宗教法人浄土真宗親鸞会(富山県射水市)機関紙・顕正新聞2019年(平成31年)2月1日号を読みました。
今回は、青年・婦人・学生大会と降誕会の日時が掲載されていたので紹介します。
上記のように、青年・婦人・学生大会は3月10日(日)
親鸞聖人降誕会は4月13日(土)14(日)、親鸞会館で行われるそうです。
段々と、行事の告知も早くなり、親鸞会館へ人を誘うのもいよいよ力が入っているようです。
そこで、今回気になったのは降誕会の演題です。「真宗の極致」だそうです。
これは、今年1月の初聞法会でも出てきた演題です。どうも、高森顕徹会長は今年は「真宗の極致」で通すようです。
そもそもの話として、「親鸞聖人降誕会」といいながら、演題が親鸞聖人のお言葉ではなく、覚如上人のお言葉というあたりから何やらもやもやしたものが、会員の頭にも浮かんでいるのではないかと思います。では、なぜ高森顕徹会長は「真宗の極致」を今回演題に決めたのでしょうか?
理由「真宗の極致」と言いたいだけ
その理由は一つしかありません。ただ「真宗の極致」と言いたいだけなのです。
高森顕徹会長は、これまでも「これが一番大事だ!」と会員に強調するために、いろいろなフレーズを使ってきました。
例えば、
- 「因果の道理は仏教の根幹」
- 「三願転入は親鸞聖人の教えの根基」
などです。
とはいえ、三願転入はネット上でも種々批判を受けてあまり大々的な行事では話をすることがなくなりました。
三願転入の時もそうでしたが、「これは親鸞聖人の教えの根基だ」と大上段に構えて話が始まるものの、いつも最後まで話が完結したことはありません。「続きは、また次回」で終わっていました。つまり、参詣者に「大事な話をしている」と思ってもらうこと以外に何も無い話ということです。
そこで、三願転入の話が出来なくなった時に目をつけたのが「真宗の極致」という言葉です。
特に「極致」は、一般にも使われる言葉です。意味は、以下の通り。
きょく‐ち【極致】
https://bit.ly/2E1dVBi
到達することのできる最高の境地。きわみ。「芸術の極致に達する」「官能の極致」(デジタル大辞泉)
ですから、降誕会の演題が「真宗の極致」だと聞くと、なんだか最も大事なことが聞けるような気がします。つまり、降誕会の参詣者数をどうしたら増やすことが出来るかを考えた結果の演題ということです。
例えば、地元で親鸞会館に行った事がない人や、しばらく足を運んでいない人を誘う時に
「○○さん!今回は『真宗の極致』についての話なんですよ!最も大事な話があるので聞きに行きましょう!」
と言うのです。
しかし、当日の内容は、初聞法会と同じように「歎異抄第二章」についての話で終わることでしょう。
「親鸞聖人降誕会」でかつ「真宗の極致」について話をするというのであれば、少なくとも「親鸞聖人の書かれたもの」から話をするのが筋というものです。
ただ「真宗の極致」と言いたいだけでないのなら、過去25年以上強調してきた「三願転入」とは何だったのか?と、ここまで読まれた会員の方は少し考えて見て下さい。