顕正新聞2020年(令和2年)8月15日号によると、今年の5月1日に顕真学院が福井県あわら市から富山県射水市の同朋の里に移転しました。
顕真学院は、布教に専念する講師部や、本会の聖務に従事する親友部を目指す若人の養成機関である。(顕正新聞より)
私もかつて顕真学院で研修を受けて、1999年(平成十一年)に講師部員になりました。一年半近くいた場所なので、福井県あわら市のかつての顕真学院の建物はどうなっているのだろうかと気になっていたところ、実際に行ってみた方から情報提供して頂きました。
実際に行かれた方の話によると、人気が全くなく、あちこち雑草も生え、建物には錆、クモの巣、汚れが目立ち始めていました。周りの田畑は以前と変わらないので、学院の施設だけが寂しく朽ち果てようとしている感じだったとのことです。
ちなみに以前の様子は親鸞会公式サイトに掲載されていたので紹介します。
親鸞会 顕真学院で短期研修 心地よかった|親鸞会・会員の声|浄土真宗親鸞会公式サイト
行ってよかった!! 親鸞会・顕真学院で研修|親鸞会・会員の声|浄土真宗親鸞会公式サイト
まだ使える建物があるのになぜ同朋の里へ移転したのかについての理由は顕正新聞には掲載されていません。しかし、理由は2つ考えられます。
1つは、講師部、親友部志望で顕真学院に入学する若者がいなくなったこと。もう1つは、そのため会員向けの短期研修施設として使う場面が主になったため親鸞会館の行事の前後に研修ができるように同朋の里の方が利便性がよいため。加えて言えば、ほぼ稼働していない同朋の里の建物群を少しでも有効活用するためかと思います。
いずれにしても、本来講師部、親友部の養成機関であるにも関わらず希望者がほぼいないのが今の親鸞会の現状です。
顕真学院はなぜ建てられたのかを機関誌から振り返る
写真の顕真学院は、1996年(平成8年)に完成し、1999年(平成11年)に新館が建てられました。
以下、顕真の記事より
学院入学希望者が大挙して登壇し、学院の収容人数をはるかに超える学生部、青年部員が、入学の順番待ちを余儀なくされている実態が参加者に強く印象づけられた。
直後の一月七日、高森先生のご提唱により、本会は顕真学院新館の建立を決定したのである。
収容人数は、これまでの四倍増。過去、多くの講師部、親友部員を輩出してきた顕真学院の大きなパワーアップによって、人材養成が一層加速されることは間違いない。(顕真より)
事実、私が顕真学院に入る前から入学者がどんどんと増え、20人を超える状態になっていました。その後も希望者が多くいたので、最大100名が研修できる施設にすることを目的に新館が建てられました。
この新館ができるころに私は顕真学院で研修をうけていました。新館が建設される様子も見ており、落慶行事に向けて当時の学院生が総出で何日もかけて徹底的に掃除をしたことを覚えています。
21年前のことですが、それが今は施設そのものが使われなくなり、どんどん朽ちていくというのは親鸞会の未来を示しているように感じます。各地の会館も、同朋の里も、親鸞会館もそのうちこの元顕真学院の建物のようになるかもしれません。
講師部希望者が少なくなる一方で、かつて学院で研修を受けた講師部員も現状は厳しく、40代、50代でも親に経済的援助を求めたり、親も高齢となりもう支え切れないというところもいくつも耳にします。