親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

書評「不安が消えるたったひとつの方法」(長南瑞生・親鸞会講師)親鸞会の未来を感じる1冊

宗教法人浄土真宗親鸞会講師・長南瑞生氏(日本仏教アソシエーション株式会社代表取締役)の新刊「不安が消えるたったひとつの方法」を読みました。以下読んで感じたことを書きます。

不安が消えるたったひとつの方法

不安が消えるたったひとつの方法

長南瑞生氏の著作については、以前もこのブログで書いています。
shinrankaidakkai.hatenablog.com

前作が2014年9月でしたから、今回は3年半振りの著作となっています。

本というのはかなりの分量の文字を書くことで、著者の本心がにじみ出てくるものです。私は、この本を読んで3年半で親鸞会講師の考えが相当変わったのだと感じました。


結論から言うと、「高森顕徹会長の話を聞いて下さい」の前作に対して、今回は「私の話を聞いて下さい」になっていることが大きな変化です。そして「浄土真宗の教え」から「ブッダの教え」への転換です。


このブログを読まれた方で、長南瑞生氏の著作を二冊読まれた人は少ないかもしれません。ただ、だから読んで見なさいとは私はいいませんが、一読した私の感想は以上のものです。


高森顕徹会長から聞いた話で「使えるもの」をどんどん使ってその上で、「私の話を聞きなさい」というのが、本書の特徴です。
途中でメモを取ったので、一部ですが本書のなかで、高森顕徹会長から聞いたと分かる話はこの本には満載です。大げさに言えば2ページに一つはあるという感じです。
参考にP130前後のものを引用します。

起きて見て またねる鹿の落ち葉かな(P129)
動物園の虎とジャングル虎(P134)
死ぬ瞬間 キューブラ ロス (P136)
夢の浮き世を日長に思い 暮れて泣きやる寒苦鳥(P141)
臨終に目隠しが取られて初めて見る風景 パスカルの言葉( P142)
井戸のぞく 子を呼ぶ親は 命がけ (P143)
いつ噴火するかわからない、火山の火口に舞台を作って、舞踏会を開いているようなものです。(P144)

親鸞会会員・元会員であれば「あの話ね」という話ばかりです。
これでも、長南瑞生氏は親鸞会と関係ありませんというには、元会員なら全く信じられない内容です。


ただ、将来的に親鸞会を離れることを考えてか、長南瑞生氏独自の言い回しも出てきているのが本書の特徴です。
それは「生活の不安」と「人生の不安」です。それはあとがきにまとめて書かれています。

一切が続かない、諸行無常の世の中で、大安心の変わらない幸せになるには、不安を根本からなくさなければなりません。
そのためには、不安には2種類あることを知ることです。
収入が減るのではないかとか、会社で隠していた問題が発覚するのではなかなどという不安が、『生活の不安』です。
これらは頑張れば減らすことが出来ます。
ところが人生は、どうしてもなくすことのできない、底知れない不安に覆われています。何のために生きているかわからない、漠然とした不安です。これが『人生の不安』です。(P180)

それで、この「人生の不安」が「無明の闇」でありそれを晴らしたのが「無碍の一道」「絶対の幸福」であると主張します。

「絶対の幸福」から「究極の幸せ」へ

常識的に考えて、今年90才を迎える高森顕徹会長が、むこう10年20年と今の親鸞会を続けることは難しいと思います。それを踏まえて、まだ今年42才の長南瑞生氏は、「日本仏教アソシエーション株式会社代表取締役」として生きることを選んだのでしょう。その表明が「究極の幸せ」です。

生きている時に究極の幸せになれる教え(P116)

百歩譲って、「無碍の一道」を「絶対の幸福」と表現することは、分からないこともない話でした。しかし、「究極の幸せ」というと話は変わります。

きゅう‐きょく〔キウ‐|キユウ‐〕【究極/窮極】
[名](スル)物事をつきつめ、きわめること。また、その最後の到達点。究竟。「―の目的」
「この機器を益々修改(しゅうかい)し、工巧を―しければ」〈中村訳・西国立志編
デジタル大辞泉

https://kotobank.jp/word/%E7%A9%B6%E6%A5%B5-476741

親鸞会的いえば「相対の幸福」を「つきつめ、きわめた」のが「究極の幸せ」となります。私が知っていたかつての親鸞会講師ならば、こういう表現をすることはありませんでした。これを、長南瑞生氏が書き、かつおそらく本を出すにあたって親鸞会弘宣局の校閲でOKがでたことは、親鸞会の大きな変化を表すものです。

親鸞会的「求道」はそのまま残る

いろいろと書いていますが、落ちつくところは究極の幸せになるためとして「親鸞会的求道」が勧められています。
その部分を紹介します。

ブッダが心のコントロールを勧められたのは、できるからではなく、できないことを知らせるためなのです。できないことがわかったら、「なんとかすれば幸せになれる」という自惚れ心がすたって、仏教を聞きます。(P161)

「できないことを知らせるため」「自惚れ心がすたって」がいかにも親鸞会らしいです。

最初はわかりにくと思いますが、「無明の闇」は、生まれる前から全人類が持っています。それが、「平生業成」の教えを聞いていくと、だんだん知らされてきます。そして、「無明の闇」が一瞬で断ち切られた時、煩悩あるがままで絶対の幸福になれるのです。(P162)

「最初はわかりにくい」が「だんだん知らされる」というのが、横の線を進む感じです。

無明の闇問題

この本でも、一貫しているのが「無明の闇」が苦しみの根元だという点です。
浄土真宗の教えからいうと、「無明の闇」=「後生くらい心」とはなりません。そのことについては、過去に記事を書きましたので紹介します。
shinrankaidakkai.hatenablog.com
「疑情≠無明の闇というのは私にとって驚愕でした。今までずっと二つの心はイコールだと思っておりました。そうすると無明の闇というものがなんなのか分からなくなってきたのですが、弥陀に救われると無明の闇もなくなるんですか?」(KYさんのコメント) - 安心問答(浄土真宗の信心について)

まとめ

今回の本は、高森顕徹会長の教え方を継承しつつ、批判を受けるようなことを出来るだけ排除した内容となっています。いわば「新・親鸞会」とでもいうべき内容です。高森顕徹会長がいなくなった後に、こうやって残った人たちは活動をしていくのだろうということがわかる本でした。

あとに続く永遠を、不安なく過ごすために、無常を見つめ、今、仏教を聞いて、変わらない絶対の幸福になりましょう。(P179)

と書いてあるのがこの本の主張の全てでしょう。

いかにも親鸞会らしいですが、この本にも「念仏」の「ね」も、「南無阿弥陀仏」の「な」もありませんでした。現在の不安を煽り、「仏教を聞いて」「絶対の幸福になろう」という主張です。親鸞会と異なり「浄土真宗」の看板を掲げなければ批判はされないだろうという感じを強くうけた本でした。もはや自分たちの所属する「浄土真宗親鸞会」の教義が「浄土真宗の教え」でないと気がついた人たちはこうして「ブッダの教え風」の講座を開いたりセミナーを開催していくのだという親鸞会の未来が分かる一冊でした。