親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

顕真・高森顕徹会長のつぶやき「自転車人生」がいろいろと考えさせられる(2018年5月号顕真を読んで)

親鸞会の機関誌顕真2018年(平成30年)5月号を読みました。顕真は、ある程度以上の会費を出す会員のみの機関誌なので、書いている内容も、より活動のやり方が具体的であったり、高森会長の文章もより本音が出ているものとなっています。


一例をあげると、同じく顕真の2018年4月号の高森会長のコラムを紹介します。
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歎異抄をひらく』の前に、『歎異抄解説書』なく、『歎異抄をひらく』の後に、『歎異抄解説書』なしと、後世、噂する者が現れるかも知れぬ。

熱心な会員以外の人がこれを読むと、「これは冗談なのか本気なのか」と判断しかねると思います。しかし、これは紛れもなく高森顕徹会長の本音です。


このように、顕正新聞には少々掲載するのが憚られるような高森顕徹会長の本音が掲載されているのが、顕真掲載のコラムです
コラムというよりは、つぶやきですね。歎異抄をひらく10周年記念大会を前に、思わずツイートしてしまったという感じです。仮に高森顕徹会長がTwitterを使っていたら、きっとつぶやいただろうなというものです。


そして、2018年5月号顕真のつぶやきは以下のものです。
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自転車人生
止まったら倒れる自転車
走り続けねばならぬ自転車
こぎ続けねばならぬペダル。
踏み続けねば倒れる人生
止まることの許されぬ人生
走り続けねばならぬ人生。
悲惨な自転車人生と訣別しよう。

この号が発行される前後で、新聞の一面広告で親鸞会館での高森顕徹会長の講演会を出したり、講演会の動画をネット公開するなど今までにない動きを親鸞会はしてきました。


以前のエントリーにも書きましたが、自転車操業状態の親鸞会もかなり苦しい状況なのでしょう。また、高森顕徹会長自身の人生も、90を目前にしていろいろと思うことがあったのでしょう。自らを「500年に一度の善知識」「真仮の水際を説き切ることができるのは高森会長のみ」と会員にいわせて、「無二の善知識」という自転車で走り続けた人生に少々疲れてきたようです。


これは、高森顕徹会長一人を明かりに走り続けた会員にも同じことが言えます。「踏み続けねば倒れる」「止まることの許されぬ」「走り続けねばならぬ」というのは、親鸞会会員にとっての聞法求道人生そのものではないでしょうか。また信仰といっても同じです。


どれだけペダルを踏み込んでも、ないものはないのです。南無阿弥陀仏は、そんな何者にもなれない、どこにも行けない私のために、ただ今救うと呼びかけられています。自転車を下りて、南無阿弥陀仏に乗じて下さい。