親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

親鸞会会員が聞きたいのは「映画『なぜ生きる』の大悲の願船に乗せられると同時に、私たちの苦しみの人生は、幸せな人生にガラリと変わるとは、どう変わるのでしょうか」ではない理由

2018年(平成30年)02月11日(日)親鸞会館(富山県射水市)で、高森顕徹会長の話がありました。
shinrankai.jp

連日の大雪の中、全国各地から集まってこられた会員のみなさんへは本当にお疲れさまでしたというよりありません。

今回の話は、映画「なぜ生きる」を見た人からの質問

「大悲の願船に乗せられると同時に、私たちの苦しみの人生は、幸せな人生にガラリと変わるとは、どう変わるのでしょうか。」(42ページ)

についての話でした。


f:id:yamamoya:20180212153009p:plain

話の内容とその誤りについては、すでにこちらに詳しく書かれています。
hiun.cocolog-nifty.com


話の内容もさることながら、この演題についての話は何度も出ていますが、そもそもの話としてこの話を会員は聞きたいのでしょうか?
今回の話は言い換えれば、「救われたらどうなりますか?」という話です。多くの会員は、救われたらどうなるかを知りたくて富山の親鸞会館まで行くのでしょうか?ということです。例えば、病院に行く患者は「病気が治ったらどうなるか」を聞きたくて、遠くの病院まで行くことはありません。患者にとって大事なことは「病気を治して欲しい」であり「治す方法」「治す薬があるかどうか」なのです。


私も、会員の頃は高森顕徹会長の話を聞くといっても「どうすれば助かるか」のところが一番聞きたいところでした。以前は高森顕徹会長の法話は演題もいろいろありました。その演題を見てはいろいろ感じたものです。


例えば、住んでいるところからかなり遠い会場に長時間かけて移動をして、演題が「因果の道理」とあるとなんとなくもやもやした気分になり、「領解文」とあると「お!今回は雑行を捨てて弥陀たのむ話が聞けるかも」と少しうきうきしたものでした。


その後、平成13年以降高森顕徹会長の話は、富山県親鸞会館のみになりましたが、午前は「前回のおさらい」や「はじめて来た人のための話」がほとんどなので、長年の会員の間では「午後からが本番」と言って憚らない人に何人も会いました。


そして映画「なぜ生きる」が公開された平成28年からは、「なぜ生きるシナリオブック」の内容についての話しかないと言っても過言ではありません。ただの映画解説ならば、私もとやかくいう筋合いはありません。しかし、参加している会員「この映画の詳しい内容」を映画ファンのように知りたくて富山まで来ているのではありません。


前述した通り「どうしたら病気が治るか」「どうしたら救われるか」が聞きたくてやって来ているのです。それに対しての、今回の内容は参加者の心の声を無視しているとしか思えません。


今はどうか知りませんが、かつて高森顕徹会長は「対機説法」をしているとのことでした。参加する会員は「私が参加しないと話の内容が変わってしまう」「後で人から聞いてもその話の内容は私に向けた内容ではない」と信じていました。そのこともあって、熱心な会員いろいろな苦労をして高森顕徹会長の話を聞きに全国各地からやって来ました。


しかし、ここまで読まれた会員の方は冷静になって考えて見て下さい。高森顕徹が「対機説法」をしているとしたら、私が参加した法話では私の聞きたい話がされていなければなりません。それに対して、一日話を聞いてもやもやした気持ちになったことはないでしょうか?もちろん「初めての人も多いから」とか「長年聞いてる私はお相伴にあずかっている」などなど会のなかでの会長擁護の意見があることは私もよく知っています。


では、少し角度を変えて考えて見て下さい。仮に「初めて来た人がいたから今回はこういう話だったのだ」という理屈が通るとするなば、浄土真宗阿弥陀仏の救いは「今日初めて来た人は救えない」のでしょうか?


それは違います。「どんな人も助ける」本願ですから、「今日初めて来た人も助ける」本願なのです。自分が救われたかどうかを、仮に横においたとしても、今回の話を聞いて「救われた」と言う人はないでしょう。そのように会員の方も思われたのではないでしょうか?なぜなら「自分も聞きたい肝心な部分の話」がないからです。その肝心な部分とは、「阿弥陀仏がどうやって私を救おうとされているのか」という「救いの法」が今回の話には全くありません。今回に限らず、参加者の話を聞く限り、それが殆どないのが高森顕徹会長の話の特徴です。「時間がないからこの続きはまたのご縁で」「一日ではとても話し切れない」という高森会長の言葉を、長年の会員何度も何度も聞いてきました。その度に、心の中でそっとため息をつきながら会場からの帰り道を移動したのではないでしょうか?自分は「真実を知り、求める幸せな者だ」と言い聞かせながら。


最後に、今回の会長は話から「与韋提等獲三忍 即生法性之常楽」の話が出たそうです。そこから、王舎城の悲劇(アニメの再現)の話が始まり、途中から「時間がないのでアニメを見て下さい」となったと参加者から聞きました。
f:id:yamamoya:20180212153404p:plain

「アニメ見て下さい」の話なら、長々とした説明やアシスタントの小芝居は不要です。


そこで、正信偈について少しだけ解説をします。

開入本願大智海----どうして救われるのか
行者正受金剛心−−−同上
慶喜一念相応後−−−同上
与韋提等獲三忍-----現世で三忍を獲る
即生法性之常楽-----来世で浄土に往生して仏のさとりをひらく

これは信心の利益について、現益と当益についていわれたものです。参加者の声としては「その信心はどうすれば獲られるのか」が大多数ですから、正信偈のここを出すならば、その前の三句を出さないと話がつながりません。


どうして「与韋提等獲三忍 即生法性之常楽」になるかといえば「開入本願大智海 行者正受金剛心 慶喜一念相応後」だからです。その最初の「開入本願大智海(本願の大智海に開入する)」とはどういうことかについては、そのまた前の「光明名号顕因縁(光明・名号の因縁を顕す)」というところで示されています。光明名号のお働きで、私は本願の大智海に開入するのです。


一言で言えば、南無阿弥陀仏の一人働きで救われるということです。そういう南無阿弥陀仏のただ今救うのお働きを、聞いて疑い無いのが信心です。初めて来た人でも、今日聞いて今日救われて帰っていかれるのが真宗の法座というものです。


最後に、ここまで読まれた会員の方へ、私が種々書いてた高森顕徹会長の話の批判について一つでも同意できるところがあれば、親鸞会以外の人の話を聞くなり、本を手にとるなりして見て下さい。その小さな一歩が大きな違いを生み出します。


親鸞会にいまも所属しながら、このブログを読まれる方は本当に真面目に法を求めている方だと思います。貴方に後一つ必要なのは、ほんの少しの勇気です。勇気を出して、親鸞会以外の法に触れて見て下さい。