、「絶対の幸福」と言われるものの誰も「絶対の幸福」になっていないことに不審を抱くようになっています。以前は、「高森先生」のカリスマ性に惹かれて入会した古参の会員がいろいろと説得をしていましたが、そういう会員の数も世代交代でいなくなりました。


今後は「絶対の幸福になるのが人生の目的だ!」と看板を掲げるものの、会員も講師も誰も「絶対の幸福」になった人がいないというのが親鸞会となります。

会の存在意義の変更

これまでの親鸞会は「絶対の幸福」になった高森顕徹会長を中心とした「絶対の幸福になりたい人」の集まりでした。
今後は「絶対の幸福」になった人がいないので、「絶対の幸福がある」ことを信じてそれを求める人の集まりが親鸞会となります。また、「絶対の幸福がある」ことを後世に伝えるための団体となるでしょう。


「あなたも絶対の幸福になりませんか?」と勧誘していた親鸞会は、「あなたも絶対の幸福があることを多くの人に伝えませんか?」と勧誘することになるでしょう。もちろん実態は以前もそうだったのですが、高森顕徹会長が事実上不在の現在、それはより鮮明になる事でしょう。


それでも「絶対の幸福」になりたい人は、親鸞会にとどまり続けるでしょうが、信心決定して浄土に往生したい人は他の道を探した方がいいタイミングだと思います。