顕正新聞2021年01月01日号を読みました。
以下、思ったことを書きます。
毎年恒例の年頭所感ですが、高森顕徹会長のものがここ何年も続いていますが、自著からの引用でした。
「ともに無上道を進まん」のタイトルはありますが、内容は「歎異抄を開く」P211最後の行からP229の引用に、おそらく弘宣局の責任者と思われる人の作文が付け加えられたものでした。
そちらをここに引用します。
世界はコロナの不安で移動もままならず、分断が深まっている。だが親鸞学徒は、この災禍をチャンスに転じ、海の内外のへだてなく、かつてなく団結を強化した。
今こそ、貧窮一人ひとりと対峙して、真実の法剣で切り込み、縦横無尽に救済の手を差しのべなければならない。
絶好の機会を一刻もムダに費やしてはなるまい。(顕正新聞2021年01月01日号より 年頭所感)
ここ最近の機関紙や、顕真に共通しているのは「人に伝える」が先となり、「自分の信心」とか「我が身の後生」が後回しになっている点です。
同じ顕正新聞の他の年頭所感を一部紹介します。
原点忘れず、真剣な聞法を 布教局長
(略)
この無上の妙法を、全人類にお伝えするのは「難中の難」ではあるが、だからこそ最高の仏恩報謝となり、最高の仏縁ともなるのである。令和三年もひたすら「大悲伝普化」の無上道を邁進し、真の仏弟子とならせていただこう。(了)
論説 急げ心の往生を
(略)
親鸞学徒は今年も、心の往生を急げの親鸞聖人のみ教え徹底に、全力を尽くそうではないか。(了)
昭和39年の年頭所感と比較する
では、以前はどういうことを中心に言っていたのかを、昭和39年の顕正新聞1月15日号年頭所感と比較をしてみます。
上記画像は、年頭所感として第一号のものです。
最後は、こう結んであります。
今年こそ本気に聞法し絶対の幸福をかちとって曠劫多生の目的を達成し、めでたいめでたい年にしようではありませんか。
及ばずながら私が、身命をとして進軍ラッパを吹き続けるであろう。「本当におめでたい年にする為に頑張りましょう」これが親鸞会々員の新年の誓いの言葉にしたいものである。
会員へのメッセージも「曠劫多生の目的を達成し、めでたいめでたい年にしよう」が中心です。
それに対して、「人に伝える」が中心となる現在の年頭所感では随分違うことがわかります.
高森顕徹会長も話をしなくなって久しく、巨大な建設物の維持費もあり、会員を増やすことでなんとか会の運営を回していかねばならない会の事情も伺えます。
しかし、会員が聞法するために会館があるのであって、会館を維持するために会員の聞法があるのではありません。
会員のみなさんに、聞法を勧める目的が会や会館維持のためであるのならば、そんな会館はさっさと手放した方が会員の為になると思います。
「本当におめでたい年にする為に頑張りましょう」が過去の年頭所感ですが、そうなるために会館の維持に全力を挙げるのか、自身の往生極楽のために信心決定の身になることを求めるのか、よくよく考えてみてください。